「九五、飛龍、天に在り、大人を見るに利し。」
九五の位は天子の位。上卦の中央にあり、中の徳を得ている。陽爻を以て陽の位にある。「乾為天」の主爻である。
「飛龍、天に在り、大人を見るに利し。」とはどんな意味ですか?と問われて、孔子は「大徳ある聖人が位を得るときは、万民皆これを仰ぐ」とを説いている。あたかも、龍が起これば雲が従って起こる。虎が嘯けば烈しい風が起こる。同気相求めるのである。それと同じく、大徳ある聖人が作(おこ)って天子の位に即かれると、万物すなわち万民は、皆、その徳を仰ぎ見るのである。
「上九、亢龍、悔在り。」
昇り過ぎた龍が後悔している。上九の位は天子の上にあり、引退した天子又は聖人の位である。しかし、龍があまりに高く昇り過ぎたのである。雲のないところまで昇ってしまったのである。盈つることは久しくすべからざるなり。盛んなれば必ず衰え、満つれば必ず欠けるものである。あまりに隆盛であり、あまりに満足であることを、戒めるのである。
引退した天子の位ではあるが、引退するべき天子と考えても間違いではない。いつまでも、その地位を譲ろうとしないで大得意になり、有頂天になって驕り高ぶっている権力者と見てもよいだろう。
低い位置に賢人はいるが、高ぶり驕りたる亢龍を補佐する賢人はいない。賢人は皆この権力者からは離れていく。
「用九、羣龍(ぐんりょう)を見るに首(かしら)无し、吉。」
この「乾為天」と次の「坤為地」は陽卦と陰卦の代表であるので、特別に「乾為天」には陽の用い方、そして「坤為地」には陰の用い方が示されている。それが「用九」であり「用六」である。
「羣龍(ぐんりょう)」は全ての陽爻と考えて良い。つまり、全ての九(陽爻)に言えることであるが、「首(かしら)无し」頭を出さない方が良いということだ。頭を出さないとは、出しゃばらない、余り目立たない方が良い。「能ある鷹は爪を隠す」という言葉もあるが、陽を前面に出さないように気を付けなさいということである。
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