ぼちぼち歩く旧山陽道

旧山陽道を歩いて制覇する記録です。

山陽道(西国)第54回目(三谷~吉備真備)

2016-12-12 | 日記

山陽道(西国)第54回目(三谷~吉備真備)

2016.10.18(火曜日)曇り時々晴れ

今年の夏は猛暑で9月になっても残暑が厳しく、また週1回は日本列島に台風が上陸したり接近したり、暑さと天候不順の為歩く機会を失ってしまった。いつもより1つ前の新幹線に乗ると、「エヴァンゲリオン仕様のこだま」であった。この列車の運行期間は2016.11~17.3まで。1号車には展示コーナー、「実物大コックピット搭乗体験」も出来るそうで、全体がカラーコーディネイトされていてカッコいい。

              

コックピットで搭乗体験               展示コーナー              こだま 500TYPE EVA                                        

10時12分神辺(かんなべ)発の電車に乗り、10時50分三谷駅に到着。今回で井原鉄道とはお別れになる。沿線駅の名前もすっかり覚えてしまったのに・・・・。駅前の案内板を見ていると地元の人が来られたので「近くで食事をする所が有りますか。」と聞くと「その先の吉備公園のうどんが有名ですよ」と教えてもらった。

             

最後の井原鉄道                 三谷駅                  駅前の案内板        

駅裏の街道に戻り7分ばかり行くと井原鉄道の高架橋の下左側に「第十七番井戸寺」の石仏がある。その後ろには万人講の建てた亡牛供養塔がある。その先「第十六番」の石仏があり、その先にも「金勢大明神」の石柱と石仏がある。

              

十七番の後ろの亡牛供養塔            十六番の石仏            「金勢大明神」の石仏   

6~7分歩くと左手に大きな常夜燈(文化八年)があり、その右側に「吉備公累代墓域」と彫られた石柱がある。その右手に「国指定重要文化財下道氏墓」の標識があり、「第九番法輪寺」と書かれた釈迦如来石仏がある。下道氏はなんと読むのか・・? ふと国道の方を見ると標識があり、そこにローマ字で「しもつみち うじ こうえん」と書かれていた。

             

吉備公累代墓域の石柱          下道氏墓の標識と第九番の石仏         国道沿いの標識

200mばかり先の右手あぜ道の角に「右弥高道」と刻まれた道標を発見。西国三十三番札所のうち左手山裾に「第八番熊谷寺」と書かれた観音菩薩石仏がある。

             

  「弥高道」の道標               猿掛城跡              「第八番熊谷寺」の石仏

史跡を確認しながら歩いていると、民家の前に地元の人がおられ「どちらから来られ、何処に行かれますか。」と尋ねられた。「山陽道を歩いています」と言うと、先程の弥高道の事や、秀吉が高松城を攻めたとき毛利側が目の前の猿掛城跡に布陣した事、旧山陽道はこの裏山にあったことなどを教えてもらう。その先にも「第七番十楽寺」と書かれた阿弥陀石仏がある。街道はまもなく国道486と合流する。

             

「旧山陽道沿いのやぶ」            「第七番十楽寺」の石仏              街道は国道と合流      

国道に合流してすぐ左手に大きな常夜燈がある。その側に福頼(ふくより)神社の標識があるので、福頼神社の常夜燈と思われる。国道の右手、小田川沿いの河川敷の所に「吉備公河川公園」「学問の神 吉備公大神宮」と書かれた大きな案内板が建っている。少し行くと 左手に筆塚がある。前の石碑に「吉備真備の遺徳を偲んで、全国の書家1290名の合力で建立された」と刻まれている。ここを左に入った先に吉備真備公園がある。

              

福頼神社の常夜燈             小田川沿いの案内板                    筆 塚          

公園に入ると奥に赤い唐風の建物がある。これが先程地元の人に教えてもらった「うどん店」のようだ。12時前なのでここで昼食にする。人気店らしくお客さんが多い。公園には、堂々とした吉備真備公銅像のほかに、産湯の井戸があり、「囲碁発祥」と刻まれた記念碑などがある。 

             

公園内のうどん店              吉備真備公の銅像             「囲碁発祥」の記念碑               

12時30分街道に戻る。左手の電柱の側に「史跡旧山陽道一里塚跡」と書かれた平成16年建立の石碑があり、右手奥の茂みの中に4体の石仏群がある。矢掛町から倉敷市真備町妹に入る。ここの国道は歩道がなく、車が多くて危険だ。国道の右側「真備」と書かれた大看板柱の側にも「史跡山陽道一里塚」の石柱があった。

             

史跡旧山陽道一里塚跡            矢掛町から真備町           史跡山陽道一里塚跡 

その先、左手に昭和22年建立の殉難供養塔があった。何があったのだろうか? 街道はこの先で国道と離れて左の道を行くが、その手前左の高台に吉備公弾琴の遺跡があることを示す石碑が建っている。少し離れた右側に祠があり、五輪塔が安置されている。 国道の右向うを流れる小田川の対岸に、吉備真備が岩の上に琴を置いて奏でたという伝説のある琴弾岩があるらしいが、横切るには交通量が多いいので断念する。

             

殉難供養塔               街道はここから左に              弾琴の石碑と祠

左の街道に入るとすぐ左に地蔵堂がある。山陽道の吉備路は、左手に井原鉄道、右手に国道を見ながら暫く進む。小川の手前を右折すると国道にぶつかる。街道は国道でこの小川の橋を渡り、再び左折・右折して国道に戻るが、距離があまりないのでそのまま国道を歩く。700m程で「赤鳥居」バス停があり、左線路向う側に式内社穴門山神社の赤鳥居が見える。

            

             地蔵堂                   山陽道の吉備路           式内社穴門山神社の赤鳥居

鳥居の見える所から少し行くと、左の木の下に5体の石仏群がある。その近くにマンホールがあり、「消火栓」と書かれていた。少し歩くと、左側の枯草の中に「岡山県」と刻まれた石柱があり、その側にお地蔵さんがおられる。後ろには井原鉄道の高架が迫っている。

              

          石仏群                    消火栓のマンホール         地蔵さんと井原鉄道の高

次の信号機の所に「備中呉妹駅」の案内板があり、左手にコンビニがある。一時間以上歩いたのでここで小休止。(コンビニに腰を掛ける椅子がないので休憩にならなかった。)コンビニの裏が山陽道で、ほんのわずか国道と分かれる。右側に耕地整理の記念碑があった。再び国道と合流し500mばかり歩く。先程のコンビニでゆっくり出来なかったので、呉妹診療所の玄関先を借りて休憩をしたが、ここも居心地が悪く再び歩き始める。

             

右 備中呉妹駅             耕地整理の記念碑            呉妹診療所で一休み

少し歩くと、左手に熊野神社の石段があり、近くに三体のお地蔵さんが祀られていた。この日は上天気で10月というのに日差しが強く、休憩場所がなくてクタクタ。今回も代表者の一人が熊野神社に上がって参拝をする。残りは石段下で休憩。2つの石段を登ると本殿があり、その奥に八幡神社があった。

             

熊野神社の階段          三体のお地蔵さん              奥の八幡神社

14時30分再出発。畑岡信号機を直進して国道から離れる。山陽道は箭田(やた)西口信号を渡りそのまま直進する。300m先の左手、民家の陰にかくれるようにして「史跡山陽街道一里塚」と書かれた新しい石碑がある。 少し行くと右側に箭田小学校があり、反対側左に「まきび公園」がある。公園の裏につながる路地の入口に「吉備公墳 此の上約100米」と書かれた案内の木柱が立っていた。

             

  箭田信号機             史跡山陽街道一里塚              吉備公墳の案内柱

小学校を過ぎ、高馬川に架かる橋の手前左に「吉備公墳」と書かれた大きな石柱がある。 ここを左に行くと「まきび公園」の入口があるが、電車の時間があるのでそのまま歩く。 15時10分、JA岡山西信号機を右折すると吉備真備駅に到着。駅は無人で、電車の切符を駅の手前の文具店で販売していたのにビックリポン!(案内に気が付いて良かった)

             

吉備公墳の石碑           文具店で電車の切符を・・          吉備真備駅の待合所?

15時44分の電車に乗って清音駅で乗り換える。清音から倉敷まではJR伯備線になる。16時に今日の宿泊予定の倉敷駅に到着。

             

         清音駅                     倉敷駅北口            アリオ倉敷のフードコートで

 今日のコースは 7.5km  (岡山県の計 30.0km、総計 363.0km)

 参加者 M夫婦、S夫婦の4人