かごめかごめの真実とは

空海様が私に教えてくれた秘密の暗号

岩神神社の巨大な磐座は、聖徳太子=蘇我入鹿の墓と天武天皇のお墓である衣笠山を遥拝する浄見原神社の方角を教えている

2019-06-17 06:06:06 | かごめかごめの真実とは

2019年6月17日(月)

私は今までこれほどに大きくて重要な方位を教える見事な磐座を見たことがない。

岡山県赤磐市の岩神神社の磐座も重要な場所を教える立派な方位石でしたが、奈良県吉野町矢治の岩神神社の磐座は圧巻である。

私はコンパスグラスで計測してきた角度を地理院地図に落とし込んで、岩は何を私達に教えているのかを調べると・・・。

もう見事である。

向かって一番大きな面は、コンパスグラスで337度である。

この角度の方向には、大和郡山の松尾寺の補陀落山である。

ここには、聖徳太子=蘇我入鹿の墓がある。 

又、向かって右手の面は90度である。

この方角には、天武天皇の墓である衣笠山の麓の清谷寺を教えている。

そして、向かって左端には岩が割れているが、この割れが教える角度は64度である。

この方角には、天武天皇の墓である衣笠山を遥拝する浄見原神社がある。

又、浄見原神社がある山の三角点も64度に位置していて、その三角点と岩神神社の磐座と、天武天皇の墓である衣笠山の三角点は、見事にケプラー三角形を描いている。

岩神神社の磐座から1.74㎞東に天武天皇の墓、西に1.74㎞に宮滝遺跡

この地域の神社やお寺も計画された配置になっている。

そして、天武天皇のもとで古事記や日本書紀の編纂に携わった藤原不比等の墓と、天武天皇の墓と平安京建設に大いに関わった秦河勝の墓の三点も、ケプラー三角形を描いている。

又、天武天皇の実母である斉明天皇の墓(比定されている天皇陵ではない)と、天武天皇の墓と、高野山の弘法大師廟は、見事に2:1:√3の直角三角形を描いている。

これらは、全て計算されつくした位置決めになっている。

そしてそれらの墓は、全て兵庫県神崎郡神河町南小田の標高836m地点にある、大国主命=イエス・キリストの本当の墓に繋がるように三角法で霊ライン網が構築されている。

そしてこれらは、時代と共に幾重にも幾重にも賢者達の墓が三角法で重ねられている。

岩神神社の磐座は、天武天皇の墓とその父である蘇我入鹿の墓を教える重要な方位石である。

この磐座を造らせたのは、天武天皇の産みの親 斉明天皇である。

 

 

 

 

 浄見原神社から見る天武天皇が眠る衣笠山は、雄大で実に美しく愛おしい・・!

 

 


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天武天皇のお墓である衣笠山へと登頂

2019-06-15 06:06:06 | かごめかごめの真実とは

2019年6月15日(土) 吉野宮へ その5

 浄見原神社を後にしていよいよ衣笠山へと向かいました。

今日中に母斉明天皇の墓へも行かなくてはなりませんから、ゆっくりしていたい場所にもゆっくりできませんでした。

目指す登り口はすぐそこなのに、通行止めの立て看板が立っていました。

それでぐるっと車は表示されていた迂回ルートをたどることになりました。

上るルートは、衣笠山の南に位置する大蔵神社からと決めていました。

武部さんが選んだルートは、コンタラインが密になった急斜面で、磐座を見ながら一気に尾根へと登りつめ、目指す山頂点へとたどり着きました。

山頂点手前で、切り立った大きな岩にわざわざ大きな岩をせりだささせたような見張り台でもあり、龍神岩とも呼べる形の磐座も目を楽しませてくれました。

「ここが天武天皇が埋められた場所かぁ・・」と、感慨深いものが私にはありました。

早速簡単なお供えをして、「君が代」を歌って天武天皇への挨拶としました。

以前は君が代を歌うのをためらっていたという武部さんですが、今は自然と自らすすんで「君が代」を歌う人へとなられたようです。

武部さんが両手を広げたり、歌を歌いだすと不思議と風が吹き出します。 これはもう100%そうなる不思議さをいつも感じます。 何なのでしょう・・?? お供えものはその場で必ず口に入れることにしている私です。この世で食べる、味わうという行為は、見えない世界の人達が私達の身体を使って、味わっていると私は常々思っているので、必ずそうしています。

武部さんは車の運転をしてくれているので、私が少しだけお酒も口に含みました。

武部さんは、山頂点のすぐ下で、人工的に造ったと思われる祠を発見しました。

「祠は、浄見原神社の方角と見事にピッタリです」と声が弾んでいる武部さんでした。

ここもゆっくりすることなく、下山となりました。

 

     



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泊まったお宿は 宮滝温泉 まつや

2019-06-10 14:51:13 | かごめかごめの真実とは

2019年6月11日(火) 吉野宮へ その2

8日(土) 武部さんとの待ち合わせ時間は、夕方の6:00に吉野神宮駅でした。

私たちは、神戸を15時頃に出てJRを乗り継いて、大阪阿倍野橋から近鉄南大阪線特急・吉野行に乗って、吉野神宮駅に着いたのは17:23分でした。

改札口を出ると、もう武部さんが待ってくれていました。

「武部さん、途中でコンビニに寄ってもらいたいんですが・・」と私。

翌日、天武天皇の墓と母、斉明天皇の本当の墓に行くのに、墓守をしている方々に日本酒と甘いものでも持って行かなくては・・、忘れては大変です。

コンビニに寄ってから、準備万端で武部さんが運転する車は、目指すお宿の広々とした駐車場へと吸い込まれる様にして止まりました。

泊まったお宿は 宮滝温泉 まつや さんでした。 これもドラマの設定のお宿だったようです。

「先にゆっくりお風呂に入られるでしょうから、その後7時から夕食になります」・・と、2階へと上がって右手の「滝」の間へと案内されました。

田中さんはその右手の「鴨」の間でした。

私は、窓から見える景色のどのあたりの先に天武天皇の墓が位置するのか、又、かすかに山の頭頂部だけでも見えないかと、楽しみにしていました。

・・ので、部屋に入るなり少々興奮気味に外を眺め、リュックから愛用のコンパスグラスを出して、事前に地理院地図から求めていた凡そ100度の方角を見つめました。

「ああ~~、やっぱり山影になっているなぁ・・」。

・・でも、それまで数日、雨模様が続き、その日もどんより曇り空でした。

それが、突然私たちを祝福するかのように、おそらくその日初めてで最後の光を天武天皇の墓を遮っている山あたりに、明るい陽射しで照らしてくれました。

自然のいとなみにも意志があるといつも思う私です。

感動の瞬間でした。

そしてその風景を又又、お風呂から静かに眺めていました。

「明日、そちらへ向かいます・・」と。


食事は、新鮮な、アユ、あゆ、鮎料理。 

泊りの客は、私たちだけで、でも整然と並んだテーブルとイスを見ていると、あたかも共に過去の人たちが並んで座っているような気になりました。

屏風が立てられた前の席には天皇が座っていて、私たちは宴席に呼ばれているような・・、武将たちがずらりと並んでいるような・・。

「お料理はお口にあいますでしょうか」

「とっておきの地酒もご用意させました。八咫烏です、どうぞどうぞ・・」

「いや~~、実に美味しいですねぇ!私は鮎が大好物でして・・」

「それは好かったぁ、どうぞおかわりを!」

「甘えて良いんですか!?」

「どうぞどうぞ、いくらでも召し上がってくだされ沢山用意していますから・・」と聞こえてくるようで、私たちは天皇の宴席に招かれたようでした。

・・すると突然女将さんが、

女将さん:「ここには昔、宮がありましてね、持統天皇も31回ほど通われているんですよ」

私  :「えっ! 持統天皇が31回もですか!」

女将さん:「そうなんです、近くに宮滝遺跡もありますよ」

私  :「そうだったんですかぁ!私たちは、天武天皇のお墓参りに来たんです」

女将さん:「???????」

私  :「天武天皇のお墓は、ここから東に見える谷合の向こうの山の裏にあるんです。持統天皇が何度も来られたことも納得できます」

女将さん:「そうなんですかぁ、謎がいっぺんに繋がりました」

・・事前に宮滝がどんな歴史ある舞台とも何も知らずに来て、凄い情報を聞かされて、感動が確信となってゆく素晴らしい瞬間でした。

女将さん:「ではごゆっくりと・・朝食は7時にご用意させていただきます」

・・と、その後突然、私が箸入れに書かれていた歌の内容をいろいろ聞いていたのでと、

ご主人 :「有名な先生が作られた歌です、私が歌わせていただきます」

・・と、それこそ昔は宴席には歌はつきもので、間違いなく古代天皇たちの宴席に呼ばれたようでした。

そのような思いで周りを眺めると、間違いなく向こうの中央には天皇が居て、武官たちが居並んでいて・・、静かな山深い宮滝の里に、いつもと違う明かりが灯り川の流れの音に弾んだ宴の声が響きあっていたことでしょう。 つづく

                    

まつや さんの家紋は、日本十大家紋と呼ばれる有名な家紋の一つの「片喰紋(かたばみもん)」から派生した「丸に剣片喰紋」でしたね。

 

 

 


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我国の礎と国家発展に大いに貢献した 秦河勝 天武天皇 藤原不比等が眠る墓の三点は、ケプラー三角形を描いている

2019-06-08 04:36:54 | かごめかごめの真実とは

2019年6月8日(土)

「私のこと覚えて居られますでしょうか・・」と。

話していくうちに、3月の初めに偶然ではあり得ない情報を届けてくれたメッセンジャーの長谷川さんからでした。

要点は、

「何かお釈迦さまからの神託はありましたか」

黒川温泉の大明寺へは行かれましたか」

「吉野の浄見原(きよみはら)神社は知って居られますか」・・などなど、話されます。

私は、神様からのメッセージだと思い、電話を切るなり地理院地図とにらめっこすると・・!

それはもう、間違いなく藤原不比等君からのメッセージだと分かりました。

ですから答えはすぐさま出ました。

・・・と、5月11日のブログに書きましたが、 完全にノックアウト! ガ~~ンです。

大明寺から藤原不比等のお墓と、秦河勝のお墓である生島までは同距離に位置しています。

不比等の墓と天武天皇の墓と岐阜県にある大山白山神社は、綺麗な2:1:√3の基本形である直角三角形を描きます。

飛び切り驚かされるのは、我国の礎と国家発展に大いに貢献した 秦河勝 天武天皇 藤原不比等が眠る墓の三点は、ケプラー三角形を描いていることです。

これはもう異論の余地はありません。

日本の本当の歴史を教える為に、彼らは営々と最後自分が眠るお墓の場所を、現代のカーナビにも劣らない精度で位置決めをして、意味ある直角三角形や二等辺三角形などの組み合わせで、意味やルーツを辿れる様にしています。

彼らは位置決めに妥協していませんから、すぐにそのお墓の場所にたどり着けます。

先ずは今度の日曜日、天武天皇のお墓へと行って、その日のうちに母である斉明天皇の本当の墓へと天武天皇をお連れせねばなりません。

時間があれば、大日如来の池がある百済寺へも行って、空海さまにご報告せねばと思っています。

驚きのメッセージを届けてくださった長谷川さんに感謝いたします。

 

 


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