毎年楽しみにしている「文楽地方公演」行ってきました~
会場に入ると 例年のごとく人形との撮影会
満員の会場 着物姿の多いこと!
今年も「Gマーク」という太夫に言葉が字幕で出るもの 昨年もあったよね
団子売
杵造とお臼という団子売の夫婦がいる。
二人は街中で団子を売るが、これが杵と臼を使い“出来たて”を売っていた。もう大評判で、いつも飛ぶように売れるという夫婦の団子。
今日も早速、団子作りに取りかかる。
そして杵造は赤い鉢巻をした姿、お臼はおかめの面を付けた姿で踊り、この夫婦円満めでたい様子を見せると、また二人は団子を売りに次の場所へ
心中天の網島
近松門左衛門作の人形浄瑠璃。享保5年(1720年)12月6日、大坂竹本座で初演。全三段の世話物。
同年に起きた、紙屋治兵衛と遊女小春の心中事件を脚色。
愛と義理がもたらす束縛が描かれており、近松の世話物の中でも、特に傑作と高く評価されている。また、道行「名残の橋づくし」は名文として知られる。
「天網島」とは、「天網恢恢」という諺と、心中の場所である網島とを結びつけた語。
近松は住吉の料亭でこの知らせを受け、早駕に乗り大坂への帰途で、「走り書、謡の本は近衛流、野郎帽子は紫の」という書き出しを思いついたという。
紙屋の治兵衛は二人の子供と女房がありながら、曽根崎新地の遊女・紀伊国屋小春のおよそ三年に亘る馴染み客になっていた。
小春と治兵衛の仲はもう誰にも止められぬほど深いものになっており、見かねた店の者が二人の仲を裂こうとあれこれ画策する。
離れ離れになるのを悲しむ小春と治兵衛は二度と会えなくなるようなら共に死のうと心中の誓いを交わした。
兄の粉屋孫右衛門は 商売にまで支障を来たすほど小春に入れ揚げている治兵衛に堪忍袋の緒が切れ、
曽根崎通いをやめさせようと小春に会いに来たのだった。
話を知った治兵衛は怒り、きっぱり小春と別れる事を決めて小春から起請を取り戻した。
しかしその中には治兵衛の妻・おさんの手紙も入っており、真相を悟った孫右衛門は密かに小春の義理堅さを有難く思うのだった。
「もし他の客に落籍されるような事があればきっぱり己の命を絶つ」という小春の言葉を治兵衛から聞いたおさんは彼女との義理を考えて
太兵衛に先んじた身請けを治兵衛に勧める。
しかし運悪くおさんの父・五左衛門が店に来てしまう。
日頃から治兵衛の責任感の無さを知っていた父・五左衛門はおさんを心配して紙屋に来たのだ。
当然父として憤った五左衛門は無理やり嫌がるおさんを引っ張って連れ帰り、親の権利で治兵衛と離縁させた。
望みを失った治兵衛は虚ろな心のままに新地へ赴く。小春に会いに来たのだ。
別れた筈なのにと訝しがる小春に訳を話し、もう何にも縛られぬ世界へ二人で行こうと治兵衛は再び小春と心中する事を約束した。
赤い点線を二人で歩いた道行 凄い距離にビックリ!
小春と予め示し合わせておいた治兵衛は、蜆川から多くの橋を渡って網島の大長寺に向かう。
そして10月14日の夜明け頃、二人は俗世との縁を絶つ為に髪を切った後、
治兵衛は小春の喉首を刺し、自らはおさんへの義理立てのため、首を吊って心中した。
始めて観た演目なので 数回観ないと・・・
「天満紙屋内の段」で女房おさんが治平に言った
「二人の子供が朝ぶさ前忘れず、必ず桑山飲ませて下され。」桑山が気になり調べてみました
太閤秀吉公の重臣、桑山修理太夫重晴が、 朝鮮出兵の際に朝鮮より持ち帰った小児薬を「桑山丸子(くわやまがんじ)」の名で売り出したところ、
評判がよく、のちに近松門左衛門の「心中天網島」の中に、子供に「くわやま」を飲ませるように、とあるように、たちまち有名になりました。
この薬は長く大正時代まで作られていました。
納得しました!
今日の新聞に記事が掲載されていました。 玉女が玉男を襲名して初めての公演観賞でした。
来年も楽しみにしています。