チャイコフスキーの残した名曲は多い。遺作となった交響曲第6番「悲愴」。親友ニコライ・ルビンシュタインに酷評された後、ハンス・フォン・ビューローが絶唱し初演されたピアノ協奏曲第1番。メンデルスゾーンと人気を二分すると言われるヴァイオリン協奏曲。文豪トルストイが号泣したという弦楽四重奏曲。バレー音楽「白鳥の湖」「眠れる森の美女」「くるみ割り人形」など数え上げたらきりがない。
ただチャイコフスキーの曲には何故か悲しみ、暗さ、影、陰、鬱がつきまとう。それは何故だろうか。その理由は彼は同性愛者だったからである。失敗した結婚も愛のない偽装結婚だった。メック夫人からの送金が停止した重大な原因の一つもそうである。五人組と肌が合わない理由もそうだ。ロシアでは現在もそうだが、当時は尚のこと同性愛に対する偏見や差別は激しかったのだ。
チャイコフスキーが同性愛に目覚めたのはペテルブルグの法律学校の寄宿生時代だった。年下の学友セルゲイ・キレーエフへの思いを歌曲にし、後年まで彼の写真を自室に貼っていたという。モスクワ音楽院での教師時代には教え子のエアドアルド・ザークを愛した。ザークは最愛の恋人だったが19才の若さでピストル自殺をした。アントニーナとの結婚式に立ち会ったヴァイオリニストのコーテクも愛人だったと言われている。
チャイコフスキーには双子の弟がいたが、その1人のモデストとも、また妹アレクサンドラの次男ヴラジミールとも関係 があったと言われている。彼が雇った青年従僕のアレクセイ・ソフローノフとは結婚前から生涯にわたり恋人の1人であり、遺言で肉親でもないのに主要相続人の1人として調度品や蔵書などの動産を相続させている。
さらにチャイコフスキーを死に追いやることにもなった。1980年になって、アメリカに亡命していたソ連の音楽学者オルロヴァが「チャイコフスキー自殺説」を著作の中で発表した。著作によると、ある高名な貴族が自分の甥と性的関係をもったチャイコフスキーを皇帝アレクサンドラ3世に直訴した。激怒した皇帝は直ちに彼を処分せよと命じた。秘密法廷を開き、服毒自殺をさせることになった。チャイコフスキーはヒ素系の毒物を自ら飲み死んだというのだ。1893年11月、チャイコフスキー53歳。(公式の死因はコレラに感染したことになっている。)
~~さわやか易の見方~~
******** 上卦は天
******** 陽の代表
********
*** *** 下卦は地
*** *** 陰の代表
*** ***
「天地否」の卦。上に天があり下に地がある。一見すると自然で良いように思えるが、易では天は上に向い、地は下に向かうと見る。上下がますます離れてしまい意志の疎通がないと見る。つまり貧富の格差、政治の権力が民衆を支配する図となる。君子の道は亡び、小人が跋扈する。
偉大な芸術家も権力者の前では無力なのか。しかし権力は滅んでも芸術は滅ばない。大帝国を誇ったロマノフ王朝もそれから12年後には日本との戦争に敗れ、その12年後には革命により王朝も亡くなる。しかし、時代を超えてチャイコフスキーの音楽は今も健在である。
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