山陽道(西国)第45回目(下木原~尾道)
2015.4.21(火曜日)晴れ
9時26分三原駅に到着。前回「下木原」から「三原駅」までバスで帰った時、駅前発「下木原」行きのバスの時間を確認していたのでバス停に急ぐ。10時5分下木原バス停に到着。「しまなみ街道の因島大橋」が正面に見える。
三原駅前のバス停 「下木原」で下車 しまなみ街道・因島大橋
左側は山陽本線、右手は瀬戸内海に挟まれた国道2号を東に進む。左側に延命地蔵があるはずだが見落とした。「石を積んだような物があったけど、あれが延命地蔵?とてもお地蔵さんには見えなかったけど。」と後から来た女性陣の話。「赤石」バス停で、道は二股に別れる。国道と別れ左側の旧道を行く。5分程度歩くと左に山陽本線のガードがあり、その角の看板の元に鉢ヶ峯への道標が立っている。「鉢ヶ峯 虚空蔵 一キロ五百メ-トル」とある。鉢ヶ峯は標高429mの山で、その8合目に祀ってある虚空蔵菩薩が知恵を授ける仏像として深く信仰されているそうだ。その先、国道と合流する。左側の山腹に見える大きな屋根が観音寺だが、観音寺は行かない。
「赤石」のバス停から左へ 鉢ヶ峯の道標 観音寺付近
「観音寺下」信号で国道2号を横切り、南側の旧道を行く。道は海が見えたり隠れたり、ときには家のすぐ傍まで海水が来ている。「ここは津波が来たら全滅ですね。」と話しながら歩いて行くと清水化学の建物の手前に出る。以前は清水化学の前に古川製作所があったらしいが、いまは駐車場になっている。そこを迂回して進むと国道と合流。国道に出ると左に厳島神社の常夜燈が見える。神社との間は国道と線路に分断された向う側なので行きたくても行けない。
清水化学と駐車場 大きく迂回して 厳島神社の常夜燈と奥の神社
国道を少し行くと木原町内畠信号があり、その右手にJA三原木原支部がある。右側の道を歩いて行くが、10分ばかりですぐ国道と合流する。木原町信号で国道を渡り、JR木原踏切を越える。そこからが福地町になる。道は国道2号・山陽本線と別れ、大きく左に曲がる。下木原から約一時間歩いたので小休止。
JA木原支部から旧道へ 木原踏切を渡る ここらで小休止
11時20分再出発。緩やかな坂道を上がって行くと、福地公民館の横にバス停がある。このバス停は福地の中心で三原駅、尾道駅行のバスが同じ程度出ている。「福地の集落の右側に石仏がある」と一歩さんは書かれているが、ついに発見できなかった。その先、左手吉和分団器具庫の裏に祠が二つと一対の常夜燈がある。
福地バス停 福地公民館 二つの祠と一対の常夜燈
街道は福地の中をゆるやかに上っていく。この街道の北側が三原市、南側が尾道市と分かれているが、どちらも福地の地名がついている。一歩さんによると、この辺りは大人峠とも、大助峠、応助峠とも呼ばれているが、地元の人はこの峠の名前を知らない人が多いらしい。少し歩くと、左側に「大人峠一里塚跡」の石柱がある。側面に「三原市内の一里塚四ヶ所の最東端」と刻まれている。ここはちょうど尾道市と三原市の市境になっていて、右の塚は三原側、左の塚は尾道側にあったらしい。左の山手にこんもりした鳴滝城山が見える。鎌倉末期から戦国時代にかけての城跡だが、近年の山火事により焼失し、岩肌がむき出しになっている。
左三原市・右尾道市 大人峠一里塚跡の碑 鳴滝城山
「大人峠一里塚跡」の石碑から5分程度坂を上がって行くと、尾道バイパスの陸橋にさしかかる。反対側の道路に「鳴滝山 登山道」の看板がある。陸橋を渡り左に折れてすぐに右折をすると吉和の集落に入る。街道は右吉和町と左沖側町の真中を進んで行く。
鳴滝山の看板 尾道バイパスの陸橋 街道は住宅街の真中を行く
道なりに歩いて行くと、尾道吉和郵便局の手前右に八幡神社の鳥居がある。神社は右手の高台にあるらしいのでパスをする。その先、吉和川を茶堂橋で渡る。「西国街道を行く」の資料によると「吉和川河口の吉和漁師町には代々継承されてきた吉和太鼓踊りがある。尾道の浄土寺へ奉納される踊りで、この吉和から尾道の浄土寺まで踊りながら行進する。都を追われた足利尊氏が九州に行く途中、吉和村の漁民がその船方となって尊氏を送ったのが、この踊りの起源といわれている。尊氏は九州から都に上がる途中、再び浄土寺に立ち寄り、漁民に褒美を与えた。」と書かれてある。橋を渡ると左側に茶堂大師の祠がある。
八幡神社の鳥居 吉和川を茶堂橋で渡る 茶堂大師
その先、吉和小学校の横に祠がある。街道は大きく左に曲がり、尾道インターの進入口に架かる陸橋を渡ると手崎町だ。左手の山肌に岩を穿って地蔵尊が祀られている。ひげの梶さんの本には「白壁の地蔵」と書かれてある。
ふと最近感じた事だが、どこの町を歩いても人の姿を見ることが少ない。この手崎町もそうだが、なにも尾道に限った事ではなさそうだ。
吉和小学校横の祠 白壁の地蔵 手崎町の町並み
格子の家や白壁の家並みを眺めながら歩いて行くと、カーブミラーの後ろにお地蔵さんが沢山祀られている。ひげの梶さんは「やぐらの中の地蔵」と命名されている。その先の幼稚園の前にも「白壁の地蔵」があったので、尾道は白壁の地蔵が多いのかと思っていたが、駅までは一つもない。むしろ岩を掘って祀られている地蔵が目についた。
時計を見ると12時30分。この辺りは家が立て込んでいるので、腰をおろして休憩する場所がない。何よりもお腹も空いたので新浜踏切を渡り国道沿いのコンビニへ行く。
格子の家 やぐらの中の地蔵 新浜踏切
13時10分街道に戻る。その先左側に手崎公民館があり、奥に荒神社がある。「手崎公民館で休憩しましょう」と言って、散々探した公民館がここにあったが、ゆっくり休めそうな場所と設備はなかった。そこから少し行くと「テルミー美容院」がある。ここが「日比崎七曲坂への入口」である。私は「百街道一歩の山陽道」「西国街道を行く」「ひげの梶さんのー西国街道を歩こう」を主に参考資料にしている。ひげの梶さんはこの七曲は通らないで直接尾道へ行かれている。一歩さんは尾道から来られてかなり迷われたらしい。「西国街道を行く」はこの部分の詳細地図が記載されているが、なんだか迷いそう。 少し長くなるが七曲の道を辿ってみよう。
公民館奥の荒神社 テルミー美容院横の路地 尾道家電の看板
テルミー美容院横の路地に入り道なりに行く。途中「尾道家電」の看板がある。(現在は営業をしていない)その先十字路に出るので左に曲がる。坂を上がると電柱があり、その電柱に日比崎中学校の看板が掛けられている。そこを右折してすぐ左に行くのが正解。「電柱の所に中学校に行く案内板が有りましたよ」と女性陣は言ったが、それを無視して天満宮の道を行く。(前回も同じことがあって彼女たちが言った方が正解だったが、いやはや女の感は素晴らしい)民家の前に大きな常夜燈があり、その先に左が天理教・右天満宮の十字路に出る。
ここを右折するのが正解 大きな常夜燈 天満宮
天満宮前の道を右に大きく迂回して行くと民家の前に出た。地元の人がおられたので「日比崎小学校にどう行けば良いでしょうか?」と聞くと「この道は違いますよ。この下の電信柱を左に行きます。でもいまから引き返すのは大変だから、そこの坂を下れば中学校前の道に出られます。そこを右に行けば小学校に行けます」教えられた通り急な坂を下り、歩いて行くと小学校の校庭裏口に着く。
ここの坂を下って 中学校の看板を右に 日比崎小学校の校庭に着く
「七曲」は三軒家町からテルミー美容院までの間を言っていたようだが、学校が建ったり東側の開発で道がなくなり、現在ではテルミー美容院から小学校の校庭までを「七曲」と呼んでいるらしい。学校の校庭を通るので先生に許可をもらったが、地元の人はこの校庭が日比崎町と三軒家町を結ぶ通行路になっているのか、小学生の通路と一般の人が通る階段が分かれている。(確認をしていないが、地元の人も通行されていたので・・)
校庭から尾道の町が望める。正面に見える城が「尾道城ですよ」と先生に教えてもらう。階段を下り終えると、右側に祠がある。
尾道の町が見える 尾道城 学校下のお地蔵さん
栗原川を「日小橋(ひしょうはし)」で渡り、広い十字路を横切り真っ直ぐ進んで行くと、「三軒家」という町の情緒ある家並みが続く。左手には創業安政元年(1854)の酒屋「吉源」があり、風格のある建物がある。「寿齢」という看板が酒蔵に掛けてある。その先、「吉田源右衛門」の表札が掛かった門があり、尾道城とマッチしている。
栗原川を日小橋で渡る 三軒家町の家並み 吉田源右衛門の表札がある門
尾道の観光パンフレットにお寺巡りがあるように寺が多いが、路地の奥や家の横に祠がありお地蔵さんが祀られているのにビックリ。「映画の町」で有名な尾道だが、そのシーンに出そうな坂の上の古風な家を発見。14時20分尾道駅北口に到着する。
家の横の祠 「まあ!映画に出そうな家」 尾道駅 北口
今日のメーンは尾道ラーメン!ラーメン欲しさに昼のコンビニではサンドイッチを一口頬張っただけ。キョロキョロとラーメン屋を探すがない。地元の人に聞くと「南口に出ないとラーメン屋はありませんよ」といわれたので、南口に急ぐ。北口と違って活気がある。ラーメンを食べて駅前の蘇和稲荷神社を見て帰宅。
尾道駅 南口 尾道ラーメン 蘇和稲荷神社
今日のコースは7.5Km (広島県の計124.2Km 総計297.8Km)
参加者 S夫婦とM夫婦の4人