鳥取の漆器については、殆どの方が知らないと言うでしょう。ほんとに、鳥取で漆器を商売にしていると言うのは、会州堂だけじゃないかと思います。 佐治の漆も青谷の漆も、殆どの方が知りません。かなしいかな・・・・。
しかし、文献を見るとちゃんとあったんです。鳥取県では、鳥取市と青谷町と米子市と書いてありました。
私は、鳥取市に住んでいるので鳥取市と青谷に絞ってみます。
鳥取市には、久松塗りとして地味でしたがありました。 大正時代から昭和の中ごろまで、
鳥取市にも塗師と呼ばれる人が数人いました。蒔絵師は、ご存知の故田中稲月氏がいました。
青谷には、江戸時代から漆器があって、輪島から習ってきた人が広めたようです。下地は、渋下地と言って、柿渋を使ったようです。渋下地は、会津などが有名です。
戦後、青谷のおばさんが籠に漆器を入れて、売りに出ていた話も聞いたことがあります。
青谷は、今は和紙の産地として有名ですが、一昔は漆器でも有名だったんですね。
漆は、6月~9月まで漆の木から漆を採取します。夏場の仕事なのです。和紙は、ご存知のように寒い冬の季節に仕事します。
夏は漆、冬は和紙というように、青谷は一年通して、漆と和紙で仕事を回していたのですね。
青谷上寺地遺跡から蒔絵入り(朱の文様)の漆器の器が発見されています。弥生時代から、青谷は、漆と深い繋がりがあったのでしょうか?
この続きは また・・・・・・・
しかし、文献を見るとちゃんとあったんです。鳥取県では、鳥取市と青谷町と米子市と書いてありました。
私は、鳥取市に住んでいるので鳥取市と青谷に絞ってみます。
鳥取市には、久松塗りとして地味でしたがありました。 大正時代から昭和の中ごろまで、
鳥取市にも塗師と呼ばれる人が数人いました。蒔絵師は、ご存知の故田中稲月氏がいました。
青谷には、江戸時代から漆器があって、輪島から習ってきた人が広めたようです。下地は、渋下地と言って、柿渋を使ったようです。渋下地は、会津などが有名です。
戦後、青谷のおばさんが籠に漆器を入れて、売りに出ていた話も聞いたことがあります。
青谷は、今は和紙の産地として有名ですが、一昔は漆器でも有名だったんですね。
漆は、6月~9月まで漆の木から漆を採取します。夏場の仕事なのです。和紙は、ご存知のように寒い冬の季節に仕事します。
夏は漆、冬は和紙というように、青谷は一年通して、漆と和紙で仕事を回していたのですね。
青谷上寺地遺跡から蒔絵入り(朱の文様)の漆器の器が発見されています。弥生時代から、青谷は、漆と深い繋がりがあったのでしょうか?
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