goo 自由日記⒉

色んな出来事を載せています、見てくださいね!

カワウとセグロカモメと・・・

2019-10-22 14:52:25 | 日記
 今日の朝の太田川は、干潮で砂地が出ています。
 大量の「カワウ」が一斉に飛んできました。
 

 


 元からいた「セグロカモメ」は動こうともしません。
 

 

 

 


 「アオサギ」も数羽います。
 

 


 カワウの競演が始まります。
 

 

 

 

 

 

 


 バタバタ水浴びするカワウに大勢いるカワウに圧倒されて、通りかかった子供連れも
 スマホで写しています。
 水が引くまでセグロカモメも、カワウもいつまでも居ます。
 別にエサを取っている風には見えません。
 
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安田の土手にて(10月)

2019-10-21 14:45:55 | 近ブラ
 今日の朝は、白島のホームセンターに出かけましたので、安田の土手を通っていきました。
 鳥の姿が見れるかと思ったのですが、「ヒヨドリ」だけでした。
 

 

 京橋川にも砂地が出ていますが水鳥の姿はありませんでした。

 散歩のおじさんが、倒れた枯れ木の穴を掘っていました。
 「古くなると皆んな枯れて倒れるよ」
 

 

 空洞が大きく口を開けています。

 「この柿は、甘がきと渋柿が両方あるんよ」と教えてくれました。
 「鳥が来ますかね~」
 「鳥も来るが、来る前にさおをもってもぎに来る人が毎年居るよ」(笑)
  

 


 接ぎ木をしたんだそうです。
 おじさんは行ってしまいました。
 他には散歩の人はありません。
 


 「なんきんはぜ」?
 葉が少し、紅葉して実も付いています。
 

 


 鳥見もヒヨドリだけに終わりましたが、近くのホームセンター「ダイキ」でのお買い物は目的のものが在りました。
 
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ひろしま遊歩100選ガイドツアー(比治山地区散策)に参加する! 2

2019-10-20 19:10:30 | ひろしま遊歩100選ガイドツアー
  13:30
  午後からも続きます。
 ◎ 比治山スカイウオーク
   平成10年3月開通
   段原と比治山山頂を結ぶ動く歩道
 



◎ 富士見展望台
   正岡子規 句碑  → 日清戦争従軍記者正岡子規が、比治山に登り城下の風情を
             句にしたもの   昭和33年3月設置
    ” 鶯の 口のさきなり 三万戸 ”  (明治の頃)
  

 展望台から市内、瀬戸内海の「安芸の小富士」、宮島、己斐方面と大幅に見渡せる。
 


 



 「ひろしま文芸の碑」 書:森戸 辰夫 昭和50年設置
 



 ◎ ABCC
  広島市に設置されたのは、昭和22年で、日赤の一室でスタートし、
   翌年宇品の凱旋館に移動、
   昭和25年に比治山の旧陸軍墓地跡にカマボコ型2階建てを作り、
   昭和26年1月にこの地に再移転した。
   昭和50年から日米共同運営の「放射線影響研究所」となる。
 
 

 

 



  道ばたの黄色い花。
 

  ◎ 陸軍墓地
   明治5年(1872)に、比治山の南を陸軍墓地に指定、
   以来西南戦争以降、太平洋戦争までのお墓が作られた。
   (沖縄県以外の将兵約5000柱)
 
 

 

 

 

 


 「ラッパ手:木口 小兵」→ 死んでもラッパを離さなかった。
 

 


 ◎ 汐見展望台
  「田淵 十風子 句碑」 昭和56年設置
 

 「松田重次郎翁像」 (現マツダ創設者) 
 昭和45年5月設置  作:圓鍔 勝三  書:池田勇人 記:森戸辰男
  


 ◎ 馬魂碑
  馬が人畜に貢献してくれた事えの感謝を表した碑。
  昭和12年5月設置
 

 

 


 比治山は緑も多く、森の様でした。
 「はんてんの木」(ユリノキ)
 

 

 
 ◎ 忠魂暮碑
   「忠魂暮碑」という名称は他に例のないもので、陸軍墓地の取り壊しの時に
   作られ、ABCCの建設時に、ここに移設されたものと思われる。
 


 「ひかり茶屋」廃業しているが、午後集合した地点に戻ってきました。
 



 ◎ 殉職消防組員之碑
  昭和25年11月設置
  水主町の武徳殿前にあったが、原爆で倒壊、移転再建したもの。
 

 
◎ 殉職警察職員之碑
   昭和22年9月設置
 


 ◎ 早速整爾銅像跡
   明治元年三篠町(当時は新庄村)にて生まれる。
   県会議員・衆議院議員・市会議員など
   大正元年農林大臣・昭和元年大蔵人大臣
   なぜか台だけで像がありません。
 

 


 (これよりデジカメ充電切れの為、スマホ画像です)

 ◎ 加藤友三郎銅像跡
   広島県出身の最初の総理(第21代)他に池田勇人・宮沢喜一
   生誕地大手町 (現中電病院南の公園内)
   新設された銅像は中央公園設置。
 


 「さざんか」が咲いています。
 

 


 ◎ 彫刻の小径
   野外彫刻  「ポケット」 作:佐藤 忠良 平成元年3月設置
 

 

 小径となっていますが、彫刻は2体だけで淋しいです。
 

 


 「野外彫刻  「EVE] 作:船越 保武  平成元年3月設置
 


 


  ※ 
  午後 15:15
  最終見学地です。
  比治山を散策しましたが、南部分は立ち木も多く、朝、雨が降っていましたので
  随分と蒸し暑かったです。
  比治山は標高約70mの小高い丘ですが、結構高低差があり、
  スカイウオークは急斜面でした。
  「マツダの創始者、松田重次郎の像」は随分と大きいのに驚きました。
  本社のある向洋方面を見ているそうです。
  野外彫刻を沢山見ました、制作意味が分からないものが多く、現代美術の難しさを
  痛感しました。
  12000歩、7、5kmのスマホの歩数計です。
  皆さんお疲れ様でした         
 ー END ー
  
  
 
  
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ひろしま遊歩100選ガイドツアー(比治山地区散策)に参加する! 1

2019-10-20 13:20:40 | ひろしま遊歩100選ガイドツアー
 ひろしま遊歩100選ガイドツアーに参加する!
 令和元年10/19日 (土) 9:30 比治山下集合  15名参加
 
      ~ 比治山地区散策 ~     (No-15)

  <主な立ち寄り先>
 ~多門院~長性院~比治山神社~骨董街~山王神社~御便殿跡~野外展示場~
 ムーアの広場~富士見展望台~陸軍墓地~汐見展望台~彫刻の小径


 朝、大雨が降りましたが15名の参加があり、元気に出発しました。


 
 ◎ 吉祥山遍照寺多門院 
  慶長9年(1604)福島正則がこの地に移築
  真言宗 (広島県真言宗教団)
  ご本尊:毘沙門天王  虚空蔵菩薩
  広島新四国88ヶ所霊場 第54番霊場
 

 

 

 
 新四国88ヶ所霊場の石仏、1番~48番まで確認。
 

 

 

 広島県指定史跡 「頼家の墓」
 

 

 (頼山陽の墓は京都にあり)
 原爆被災説明板 多門院 (爆心地から1,75km)
 


 ◎ 良雲山千日寺長性院
  元和3年(1617)信濃国松本の僧、正誉玄斉和尚より創建
  ご本尊:阿弥陀如来 浄土宗鎮西派
  広島新四国88ヶ所霊場 第55番霊場
  鐘楼門の仁王像あ、霊園にあった樹齢300年楠を使用して、
  原爆犠牲者の供養と世界平和実現記念し、檀徒中西さんが制作「右・阿形仁王」
 

 

 

 絵文字よる般若心教
 


 ◎ 比治山神社
元は黄幡大明神と称し、正保3年(1645)比治山南の谷から現在地に移り
  勝楽寺の鎮守社となる。
  ご祭神:大国主命、他四神
  明治元年、神仏分離の際に「比治山神社」になった。
  
 

 「お宮参り」「結婚式」が行われていました。
 

 


 ◎ 段原骨董街
   かっては全国に名を馳せた骨董街ったが、再開発により昔の面影はない。
 

 

 ◎ 明泉寺
  385年の歴史が伝えられるお寺、(1620年に建てられた。)
  浄土真宗  被爆山門 → 爆心地から1900m
 

 ◎ 山王神社
  正保3年(1646)に、猿田彦大明神を奉斎したのが始まりと言われる。
  平成14年に、奥州藤原家縁の神社る福島県の  ”光照山王神社”の発祥本宮
  であることが、古文書古により判明一段と注目される事となる。
 

 

 御神木 「山王松」の切株。
 


 
 (急坂を上り、比治山御便殿跡広場にきました、イベントが行われて賑やかでした)
 ◎ 御便殿跡広場
  現代彫刻 ”テクテクテク” 
       作:茂上 壽之
  人口の滝 ”壁泉” ポルトガルから運ばれた石で制作
 

 



 「皇太子殿下御展望の碑」(昭和天皇)
 「大典記念」  他・・・
 

 

 


  広島市まんが図書館 → 前身は、青空図書館、平成9年 まんが図書館として開館。
  

  「笛吹少年」 → 作:船越保武  昭和58年2月
 

 
 ◎ 野外展示場
  現代美術館周辺の広場に設置された彫刻群
  「 Head 」 作:フィリップ・キング
 

  「小さな鳥」 作:フェルナンド・ポテロ
 

  「地球電話・広島」 作:岡本 敦生
  

  「根香」 作:空 充秋 
  

  「ヒロシマー鎮まりしものたち」 作:マグダレーナ・アバカノビッチ
 


 ◎ ムーアの広場
   谷貝彫刻 ”アーチ”  作:ヘンリー・ムーア
        昭和62年12月設置
 


 「現代美術館」 立ち寄りませんでした。
 


 ◎ 彫刻の丘
  「安芸の翼」 作:澄川喜一  昭和63年3月
 

  「疾風フラッシュッバック」 作:野田正明  平成23年3月
 

  「私たちの星」(風のサーカス) 作:新宮 進 昭和63年12月
 


 ◎ 雲霓橋
   立体交差点の橋(跨道橋)
 

 


 12:15
 ここで、午前の散策は終わり、各自昼食にしました。
 私たち3名は、近くのベンチでお弁当にしました。
 
    続きます・・・

  
  
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ひろしま歴史街道散策くらぶ(10月散策会)に参加! 3

2019-10-18 22:34:00 | ひろしま歴史街道散策会
 
 さらに続きます。
 ◎ 桐原山 正明坊 品窮寺 (ほんぐうじ)
   仏護寺十二坊の一つであった。
 

 

 


 本堂で「阿弥陀如来」を拝み、境内の「親鸞聖人像」を拝みました。
 


  「水害記念碑」 → 昭和3年の水害についての碑。
  高さ120cmの花崗岩の石柱である。
 

  生け垣も「船形」です。
  地面の「ヒメツルソバ」も広がっています。
 

 


 「菱正宗」 → 可部で2軒目の酒造元。
 

 


 ◎ 中川醤油店 → 大正10年頃、合衆国から帰国して醸造業を始めたと言われる。
  

 


 ◎ 明神社
  ご祭神:市杵島姫命
  江戸時代の初期、可部の豪商・立田屋屋敷神を祀ったのが始まりだと言われる。
  

 

 狛犬は子供を抱いている。
 


 「一等水準点」→ 明治31年、測(量)図に載る海抜21,67m(当時)の水準点
 

 


 ◎ 明神公園 → 舟入堀跡
  太田川の舟運の基地となった船着場で巾2間、長さ10町あまりの専用堀割で
  太田川と連絡。
  

 

 


 「鉄灯籠」 → 可部の鋳物業が盛んであったことを物語る。
 

 


  
  午後、17:15
  最終見学地、日も暮れかかり、雨はやみましたが、「交流会」に行く人と別れて
  可部線「広島駅」行きで帰路につきました。
  以前、回ったところもありましたが、雲石街道をめぐりました。
  12000歩くらい歩いていました。   
  皆さん、お疲れ様でした。
   
                ー END ー

  
  
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ひろしま歴史街道散策くらぶ(10月散策会)に参加! 2

2019-10-18 16:44:20 | ひろしま歴史街道散策会
  
   続きます。
  ◎ 紫雲山 圓明院 願船坊
   浄土真宗本願寺派
   天保元年(1644)「憎頓」なるものの時に真宗本派に流転。
   延享3年(1746)「聞隆」大谷派本願寺に転流して願船坊を創設、
   明治12年(1879)願船坊の名称は公称となり、現在に至る。
 

 

 

 
 がんす言葉
 ”可部の願船坊にゃ 聴聞が願すか
  願しゃ願すと話が願しようが 願船けぇ願船ので願しようて ”
 

 (子供のころから祖母たちから聞いていました)

 「大文字山」 → 3年に一度点灯される。
 


 雲石街道の古民家の2階の「スリガラス」は珍しい。
 

 蔵の並ぶ街道筋。
 

 「可笑屋」
  可部の街歩き観光の拠点。
 

 一つ目の「折目
 高松山城主、熊谷氏が城下の防衛ために折れ曲がった道路形態にしたわれる。
 

 「趣のある小路」
 

 女優の「戸田奈緒」さんの家。
 


 ◎  金剛閣 勝円寺
  真青院大瀛和上御遺跡
  

 

 

 「木坂文左衛門の墓」
 木坂文左衛門は、幕末、天保通宝(百文銭)の鋳造図り、偽金作り、一人で罪を被った。
 

 「ひげ地蔵」
 

 


 胡子神社 → 市神島姫命、 芸藩志に記載がある。
 (第2の折目)
 

 

 警鐘台跡 → 現在石積みの土台が残っている。 
 (可部貯蓄銀行)芸備銀行と合併して現在の「広島銀行」となる。
 


 雲石街道 (石見銀山へ通ず)
 


 道標 → 標識に「手」があるのは大正時代のもの。
 


 小雨が時折降りましたが、
 まだ続きます・・・


 
 
  
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ひろしま歴史街道散策くらぶ(10月散策会)に参加! 1

2019-10-18 11:26:30 | ひろしま歴史街道散策会
 ひろしま歴史街道散策くらぶ散策会(雲石街道と可部宿)に参加!
 令和元年10月17日(木) JR可部駅集合後、バス移動  15名参加
   案内人  佐々木卓也 指南役  
 
 散策経路
友貞神社~可部牛馬市跡~願船坊~街並み~折目~圓勝寺~品窮寺~
  明神社~明神公園


 可部駅からバス移動で、
14:00
バス停、可部中学校前から散策です。
 国道54号線 (広島市役所から18km)地点。
 

 
 ◎ 道標
  (謂れは聞き逃しました)
 

 
 古い蔵が沢山あります。
 

 可部、旧雲石街道
 

 ◎ 横川橋
  橋の下は「南原川」
  川の右側辺りを「三入の庄」左側を「可部の庄」と言われる。
 (可部の地名の謂れは、律令制のころ、税を徴収する単位を郷と云い、可部の辺りは
  「漢弁(かべ)郷」と言われていたことに由来します)
 


 何故か、「秀吉五三の桐紋」の蔵。
 

 ◎ 道標 
  旧出雲・石見街道分岐の道標
      (左側、旧石州街道)
 

 旧出雲街道。
 

 高松山 → 高松城跡
 

 ◎ 友貞神社
  ご神体 :市杵島姫命。 
       上中野村の八幡宮だった。
  

 

 そばの神仏習合の「お地蔵さん」
 

 
 ◎ 稲荷神社
  ご神体:倉稲魂命。
  農耕の神、稲荷(ダキニ天)信仰と習合し境内前に牛馬市場あり商人も参拝し 
  繁盛した。
 

 

 「縦長屋」?  (案内人曰く)  
 


 ◎ 旭鳳酒造
  明治初期の蔵、数々の金賞受賞。
  試飲を皆さん楽しまれました。
  「ひやおろし」が人気の様でした。
 

 

 

 

 出雲街道。
 


 安佐北区総合福祉センター内の、「可部公民館」でトイレ休憩です。
 

 

 


 窓の外の向かいの山に「南原ダム」が見えて居ました。
 
    続きます・・・
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「第二回 山頭火展」を覗く!

2019-10-16 15:20:50 | イベント
 今日の朝、牛田クリニックの帰路、通りかかった「古民家ギャラリー うした Pカフェ」
 を覗きました。
 折しも、「第二回 山頭火展」(10月8日~20日)が開催されていました。

 

 



 「種田山頭火 = 明治15年、現山口県防府生まれ、昭和15年没」
 俳人 = 自由律俳句という短い句に描写される。
 ” 分け入っても分け入っても青い山 ” が私の中で印象に残っている有名な句です。
  


 オーナ-の女性から説明を聞きました。
 句友の「大山澄太」が牛田早稲田に住んでいたころに「山頭火」が訪ねて来た時に詠んだ
 句だそうです。
 山頭火直筆の -このみちー 万年筆書きだそうです。
 


 オーナーが「帯芯に草木染で描いて居られる作品」でした。
 

 

 

 

 


 早稲田、二又土手は当時、ハス畑だったそうです。

 
 「仏通寺」の作品もありました。
 

 

 


 句友、大山澄太が住んでいた「屋敷」は今も現存だそうです。
 


 オーナーからいろいろ聞きました。
 久しぶりに山頭火に触れられて楽しい時間でした。
 カフェですので、新作との「りんごジュース」を頂きました。
 
 


 すっきりした美味しいものでした。
 
 
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「ひろしま夢ぷらざ」 にて・・・

2019-10-15 15:59:35 | 日記
 今日の朝は、所用で八丁堀に出ましたので、本通りを歩きました。
 「ひろしま夢ぷらざ」に立ち寄りました。
 きょうは、三次市から三和町が店頭出張販売です。

 

 

 


 野菜も安かったですが、目に付いた「かしわ餅、お餅」をゲットしました。
 


  風が吹いて寒かったです。
  早々に退散しました。

 
  帰路に見た「ムラサキシキブ」「 ? 」の花です。
  風に揺れてスマホで撮り辛く苦労しました。

 


 


 

 

 
 赤い花は何でしょう?

 
 

 
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「第41回 歩け歩け大会」に参加!

2019-10-14 19:05:15 | イベント
 爽やかな秋空の下、歩け歩け大会に参加しました。
 今年で41回目、
 国宝「不動院」、9;00集合  20名の参加でした。
 太田川沿いに「平和公園」までウオーキングを楽しみました。
 


 
 太田川沿い、牛田ランニングコース、途中、休憩を取りながら、白島ランニングコース。

 


 
 

 

 

 
 歩くこと1時間、10:00に「広島中央公園」に到着です。
 

 真ん中の芝生自由広場は、「サッカー球場」が建設予定です。
 


 土手の下芝生広場では、「サーフボード」の競技大会が行われていました。
 太田川(本川)には、選手がスタンバイしています。

 

 

 
 本川の河川敷を歩き、相生橋をくぐり、「原爆ドーム」到着です。
 

 

 外国の観光客が大勢でした。
 


 


 休憩をとって、いよいよ最終目的地の「平和公園」に到着しました。
 「佐々木貞子おりずるの碑」、「慰霊碑」です。
 

 

 

 


 11:00
 原爆資料館東館着、「お弁当」を支給して貰って、一応ここで解散でした。
 参加した我々4人は、ベンチでお弁当の「おにぎり、パン」を頂き、早めの昼食でした。
 リニューアルされた「原爆資料館」を見学しようかという意見もでましたが、
 歩き疲れたので帰路につきました。
 健脚家は又、来た道を歩いて帰るそうです。
 12000歩、7kmのスマホの歩数計です。
 皆さんお疲れ様でした。
                          ー END ー    
 
 
 
 
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