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バス廃車体…

2010年10月06日 | 西武バス
前回前々回の記事の通り、トレインフェスティバル閉場後は西武秩父駅周辺で電車やバスの撮影をしていたわけですが、そのさなか横瀬で会った友人某氏から一通のメールが。
メールに添付されていた画像は某所にあるバス廃車体でした。以前から気になっていた物件だったので、場所と所要時間を聞いたら行けそうだったので、歩いて行ってきました。

今の西武バスではまず見ないトップドア・メトロ窓の中型バスです。まあ特定の車でこういう仕様がありますが…。

見ての通り側面窓のほどんどはサッシごと無くなっていましたがそれ以外の状態は良さそうでした。
車内も窓越しに覗きましたが座席もありました。車検のステッカーは中途半端に残っていましたが、いつまでかは分かりませんでした。社番はA599とありました。

さて、帰宅してから、2007年に西武バスの社史として発行された「地域と共に 西武バス60年のあゆみ」を基にこのバスの正体を紐解いてみることにしました。

まずは社史の西武バス 車両の変遷の項を見てみると、177ページに廃車体とよく似たバスの写真が載せられていました。
そのバスは1978年式三菱 B623Bで、キャプションには「山間路線のワンマン化のために導入した中型前ドア車」とあります。
写真のバスと廃車体には、社番や乗合の表記位置、前ドア横の車椅子マーク(これは一体?車椅子固定器具があったということでしょうか?)など少しだけ差異があります。
また、社史にある写真はあまり鮮明ではないため社番の特定はできませんでしたが、A599と書かれているようにも見えます。
社史に掲載されているB623Bは、熊谷22か・1 30という登録番号です。廃車体には、外から見れる位置には登録番号を特定できるモノは無かったので、詳細は不明です。


次に社史の通史編とでもいうべき項の、第4章 転換期のうち軽井沢・秩父管内の再編と拡充(66~67ページ)を見ると、
・1975年3月末 大滝村中双里~中津川間の中津川線を廃止。
:中津川線は道路やトンネルなどの状況が悪く、特注の「三角バス」を走らせていた。車両の老朽化とコストのかかるツーマン運行が廃止の要因となった。
廃止後も、地元の大滝村からは路線再開へ強い要望が出された。また、埼玉県から道路改修と車両購入への全面協力があった。
そのため、
・1978年9月 中津川線の運行を再開。
:当面の間はツーマンでの運行とし、新車の納入と道路状況を見てから添乗員乗務のワンマン運行に切り替えた。
社史の67ページには運行再開時の写真として、川崎航空機車体のいすゞBF系(三角バスではない)が掲載されている。

これら社史の記述をまとめると、この廃車体となった三菱B623Bは、中津川線の運行再開時に新車として導入された車両ではないかと推測します。
いつ頃まで現役だったかは不明ですが、側面の社名表記が「西武バス」であることから、西武秩父バス(現西武観光バス)が設立される1989年までに廃車になったと思われます。
車検のステッカーがはっきりと読み取れれば廃車年がある程度分かるのですが、上に書いたとおり中途半端にはがされているようで、読み取れませんでした。

と、社史を頼りに書き連ねて見ましたが、もし本当のことをご存じの方がいらっしゃいましたらコメント欄やメールなどでお教え頂ければと思います。
あとこのバス、他のサイトでも写真を載せているので平気かな…と思い掲載しましたが、もし掲載について問題などありましたらご一報頂ければすぐに対処します。

ちなみに…三角バスの廃車も1978年だったそうです。
知っている方はご存じだとは思いますが廃車後の三角バスは愛好家団体が引き取った後現在は西武バスが保管しています。
1998年から2004年まで行った西武バスのイベントと、2003年日比谷公園で開かれたバス100周年フェスティバルでは展示されました。1998年のイベントでは乗客を乗せて走行しています(私も乗ってます…笑)
現在は某営業所で保管されてます。最近は見に行ってませんが…。一度は三角バスのステップに立ってみたいもんです。

あとちょっと上に書きましたが社史を見ると、三角ではない三角バスもいたようで…いすゞのBF20/30で、車体は川航と富士と二通りあって…って誰も興味ないと思うのでこの辺にしておきます(^_^;)

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