2019年10月15日(火)
「椿の種を買い取ってどうするんですか!?」
「はい、古代からの山の再生復活と、聖地神河ならではの特産物を創りたいと思います」
椿の花は、卑弥呼を表す花です。
卑弥呼は、ユダヤのお姫様でもあります。
生野(イヤ)のそばから、御竜車が三つ下る。
九里きて、栗行って、九里もどる。
朝日かがやき、夕日が照らす。
ない椿の禰に照らす。
生野の谷から何が来た。
恵比寿、大黒、積みや降ろした。
伊勢の御宝、積みや降ろした。
三つの宝は、庭にある。
生野の空から、御竜車が三つ下る。
堅かった椿の実がはじけると、ユダヤの紋章の形になります。
そして、月で表現したりもします。今日15日の朝の月です。
2018年10月19日(金)
いつもそうなのですが地元に泊まるということは、ネット上にも出ていない伝承や歴史などを教えてもらえるところにあります。
宍粟市一宮町には由緒ある神社が、伊和神社と庭田神社ということを宿のご主人に教えてもらい、伊和神社は数回今まで行っているので、二日目の目指すポインの道中にあるようなので庭田神社へと立ち寄りました。
先ず私の目に飛び込んできたのは、祭りをしらせるノボリにあったメノラーの神紋でした。
テレビでもとりあげられた元駐日イスラエル大使エリコーヘンもユダヤの紋章だと驚いた徳島の倭大国魂神社の神紋でした。
そのユダヤの紋章をよりダビデの星にしたように想像させるメノラーの紋章でした。
そして武部さんが、「亀石もありますよ」と。
そして・・んん!? ん??
鳥居をくぐって門に立ったとき んん!? 何これ!? ・・なんです。
今まで沢山の神社を見てきましたが、このような配置になっているところは初めてでした。
境内を見せないような造りといいますか、門からは何が見えるか・・本殿でなく、亀石に頭を下げるようなっていますよ。
亀さんに・・。
この亀石こそが大きな日本の歴史の真実を知っていましたねぇ。
亀さんは、コンパスグラスで152度方向を教えていました。
この方向には、十字架の山がありますし、その先には綺麗なベンチマークの山である千鶴山です。
十字架の山は、イエス終焉の地である備前の穂波から神河町南小田山頂にあるイエス・キリストの墓を結ぶライン上にありました。
この亀石と千鶴山とイエス・キリストの墓の三点を結ぶと、3:4:5の直角三角形である大矩が出来上がります。
大矩は、ピタゴラスの三角形の中でも、基本中の基本と言える三角形です。
亀石とイエスの陵墓を結んだラインの先には、キッチリと卑弥呼の陵墓が在ります。
まだその先には・・、間違いなく卑弥呼の陵墓の位置だしをしたと思われる障子岩が在ります。
偶然でしょうか・・。
亀石に手を合わせたら、次は本殿に手を合わせますが、この本殿がどこを向けて造ってあるかと言えば、四国の剣山です。コンパスグラスで206度。
人は何処に手を合わすかと言えば、一宮町福知にある荒神淵の真北山頂608mになりますから、人々はイエスの陵墓を教える大岩の荒神淵に手を合わすようになっていると言って良いでしょう。
もっと言えば、そのラインの先は、円山川の河口にある津居山に行きます。
ここはもう日本海です。
実は
イエス・キリストが最初に日本にやってきたのは22歳の時で、日本海側の現在の津居山湾から円山川を上がってきて生野、神河へとやってきたと教えられていました。
そしてイエスは日本各地、伊勢にも行ったりして28歳で日本を離れ、船でインドまで行って、陸路故郷キルギスへと帰った時は29歳て、そこからイスラエルへ向かいますが着いた時は31歳だったということです。
彼は2年間イスラエルに居て33歳で十字架にかけられましたが、そこで死ぬことなくアカバ湾から船で日本まで運ばれ、太平洋側から四国徳島の剣山に連れてこられて、剣山の西側にある三嶺で傷ついた心と身体を癒したと教えられました。33歳だったということです。
このように教えられていた私でしたから、庭田神社本殿の向きが、兵庫県豊岡市津居山と徳島県の剣山を結ぶライン上にあるのには驚くばかりです。
津居山と言ってもあまり馴染みがありませんが、この近くには最近、海外からの旅行者が急増しているという城崎温泉があります。
もうあまりにも常軌を逸している気さえもしますが、あまりにも出来過ぎているのです。
完璧なのです。疑う余地がないのです。
日本酒発祥の地とされる「庭田神社」には、日本の歴史の真実が秘められているようです。
本格的な相撲の土俵作りをされていました。
行ったその日は、別の場所で日本酒まつりをやっていたので、そこの屋台でお腹を満たすことにしました。
この田んぼの造りも意図して造られています。
川をもっと高度を上げて川の蛇行を全体的にみていくとよくわかります。
そして武部さんも同じことを理解されて居られるように、縦のラインは宝珠岩を教えていますし、その直角方向には、高野山の弘法大師廟がピタリと位置しています。
これは空海さまが、「私がやった!チーム空海でやった」と言っておられますね。
そして・・「宝珠を形どっているんですがね・・」と言っておられますよ。
下の写真は武部さんのブログから・・
ほら、そう見えませんか。 聞こえてきませんか。
下は、円山川の河口にある津居山の地図ですが・・、この島に記された数字が面白いですねぇ。
159. 73 113
・・このメッセージの解読は、
「異国の国から波に揺られてイイーサの王(イエスのことです)がこの地に着いた山だ」と言っておられますよ!
神様はいつも非常に面白くユニークなのです。
2016年5月5日(木)
卑弥呼さんは、どうして椿をこよなく愛したのか? ずっと謎でした。
それが4日、京都の上御霊神社へと行った帰り、やっと分かりました。
上御霊神社正門を出てほどなくして、猿田彦神社がありましたので、御参りしてほどなく歩いた時、椿さんが、「つばき医院だって」と。
私は 「ふ~~ん」と素っ気ない返事。
それからもう一つお寺でも見て帰ろうと歩いているとき椿さんが何か大事なようなものを踏みつけそうになったので私が、「アッ!」と叫びます。
すると椿さんは、とっさに足に体重をかけるのを止めました。 でも少し ガリッ! と音がしました。
・・で、そのものを私は手に取って、「そうだったのかぁ!!」と、思わず興奮気味に言葉が出ていました。
小さいとき、田舎で育った私でしたから何度でも見ているものでしたが、ツバキの実の殻ということはすぐに分かりましたが、その形にに意味があったのだとその瞬間教えられました。
そうです、何かと最近問題になっているスリーダイヤモンド(三菱のマークの原型)の由来である、メノラーの神紋でしたねぇ、椿のカラは・・・。
椿はユダヤを表す花だったのです!!
猿田彦=ユダヤの大王イエス・キリスト=神武天皇=大国主命で、猿田彦神社の塀に「つばき」の看板。
椿さんが、「つばき」の言葉を強調して、そのすぐ後、椿はユダヤの紋章メノラーを意味していたことを教えられるとは・・・。
徳島の祖谷地方に伝わる謎の神楽歌は、聖地神河町の栗のことを教えていましたね。
生野(イヤ)のそばから、御竜車が三つ下る。
九里きて、栗行って、九里もどる。
朝日かがやき、夕日が照らす。ない椿の禰に照らす。
生野の谷から何が来た。
恵比寿、大黒、積みや降ろした。
伊勢の御宝、積みや降ろした。三つの宝は、庭にある。
生野の空から、御竜車が三つ下る。
今日5日は、再び岡山です! これは大変なことですよ~~!!
2015年3月19日(木)
住吉大社と津峯神社と伊勢神宮外宮の三点を結ぶと、住吉大社を頂点とした綺麗な二等辺三角形を描きます。
津峯神社では、古事記にも日本書紀にも出てこない柏姫の命をお祀りしていますと言われます。
云われを聞きますと、ユダヤの紋章メノラー(三つ葉柏)にたどり着きます。・・など以前にブログに書きましたが、それからというものその津峯神社の名前はグーグルアースから消されたままになっていましたが、今日久しぶりにみましたら名前が記載されていました。
・・・?・・・??? ところが、そこには神社の鳥居のマークはなくて、教会のマークが表示されています。 ?????
エエ~~~ッ! 黄金比率の十字架の交点にある推定456tの石がある石の宝殿の生石神社も鳥居のマークではなく教会のマークです。
なんとぉ! 住吉大社も、伊勢神宮の外宮も、伊勢神宮の内宮にも教会のマークがありますよぉ!!
日本で一番最初に造られたという和歌山県有田市の糸賀稲荷神社も教会のマークになっていますね。
おっ!神武天皇陵がある橿原神宮も教会のマークになっています。
厳島神社も・・、京都御所の中の厳島神社にも・・・。 賀茂御祖神社も・・・。
大国主命=イエス・キリスト=神武天皇 であり、初代大王が使っていた聖杯も生石神社の456tの石の下にあり、十字架の交点のすぐ北にある高御位山の北麓にある勾玉の形をした山が、初代大王イエス・キリストのお墓であることをもうそろそろ世界に知らさないといけないところに来ているようです。
イエス・キリストの直系である女王卑弥呼さんの御霊も、それらの全てを知り尽くしていた空海様も今、大いに動かれているようです。
もうそろそろ我国の本当の歴史を表に出さなくては、世界が大変なことになります。
大いに水面下で、大きく大きく何かが動き出したようです。
このことは、現在、グーグルマップだけの出来事です!
2014年2月3日(月)
徳島グランヴィリオホテルを朝食を済ませて出発したのは7:15分で、伊島へ渡る答島港を8:30出港の船には、距離的には十分行けると目論んだ私でしたが、走り出して幹線道路がノロノロの大渋滞です。 行けども行けども大渋滞でした。
グランヴィリオホテルは、私が現在の事務所に入居するときに、「どう思われてもいいですから、私の願いを聞いて方位学の先生に会ってください。名古屋に一緒に行ってください」と知人が強く言うので名古屋まで行ってその先生に出会うのですが、「方位変えをしてからでないとダメです・・」と方位学の某先生に言われて、月に一回、決められた日時の同じホテルの同じ部屋に泊まった記憶に残るホテルでした。
朝食を食べる時に、「時計の針を3分早めなさい!」とどこからとも無く確かに言われたような気がしましたが、「十分です!」と会話していた私でしたが、だんだんとその3分の意味があせりと共に分かってきましたが、大渋滞をどうすることもできずに「なるようになる」という気持ちで開き直ることにしました。
結果、港への入り口を間違えて3分の遅れで港に着いたときには、船が出てしまった後でした。 次の出港は12:30しか在りません。 「それまでどうしよう・・・」
・・
「ファミレスでも探して、ちゃんと誓いの言葉を紙に書きなさい!」と神様が言われますのでファミレスを探して時間をつぶそうと車を走らせても、でもどの方向にもそれらしきお店もありません。
それで幹線道路から外れて車が連れて行ってくれる方向へゆっくりゆっくり走っていると、山の中腹に人工的な御神体山らしき山が見え、導かれるようにそちらへ行くと大きな鳥居が在りました。 でも車はそれ以上進めないような感じなので、道端にいたおばちゃんに尋ねると、「1,5km先の点滅の交差点から山頂まで車で行けるから・・」と教えてもらい、その通りに行くと、本当に楽に山頂まで行くことができました。
神様に導かれて行った神社、それは津峯神社 でした。
リフトに乗って山頂へ行くと、愛きょうの良い鶏さんがご挨拶に飛んで来ました。
表情が非常に人間らしいようで、見てて愉快になる鳥さん達でした。
鶴と亀、相撲の土俵といい、それに椿・・などなど私には意味あるものをどんどん見せてくれていました。
それで御祈祷をしていただくことにしました。
「では住所とお名前を・・私が書き留めますので・・」と宮司さん。
そして・・
「御祈祷されることを教えていただけますか・・」と宮司さん。
それで私は・・
「世界平和と・・事業の達成と成就 をお願いします」と紙に書き留めてもらいました。
太鼓をたたきながらの大祓詞 は私は始めての体験でしたが、「ドンドンドンドン」と太鼓を鳴らされた瞬間、閉じていた瞼の奥になんとも言えない鮮やかな紫の光が揺らめきだしました。 不思議な不思議な体験でした。御祈祷が終わり、少しばかりの質問をすると宮司さんは丁寧に答えてくれました。
「八角形の神紋を見たのは初めてなんですが・・」と私。
「この三方も八角形でしょう。これは柏の葉からきているんです。大事なお供え物を昔は柏の葉に載せたものなんです・・」と。
そして・・
「ここの御祭神は賀志波比売大神(かしはひめ)ですが、古事記にも日本書紀にも出てこない神様なんです」と、大変な話を教えていただきました。
私には、柏の葉の由来からの神紋といい、「かしはひめ」といい、このことはユダヤの紋章であるメノラーのことを十分に教えていて、ここで祀られている神様は、邪馬壹国の女王卑弥呼の 宗女(そうじょ)台与であるようです。ここの神社にはなんとも言えないやさしいやさしい波動が漂う神社でした。 このあとの話は 明日のこころだ~~! と つづく・・。