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廃止バス停の痕跡を探る(1) 田木

2010年10月07日 | 乗合バス路線史シリーズ
今から16年前まで、東上線の坂戸駅まで西武バスが乗り入れていました。
今となってみれば意外に思われる方もおられると思いますが、坂戸への路線は現在の西武バスが成立する以前、すなわち戦前からの存在しました。西武バスの前身にはいくつかの系列がありますが、武蔵野鉄道のバス事業(通称武電バス)が他の事業者や個人経営の路線を譲り受け進出したようです。手元の西武バス社史によれば1934年には進出していたとのことでした。
戦後は西武新宿線の入間川駅を起点に、国鉄川越線の武蔵高萩駅を経由して坂戸へ向かう系統となりました。
「埼玉県市町村誌」各巻によれば、1970年現在で一日の運行回数が8回あったとのこと。鉄道線のショートカットや、他に交通がない鶴ヶ島町中央部・日高町内への足として使われたことが伺えます。1970年代後半には「狭山23」という系統番号を付けられました。
しかし途中バス停の根岸新道から坂戸までの間の大半が国道407号線であったため、朝夕はバスが渋滞に巻き込まれ、利用客は減少、不採算路線となり、結局営業所の再編に伴い、1994年3月限りで廃止(社史では「休止」となってますが、まあ実質的な廃止でしょう)されました。晩年の運行回数は3回でした。


さてこの狭山23系統、狭山市内の区間である狭山市駅西口から根岸坂上バス停までは現在も他の系統が通っているので、本当の廃止区間は根岸坂上からになります。
鉄道の廃線に比べバスの廃止路線なぞバス停を撤去すればいいから残らない・・・と思っていましたがそういうわけでもないようでした。

8月の暑い日に国道407号を自転車で走っていたら、日高市の田木交差点付近でどう見てもバス停の痕跡にしか見えないスペースを発見しました。
発見したときはカメラを持参しておらず素通りしましたが、数回機会をうかがいつつ先日写真を撮ってきました。

坂戸方向から入間市方面を見たところ。

道ばたに妙な空間がありました。

歩道をさらに進んでみれば…。

ベンチが置いてあります!間違いなくバス停の痕跡だ、と発見したとき思った記憶があります。

反対車線から全景。

このスペースは狭山市駅方面ののりばだったようです。
ガードレールがバスの扉にあわせて切り欠いてあるようにも見えますが民家の出入り口にあわせたというのが正解だと思います。
対向車線にはバス停の痕跡はありませんでしたが、一番上の画像に写っている酒屋さんの前がそれらしく広がっているので、ひょっとしたら跡地かもしれません。

で、ここまでは写真を見た推測結果でして…。
先日図書館で1980年代終わり頃の地図を見て確認した結果、やはりここが狭山23系統の「田木」バス停でした。
狭山23関連では根岸~高萩駅の間で、バス停の痕跡とおぼしき物件を二つほど確認してあります。
今回件の地図はコピーを取ったので、高萩駅から先の痕跡探しも含めて近々調査しようと思っています。

ちなみに狭山23廃止の2年後、日高市内循環バス「せせらぎ号」の運行がスタートし、同じ「田木」を名乗るバス停が再設置されたようですが、場所は異なるみたいです。
その日高市内循環バスも数年前に廃止になっています。

あと、現地ですが、先に書いた通り国道407号の田木交差点から少しだけ坂戸方に進んだところです。
googleマップへのリンクを張ってみましたので興味のある方はどうぞ。
こちらです。
しかし最近は便利になりましたねえ。ストリートビューとやらで現地の写真が見れるとは思わなかった…(汗


さてさてこの記事まるでシリーズ化するようなタイトルですが…
まあ反響は少ないとは思いますが不定期で続けようと思います…。すでに目星がつけてある場所が数カ所あり一ヶ所は写真撮影済みです。
記事が10回以上続いたら独自カテゴリに移行しようかなあ~。

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4 コメント

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お返事 (影森三輪)
2010-10-08 23:13:02
>>きえふにいさん様
こんばんは、コメントありがとうございます!
いえいえ…調査や研究のうちに入るか微妙ですが、どうもありがとうございますm(_ _)m
狭山市駅から他の鉄道線の駅へ…というと、川越線の笠幡駅行きなんてありましたねえ。今はサイボク牧場の湯が終点ですが、サイボクから東武バスに乗り継げば笠幡を通って鶴ヶ島まで出ることができますね!
あの写真は感動しました…特に古いバスの写真を見たときはもう…な状況でした(?)。

そういえば10年くらい前101系の赤電復活なんてありましたよねえ。
あの頃はネガティブな意見も聞かれましたが、10年経って情勢も変わったので3000系あたりで赤電復活をやってもいいんじゃないかと思います(笑)

入間市駅が豊岡町駅だったのは開業時から昭和40年までですね~。狭山市駅は79年まで入間川駅だったかな?
河原町の16号交差点のあたりは造り酒屋の煙突や蔵なんかがあったりして好きな風景でしたが火事とか拡張とかで消えてしまったのは寂しいです…。
そういえばその河原町を走る古い西武バスが出てくる動画がyoutubeにありました。
http://www.youtube.com/watch?v=VBVDnGgDFtE
撮られている方はアメリカの方(ジョンソン基地に来てた軍人?)のようで、当時の入間川商店街や東京都内の動画も投稿されてたりします。もし興味がおありでしたら見てみてください~。
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Unknown (きえふにいさん)
2010-10-08 08:56:57
影森三輪さん、おはようございます。

よく調べましたね! 私はこういう地道な調査や研究が苦手なので感心してしまいます。それにしても、狭山市駅(あるいは西武新宿線の入曽から新狭山にかけての狭山市内)からの他の近隣鉄道駅へ行くルートがもっとあれば楽しいのにと思っていましたが、入間川駅時代はあったんですね! 20メートル全金属車体と戦災国電17メートル車がごちゃごちゃ繋がって走る西武赤電が来る入間川駅を見てみたかったな、と改装工事中の狭山市駅通路に貼ってある写真を見ると思います。

砂利敷の駅前には先日まであった木造のタクシー乗り場と西武通運の倉庫があって、坂戸行きの西武バスが来る……やばいっ、たまんないです\(^o^)/ せめて西武3000系を赤電塗装に! あるいは国分寺線用に6連にして抜いた2両に、401系風平妻運転台をつけて赤電化してくれたら……999やL電みたいなネタ電車よりウケ……ないかな(*_*)

えーと、そういや入間市駅が「豊岡町」なのは武蔵野時代でしたっけ? 扇町屋の河原町(火事で更地になって残念)のあたりなら古いバスも似合いますね。

いやはや、バスも深いなあ。今後も期待しております! 
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お返事 (影森三輪)
2010-10-07 21:13:42
>>わっき様
こんばんは、ご覧いただきどうもありがとうございます!
ああよかった…こういう記事でも面白いと感じている方がいらっしゃってホッとしてます。
そうですねえ。ちょうど日光街道と重なりますね。あの杉並木の下を走っていた西武バスは一度見てみたかったです。。。
田木バス停だと、跡地の反対側に酒屋がありますがひょっとしたら「バス停前商店」として利用されてたのかも…などと想像してしまいます。
とりあえず不定期ですが続けていこうと思いますので、またコメントしていただければ~と思います…!
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おもしろいかも (わっき)
2010-10-07 09:17:20
ブログ拝見しました。
今まで考えたこともない視点で面白かったです。
407号ってことで、ちょうど日光脇往還(日光街道)とダブルのも興味深いですね。
バス停の場所も色々調べていくと歴史とリンクしたりする可能性もありますね。
続編/シリーズ化を期待します!^o^
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