2019年7月20日(土)
「壬申の乱の謎解き」をしなくてはならないところに差し掛かったようです。
天武天皇を語る時、今までに明らかにされていないことを大地に記された図形から辿らなければ答えは見出せません。
それは、卑弥呼の時代まで遡らなければ解けません。
その重要なカギを握っているのは、「一大率(いちだいそつ)」の存在とその拠点にあるようです。
2019年7月20日(土)
「壬申の乱の謎解き」をしなくてはならないところに差し掛かったようです。
天武天皇を語る時、今までに明らかにされていないことを大地に記された図形から辿らなければ答えは見出せません。
それは、卑弥呼の時代まで遡らなければ解けません。
その重要なカギを握っているのは、「一大率(いちだいそつ)」の存在とその拠点にあるようです。
2019年7月1日(月)
真言宗豊山派 大慈山乙訓寺(だいじざんおとくにでら)は長谷寺の末寺で、推古天皇の 勅願で聖徳太子が開いたといわれる乙訓地方最古の寺です。
延暦4年(785)に長岡京の 都造りの中心人物であった藤原種継(たねつぐ)暗殺の疑いで早良親王が幽閉された寺でも あります。また、弘仁2年(811)には空海(弘法大師)が別当に任じられ、訪れた最澄と 密教について法論を交わしたとされています。 ・・長岡京市観光協会webサイトより
乙巳の変で殺された蘇我入鹿は聖徳太子として崇められました。
その暗殺の宮に居た、のちの斉明天皇の子が天武天皇です。
そして・・天武天皇の父こそ蘇我入鹿なのです。
蘇我入鹿の墓は松尾寺の補陀落山でしたが、その松尾寺から乙訓寺までの距離と天武天皇の墓である衣笠山までは共に凡そ34㎞と同距離です。
この二等辺三角形の図形を「見よ!」と言ってます。
蘇我入鹿の墓には、法隆寺の西円堂から手を合わすように設計されていました。
愛した男性が目の前で殺害されるという乙巳の変はあまりにも惨いショッキングな場面です。
この場面にこそ歴史の真実がありました。
蘇我入鹿を暗殺したのは、これまた斉明天皇の子である中大兄皇子(天智天皇)と中臣鎌足(藤原鎌足)です。
歴史では天智天皇の弟が天武天皇となっていますが、実はその逆が真実ということです。
天武天皇が天智天皇より先に生まれています。生みの親は同じですが、父親が違うのです。
天智天皇と藤原鎌足の利害関係は完全に一致していました。
ですから、その後の壬申の乱は起こるべくして起きるのでした。
蘇我入鹿は、マリアの墓やイエスの陵墓や生野の地下神殿など全て知っていましたね。
下の図形も綺麗な二等辺三角形を描いています。
2019年5月3日(金)
グーグルマップで「鎌ケ岳」と検索をすると、滋賀県甲賀市土山町にも鎌ケ岳がありました。
それで、地理院地図で、京都府南丹市の鎌ケ岳と滋賀県の鎌ケ岳との関係から何を教えるかを見てみると・・。
藤原不比等の墓を中心点として滋賀県の鎌ケ岳までの距離76㎞で円を描くと、そのライン上に浮かび上がるのは、法華山一乗寺や赤目四十八滝や龍穴神社の存在が浮かび上がります。
そしてそのライン上の極めつけは、伊那佐山の東南東1㎞地点に壬申の乱で活躍した文祢麻呂の墓の存在です。
文祢麻呂(ふみ の ねまろ)は、書 根麻呂(ふみ の ねまろ)とも書かれたりしています。今日、不比等君の1300年法要が営まれますが、文祢麻呂君も参列されるのかもしれませんねぇ。藤原不比等も文祢麻呂も大王の墓につながる霊ライン網を形成しています。先人たちは自分の亡骸をこの世の最終地点としてどこに定めるかを真剣に考えていました。我が国の真の歴史を後世の私たちに伝える為に・・。
2015年5月22日(月)
ミサイル発射地点は平安南道(ピョンアンナムド)。
北朝鮮は21日午後4時59分ごろ、西部の平安南道(ピョンアンナムド)・北倉(プクチャン)付近から東方向に向けて弾道ミサイル1発を発射した。
高度約560キロまで上がって約500キロ飛行し、日本の排他的経済水域(EEZ)外の日本海に落下した。国連安全保障理事会が北朝鮮への圧力強化を検討する中、核・ミサイル開発を続ける意思を明確にした。
・・と、各新聞報道。
このミサイルの発射地点である平安南道(ピョンアンナムド)は、大化の改新・壬申の乱の時代を生きた天皇達が、天皇家のルーツは平安南道だと、陵墓の位置で教えている。
天武天皇・持統天皇の陵墓の真北に天智天皇の陵墓があります。
そして、第50代桓武天皇の亡骸は、密かに神護寺がある高雄山の山頂に埋められました。
その場所の標高は、428,4m。 桓武天皇は、「シニワシナイ、魂は死ぬことなく永遠だ!」と言っています。
天武天皇・天智天皇、そして桓武天皇へとラインを伸ばして、その先行きつくところが平安南道です。
桓武天皇は、奈良から京都へと遷都しました。 その都を、平安京と名付けました。
平安京とミサイルが発射された北朝鮮の平安。
そしてそのニュースは、私達に日本の歴史と北朝鮮の歴史には天皇家という根幹の部分で大いに繋がりがあることを、その時代の天皇達の御霊が叫んでいるようです。
そのことを後世の人達に伝えるために、第50代桓武天皇も亡骸をその重要な地点に埋めることで教えていました。
北朝鮮を世界の異端児にして、力で打倒することは容易いことかもしれませんが、そのようなことをすれば、その後の世界は、水を失った砂漠と化すのでしょう。
そうあってはなりません。
ここまでくれば、日本の歴史、朝鮮半島の歴史、中国の歴史を正しく知ることを、それぞれの国民が急がなければなりません。
そこには、「AD30年の偽り」を知ることから始まります。
そして、本当の歴史を共有し、ご先祖は共に同じであることを知り、共にご先祖様に手を合わすことから世界の平和は始まります。
その為には、天皇と天皇家の人達が勇気を持って、世界平和への一歩を踏み出さなければなりません。
そして国民は、勇気ある天皇を全力で守らなければなりません。
それができないのであれば、もう・・・・。
2017年4月13日(木)
天武天皇 隠された正体 関裕二 2000年7月5日 初版発行
kkベストセラーズ
最近私は、この本を何度でも読み返しました。 何度でも・・。 そして今も・・・。
この本は、大化改新から壬申の乱、その新事実として、天武は天智の弟でないばかりか、大化改新で暗殺された蘇我入鹿の子であったと言っています。
そして・・、その 蘇我入鹿が聖徳太子である と述べています。
でも、この本の中で、「謎」「なぜ・・」と理解ができないとの文字が頻繁に使われています。
その「なぜ・・」の部分に、旧約聖書の主人公「モーセ」一族と新約聖書の主人公「イエス・キリスト」一族や、ユダヤの10部族と2部族との覇権争いを念頭に入れると、「日本書記」や「古事記」で隠ぺいした真相があぶり出されます。
「かごめかごめ」の唄は、「夜明けの晩に・・鶴と亀が統った」・・・と歌わしていますが、正に今の世の「今」、 鶴=イエス・キリスト 亀=モーセ この統合を成し遂げよ! 言っています。
その何千年もの願いを 「成就」させねばなりません。
天武天皇陵の真北に天智天皇陵があり、その天智天皇陵と桓武天皇の遺体を入れた山を結んだその延長線は、平安南道(ピョンアン)へと行きます。
平安南道は北朝鮮にあります。 そして平安京を造った桓武天皇が眠る山からコンパスグラスで真南の地点を桓武天皇は教えていて、その場所は、鴻の巣山から二等辺三角形を描く地点、その場所が蘇我入鹿の墓だと教えます。
又、その蘇我入鹿の墓と天武天皇の墓・・つまり、父と子の墓を結んだラインの中点から垂線を伸ばした地点、しかもその地点との三点を結ぶと、1:1:√2の直角三角形を描きます。
その大事な大事な地点は、二上山の麓にある「鹿谷寺跡」です。
この大地に記され残されたものは消し去ることはできません。
それは、山であり岩であり磐座であり、そして神社や寺院。 その極めつけが・・、お墓なのです。
それらが全ての真実を教えてくれます。
「小さな嘘はすぐにバレルが、大きな嘘は時間がかかって必ずバレル!」と神様。
2017年3月9日(木)
壬申の乱(じんしんのらん)は、天武天皇元年6月24日 - 7月23日、(ユリウス暦672年7月24日 - 8月21日[1])に起こった古代日本最大の内乱である。
天智天皇の太子・大友皇子(弘文天皇の称号を追号)に対し、皇弟・大海人皇子(後の天武天皇)が地方豪族を味方に付けて反旗をひるがえしたものである。
反乱者である大海人皇子が勝利するという、例の少ない内乱であった。・・・(ウィキペディアより)
・・・
天武天皇陵の真北に天智天皇陵があることは、私には驚きです! 真北なんです!!
この南北のラインに対して、どのような山や神社があるのかを探すと・・、なんと伊勢神宮の北にある「猿田彦神社」があります。
そしてこの3点を結ぶと見事に、3:4:5の直角三角形である大矩を描きます。 ・・ これは間違いなく、基本となる図形です。
そこから導かれる場所が、応神天皇陵です。
猿田彦 = イエス・キリスト です。
なんと、 応神天皇陵から猿田彦神社までの距離と、応神天皇陵から神河町のイエス・キリストの墓までの距離は、102㎞と全く同距離です。
そして・・、猿田彦神社とイエス・キリストの墓を結んだ中間点に、桓武天皇も二度もその場所で祈りをした交野山が位置しています。
又、京都山科にある如意ヶ岳からも綺麗な二等辺三角形を描きます。
これらが教えることは重大です!
猿田彦 = イエス・キリスト であり、応神天皇は、イエス・キリストの直系であることを私達に教えています。
さらにさらに・・これらの基本ラインから桓武天皇の遺体が埋められた場所も導かれていきま~~す。よ!!
・・・
昨日3月8日(水)に、4冊目の図版のレイアウトを矢野さんが完成させて、出版社へと送りました。・・今から出来上がりが楽しみです。
イエス・キリストの墓は、前方後円墳でできています。 その横にはハートの形の山もありました。