「初九、潜龍、用(もち)ふる勿れ。」
修養中の龍である。未だ世に出てはいけない。
(今回から、爻辞に入る。下から、初九、九二、九三、九四、九五、一番上は上九である。)
初九の龍は千年の間、地の底に潜んでいて、徳を養い力を養っているのである。帝王に成ろうとする王子は未だ幼少であり、師匠について学び、道徳の修養に努めている。地下にいる間は陽気がまだ弱く、成長を待たねばならない。
孔子の解説書(象伝)によれば、「龍徳にして、隠るる者なり。世を易(か)へず、名を成さず、世を遯(のが)るれども悶ゆる无く、是とせられざるとも悶ゆる无く、楽しめば則ち之を行ひ、憂(うれ)ふれば則ち之を違(さ)り、確呼として其れ抜く可(べ)からざるは、潜龍なり。」とある。
これを読むと、潜龍は帝王の子とは限らない。世に出る前に学んでいる者も、世に出ても自分の出番がない者、認められず陰に潜んでいる者全てが潜龍と言っても良い。あせらず、腐ることなく、日々を楽しみながら、将来を期すれば良いのだ。
「九二、見龍、田(でん)に在り、大人を見るに利(よろ)し。」
地上に現れた龍である。大人に接し、よく意見に耳を傾けること。
修養を積んだものの、まだ右も左も解らない。充分に周囲の意見を参考にしなければいけない。特に大人の意見は尊重しなければならない。
孔子の象伝によれば、「龍徳にして正に中なる者なり。庸言(ようげん)之れ信、庸行(ようこう)之れ慎み、邪を閉(ふさ)ぎて其誠を存し、世を善くすれども伐(ほこ)らず、徳博(ひろ)くして化す。」とある。
二の位は中の位だが、九二は陽爻であるので、正しい位置ではない。しかし、「乾為天」という特別な卦であるので、中庸を備えているとなす。庸言、庸行は常の言と行動である。つまり、龍の徳を備え、中庸にいて、常の言動も慎み深い。邪悪を退け、誠を貫く、善政を誇らず、その徳は広く衆人に及ぶ。
未だ身分は低いところにあるものの、流石は龍(皇帝)の嫡男である。将来が楽しみである。
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