かごめかごめの真実とは

空海様が私に教えてくれた秘密の暗号

雨天決行です!

2021-08-12 05:53:14 | かごめかごめの真実とは

2021年8月12日(金)

このお盆休みを利用して、前々から登ってみたいと思っていた香川県坂出市の飯野山讃岐富士)の探査を13日~14日に行うことにした。

そして泊まるところは飯野山の磁北方向に位置する岩黒島に決めた。

「私はどうして岩黒島に泊まることになったのだろう・・??」と思い、全てに意味があると思う私はその理由を探し求めた。

そこでまず最初に、岩黒島とイエス・キリストの墓とを結んで、二等辺三角形を描くポイントに何があるのかを求めた。

すると・・、岡山県備前市日生町日生に『鶴島』が現れた。

他にも鳥取県大山町大山の『弥山』、岡山県津山市久米川南の『糘山』がある。

これはもう、空海コードが正しいことを教えていると思えた。

それで次は、『岩黒』という文字に何か意味があるのではと思い、『岩黒』で検索すると、愛媛県西条市西之川に『岩黒山』という場所にブルーの旗が立った。

これはもう、『岩黒島』と『岩黒山』とは大いに関係していると思い、この2点と二等辺三角形を描くポイントを見つめていくと・・!

なんと、正三角形を描く広島県東広島市福富町久芳のポイントに『虚空蔵山』があった。

もうこの思考が正しいことを教えてくれる。

そうすれば、次に何が飛び出すか、気持ちは先を急がせます。

すると・・愛媛県上島町生名に、またまた『鶴島』が在ります。

そして、このかごめの物語の最初の頃に三つの十字架を描かされましたが、一番大きな十字架の交点にあった弓削島の『古法皇山』の存在も在った。

ここまで来ればもう、完全に空海コードであることが分かります。

そうすれば、もう次は、『鶴島』と『鶴島』の二点と二等辺三角形を描くポイントに何があるのかを探します。

・・するとそこは、岡山県倉敷市連島町西之浦に『弁財天』と言う地域名がありました。

又、「鶴島」と言えば・・、地図にこそ今はありませんが、邪馬壹国(邪馬台国)への船の航路で、20日で着く港『大門』への入口に『鶴島』『亀島』がありました。

この『鶴島』が、『岩黒島』と愛媛県上島町生名の『鶴島』までが凡そ同距離にあることも何かを訴えてきます。

これはもう、間違いなく『岩黒島』が重要な島であることを私に教えていて、「どうぞ来てください。どうぞ泊まっていってください。美味しい料理とお酒を用意していますから・・」と、目に見えない何者かが訴えているようです。

‥ですので、天気予報が雨でも、その日その時にそこへ行くことが求められていると思いますから、「雨天決行です!

 


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金鳥山が教えるものとは

2021-01-29 06:06:06 | かごめかごめの真実とは

2021年1月29日(金)

丹後半島にはモーセの墓がある。

また丹後半島には徐福の墓も存在する。

その徐福の墓から讃岐富士までと日和山までは、201㎞、202㎞と略同距離で二等辺三角形を描いています。

そして、モーセの御霊を慰霊する地下神殿があるのではと思う場所が神河町にある。

そのポイントと讃岐富士と金鳥山とは基本形である2:1:√3の直角三角形を描きます。

下の図形は単純で明快な図形です。

綺麗です。

金鳥はモーセの御霊の甦りを暗示しているのか。

不老不死の世界があることを教えているようです。

この図形のポイントに、ひょうたん宝珠が浮かび上がるように配置されている。

この日本の秘密と神仕組みを世の人々が知るときが来ることでしょうが、それはもっともっとこの世が夜明けの晩にならないと理解できないことでしょう。


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讃岐はエジプトより大きなピラミッド都市かもしれない

2021-01-18 06:06:06 | かごめかごめの真実とは

2021年1月18日(月)

どうして天武天皇の墓は、奈良吉野の衣笠山に決められたのか?

どうして光明皇后の地下神殿は、兵庫県養父市の光明山の位置に決められたのか?

本当の墓は、古代豪族たちが暮らした場所にある古墳との結びつきを三角法で決められていることは理解できていたが、決定的なもの、心に響くものを見つけることはできないでいた。

それが・・、昨日ヒストリーチャンネルの古代宇宙人の謎を見ていて、世界中にピラミッドがあって、どうして日本にはないのかと不思議に思った。

私は、日本列島にはピラミッドだらけと思っているが、立証されたものは一つも無いと言うことだと思っている。

それで、エジプトのピラミッドから連想して脳裏に浮かぶのは、香川県讃岐一帯の綺麗な山々でした。

特に一番大きのが、讃岐富士と呼ばれる飯野山である。

おそらくあの山を初めて見た人は、「ピラミッドだ!」と思うのではないだろうか。

それで、讃岐富士と天武天皇の墓と光明皇后の地下神殿の三点を結ぶと、綺麗な二等辺三角形を描いているではないか。

また、聖地神河には、女王卑弥呼の陵墓の東に位置する笠形山が一つのベンチマークの山として存在しているが、その笠形山と讃岐富士と天武天皇の墓である衣笠山も綺麗な二等辺三角形を描いていた。

讃岐富士は、単なるベンチマークマウンテンなのだろうか・・??

讃岐富士や、近くに点在する綺麗でシンメトリーな山々とを結んで、三角法での図形を描くと、見事に直角三角形や二等辺三角形を描く位置にあって、又、これらの山々が瀬戸内海の北に位置する古墳(ピラミッド)と思われる山々と繋がっていることが分かった。私は時間を見つけて、讃岐富士やその近辺の綺麗な山々に登って見たくなりました。

私がテラファイトコアのゴールドとシルバーを使って出来上がった地中探査器で調べてみたいと思います。

山頂で地底空間の反応を見てみたいと思います。

もしかすると・・、讃岐はエジプトより大きなピラミッド都市かもしれない。


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イエスの四男、第四代懿徳天皇の陵墓へとやっと行くことができました

2017-08-27 07:07:07 | かごめかごめの真実とは

2017年8月27日(日)

 8月12日(土) 懿徳天皇の陵墓へやっとお参りすることができました。 武部さんに感謝です。

8月1日、丸亀からスタップサロンにやってこられたMさんが、ピラミッドが・・ 飯野山が・・ 」とメッセージを届けに来られて、お盆までには行かなければと思っていましたから、やれやれです。

Mさん、行ってきましからねぇ~! 

蘇我入鹿のルーツをたどれば、仁徳天皇、応神天皇、女王卑弥呼、第四代懿徳天皇、大国主命=イエス・キリスト・・・・モーセ と教えています。

卑弥呼の陵墓は、こと座のベガでしたが、そのこと座のβ星にあたるところが、懿徳天皇の陵墓です。

この陵墓と蘇我入鹿の墓とモーセの陵墓の3点は、3:4:5の大矩を描きます。

又、イエス最期の地である備前の穂波から讃岐富士と呼ばれる飯野山までと、懿徳天皇の陵墓までは全く同距離で二等辺三角形を描きます。

加古川生まれの懿徳天皇の陵墓から36度方向にイエス様の陵墓も綺麗に目の前に見えました。

ここから王家の方々が眠られる山々が沢山見えます。 いつまでもいつまでも居ていたいと思わせる綺麗なところでした。

本当に、Mさんと武部さんに感謝いたします。

       

   

       

 

 


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64番札所前神寺へ行かされた訳とは

2016-05-16 11:47:16 | かごめかごめの真実とは

2016年5月16日(月)

 14日(土)は、神河町の新田ふるさと村の東1.6㎞に位置する奥山へと行って、それから福知山市にある重要な霊山へと行きました。

そして昨日は愛媛県伊予西条市へと行きました。

徳島市在住の知人から、脳梗塞で倒れて西条市の病院に入院していてので来てほしいとのことでしたから新幹線と特急列車で行くことにしました。

病院へと着くと、「Mさんは夕方の7:00まで外出中です」との事でした。

それで・・、私は考えました。

どうして前日、強行的に二つの山に行ったのか?

どうして今日、伊予西条市へと来たのか?

どうして私を呼んだ知人は、徳島市に住んでいるのに伊予西条に入院したのか?

そしてその本人はどうして病院に不在なのか?

どうして昨日、今日と性急な動きなのか?

このようなことを考えると、即、答えは閃きました。

間違いなく見えない方々に動かされていることに気づきます。

それで伊予西条駅まえから、帰りの特急の時刻を確かめてタクシーに乗ることにしました。

「空海様に関係するお寺か神社に連れて行ってください」と言うことで、連れて行ってもらったところが、四国八十八か所の第64番霊場 前神寺でした。

前神寺では大師堂で手を合わせ、その建物の向きがどちらなのかをおおまかでも知らなくてはなりません。

この日は山へは行かないと勝手に決めつけていましたから、コンパスグラスもカメラも持ってきていませんでしたが、太陽の位置で大まかに確認しました。

今日国土地理院地図とグーグルアースで推測するには、奈良県にある玉置神社に向かって祈るように大師堂は配置されていました。

それと、車窓から見えた山でやはり印象的だったのが、讃岐富士と呼ばれる飯野山でしたから、

これらの山山が何を教えるのか地理院地図にポイントを落としてラインを引くと、素晴らしいことを教えてくれました。

それは見事な2:1:√3のピタゴラスの三角形は王家の陵墓や、それらを教える重要な霊山などを知らしめていて、一番札所の位置決めも教えていました。

やはり・・、伊予西条市へと行くようにと、目に見えない方々のお導きでした。

そして、前神寺の近くの墓地にあった墓石に彫られていた家紋のほとんどが、違い鷹の羽でしたが、これの意味も大事なことを教えてくれているようでした。

伊予西条市と言えば、やはり石鎚山ですが、麓の石鎚神社へも行ってきました。

行かされて教えられる霊山や神社やお寺の作りから確実に教えられることは、間違いなく生野、神河町にある王家の人々の陵墓や祈りの地下神殿です。

役行者や行基、和気清麻呂や最澄様、そして空海さま達は、間違いなくこの国の礎を築かれた方々の陵墓や遺構や、現代の私達に伝えたかった事もみなご存じでした。

さぁ、いつまでこのことを知らんふりしてやり過ごそうとするのか・・。

邪馬壹国(邪馬台国)の謎も完全に解けたと私は思っています。

 

 

 

 


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雄山と雌山と飯野山は巨大な方位石かもしれません

2014-07-07 13:58:27 | かごめかごめの真実とは

2014年7月7日(月)

瓶壺と亀壺に行って教えられたことは・・・。

讃岐富士と呼ばれる飯野山から、おむすびのような雄山と雌山とが重なる部分を見通した先に寿老人と呼ばれるお爺さんのお墓があることを教えているようです。

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飯野山

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