きのむくままに

或る日の出来事

町めぐり

2012-10-18 | Weblog

 

今年は 初めて端から端まで廻りました。(友達と一緒に)

 

                      

                  旭鳳酒造で パンフレット、地図を貰って スタンプ集めをしました。               勝圓寺でもスタンプゲット

                   建物は江戸時代末期(慶応元年)

                        

   勝圓寺にある     大瀛和上(ダイエイワジョウ)の墓                           木坂文左衛門の墓

 

  大瀛和上は、(1760年~1804年)山県郡筒賀村(現北太田川町)出身で、11歳のとき出家広島報專坊の慧雲の門に入り、

就学を修め上京本山の学林で学び、各地を遊歴して研鑽を積み、1791年勝円寺の住職につく。

寛政の頃起こった浄土真宗の安心惑乱に際して芸備両国の学徒を統率され、一心を賭して誠意挽回の衡に当たられた。

法門糺名の中5月築地の成勝寺で没す。享年46歳 弟子達の手により道場庵 勝円寺に葬られる

 

  木坂文左衛門は、 江戸時代、可部で起きたにせ金事件の張本人として一身に罪を背負って犠牲になった

広島藩の借金は 374万両 1両20万円で計算しますとなんと 7500億円。

広島藩が 鋳物業の南原屋当主 木坂文左衛門に贋金作りを依頼、 1868年5月から 一端の中断を経て 1869年9月まで続けられた。

「広島藩様には なんのかかわりもございません、私一人の欲でやったことでございます」と罪を一人で被り

厳しい取調べの為 翌年の2月6日には 廃人同様で可部に返され 13日には息を引き取り 逮捕から死亡まで 僅か2ヶ月半でした。

 


                

               ひげ地蔵(やすらぎ地蔵)  片足を立て、思いをめぐらせている姿は珍しい ひげの由来は不明

 

  

淡島神社  ご神体は1寸8分の米粒(農業の神)

 

                       

                  明神社 スタンプ6個集め、アンケートに記入して 「広島菜漬け」をいただきました❤

 

                       

                 湯来うまいもん市の 「鮎飯としし汁」これがお目当ての今回のまつりでした。 水内川の鮎だとのことでした。

                  その場で炊いて 炊きたてをいただきました! ほっぺが落ちそうでした!もう残り僅かでした!ラッキー❤

お土産に「鮎飯」2個買いました。 しし汁は持っては帰れないので残念ですが・・・・

友達は「鮎の甘露煮」をお土産に買いました。(写真左)

   

                             

             素敵な 手作り品がたくさん出ていました             ハワイアン、ひょっとこ踊り、民踊、フラダンスなどもあり

   

町内の「福王寺」 所蔵の「金銅五鈷杵」が展示されておりました。

川柳や絵手紙の展示など多彩な催しがあちこちで催され全て見ることは無理でしたが

暑くもなく 歩いて廻ってちょうどいい気温で 絶好の日和でした。

最高の「町めぐり」でした!

 

 

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