山陽道(西国)第15回目(富田政所~徳山)
2012.10.20(土曜日) 晴れ
9時40分新南陽駅に到着。10分歩いて、今日の出発地点政所の郵便局前から9時55分にスタート。
秋本番、歩き始めてもう1年 夢風車(政所交差点)
※政所郵便局の裏の道が旧鹿野街道
スタ-ト地点 政所郵便局
スタートをして右手に、懐かしい古風な建物の福田材木店を発見。とくにガラス窓の丸に福の字がいい。大安寺の前を通り、歩いて行くと音羽橋の手前、左山手に川崎観音が見える。「景清護身川崎観音(音羽観音)由来記」はあるが、地元では「安産の観音様」として有名。毎月17日には沢山の参拝者で賑わう。(ちなみに、私の妻も3人の子供を授かった時は、ここでお守りと腹帯を頂いた)
丸に福の字がいい 大安寺 川崎観音
富田川に架かる音羽橋の中央にでっぱりが有る。そこに立つと水面に人影が映り、沢山の鯉が集まってきた。ここがエサやり場なのかも? 音羽 橋を渡ると、右手に「荘寺八幡宮」と刻まれた常夜燈があった。裏には文政四年(1820)とある。
ここに立つと鯉が集まるまる 富田川に架かる音羽橋 「荘寺八幡」と刻まれた常夜燈
川から少し行くと、左手に「當国十八番景清護身観音」「文政11年(1828)」と刻まれた道標がある。昔は、この地点から長い階段を登って観音様にお参りしていたが、40年ぐらい前に新しい国道2号線が出来た為、参道が分断された。川崎三丁目と四丁目の境の民家の前に地蔵尊(ご本尊は薬師如来と札に書かれてあった)と荘寺八幡宮(山崎八幡宮の事)の小さな常夜燈があった。
景清護身観音の道標 腹帯とお守りを売る店
昔は街道沿いに往還松が立ち並んでいたという、その枯根が二本だけ残る。と聞いたので、探して歩くと今にも風化しそうな状態で置かれてあった。この付近は、旧2号線を南北に挟んで一面蓮田であったが、今は面影もない。川崎を東に進んで行くと旧徳山市の浦山に入る。浦山から旧2号線を横切って南下し、LAWSONで小休止。
二本だけ残る松の枯根 この辺り一面は蓮田であった 旧2号線を横切り市街地へ
徳山は昭和20年の大空襲で、西松原から遠石付近まで焼野原になった。余談だが、(戦後最初の市長の黒髪氏が、駅前から市役所までの道を今の大きさに敷いた。その当時は画期的な計画であった。そこから、碁盤上に区画整理を行った。故奥村市議談)11時30分、西松原四丁目の跨線橋を右手に見ながらスタート。(跨線橋の南側は周南コンビナートである)新幹線の下を通り、一路徳山駅へ。野上町一丁目の交差点を渡ると、徳山の中心部に入る。
西松原四丁目の跨線橋 新幹線の下を通過する 野上町一丁目の交差点
12時10分、本日の終点徳山駅に到着。 今日はトータル100Kmを突破を記念して祝杯を上げた。
12時10分徳山駅まえで撮影
今日のコースは4.7Km (合計111.1Km)
参加者 S夫婦とM夫婦の4人