鏡海亭 Kagami-Tei  ウェブ小説黎明期から続く、生きた化石?

孤独と絆、感傷と熱き血の幻想小説 A L P H E L I O N(アルフェリオン)

生成AIのHolara、ChatGPTと画像を合作しています。

第59話「北方の王者」(その1)更新! 2024/08/29

 

拓きたい未来を夢見ているのなら、ここで想いの力を見せてみよ、

ルキアン、いまだ咲かぬ銀のいばら!

小説目次 最新(第59)話 あらすじ 登場人物 15分で分かるアルフェリオン

ただ、どこかへ消えてしまいたい、ルキアンの悲痛―まとめ版第49話

連載小説『アルフェリオン』第49話「ルキアン、失踪」をまとめて、物語の目次から直接閲覧できるようにしました。
前編・中編・後編の三部で構成されています。

テュラヌス形態のアルフェリオンが暴走し、もはやルキアン自身とは関わりなく、敵味方の見境なく破壊の限りを尽くす。その恐るべき牙はカセリナやバーンにまで向けられ……。

物語の大きな転換点、そして主人公ルキアン自身の大きな転換点となる第49話、ぜひご一読ください。

鏡海
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『アルフェリオン』まとめ読み!―第49話・後編


【再掲】 | 目次15分で分かるアルフェリオン


5 理のグラヴァス、重力の魔笛


 ◇

「これは……。ナッソス城を中心に、付近の霊圧線に異常な歪曲が発生しているわ」
 セシエルの緊迫した声。制御卓を操作する彼女の指が不意に固まった。集中して何かを探っている。
「特異点と周囲との霊気濃度差、第二警戒水準を超えてなおも急激に上昇。特異点、移動しています」
 出撃のために艦橋を離れようとしていたクレヴィスは、セシエルのただならぬ様子を感じて振り返った。
「移動? おそらく特異点はアルマ・ヴィオですか。それほどの数値となると……。アルフェリオンか、カセリナ姫のあの機体か。しかし、そうではない」
「特異点はナッソス城の地下から上昇中。地上に出てくる。ヴェン、確認して」
 今度はヴェンデイルの声がブリッジに響く。彼は艦の《複眼鏡》の倍率を拡大し、燃え盛る地表に無数の視線を走らせた。
「居るね、確かに。煙がひどくてよく見えないけど。いや、見えた。汎用型?」

 ◇

 静まりかえった戦場。岩壁が軋み、ぶつかり合う音。
 地響きとともに、黒き外衣に覆われたアルマ・ヴィオが、地面からせり上がるようにナッソス城の城門付近に現れた。
 ――ナッソス家の新手か。なぜ今頃。
 バーンは、見たこともない奇怪な機体を目にして、言いようのない危惧感を抱く。
 全身を覆う漆黒のマント。布地が風にはためくと、裏地の深紅が妙に毒々しくみえる。
 ――ガキの頃に何かの壁画でみた化け物……。あれだ、吸血鬼みてェだな。いい趣味してやがる。おい、あれもお前らの仲間か?
 皮肉っぽく尋ねるバーンに対し、ムートは微かな安堵感とともにつぶやく。
 ――そうだ。あれが動いているところは、俺もほとんど見たことはないが。レムロス。やっと来てくれたか。
 訝しげに見つめ直したバーンの視界の中で、それは、重量のある金属でできているとは思えない動きで滑るように移動した。
 まるで肉体なき死霊が忍び寄るようだと、彼は思った。
 空間を何度か跳躍したかのごとく、未知なる機体はたちまちのうちに側に来ていた。
 ムートのギャラハルドが一歩後退し、その隣に寄り添う。
 ――状況は説明するまでもないな。お嬢様を助ける。手を貸してほしい。
 数秒の間、レムロスから返事はなかった。
 風が強まったような気がする。《トランティル》の首から上を頭巾状に包んでいた布がはだけ、真鍮色のマスクが露わになった。彫りの深い目鼻立ち、長く突き出した顎。尖った耳。だが、それだけではない。トランティルは、正面だけではなく左右にも顔をもっていた。そのうちひとつの面がバーンのアトレイオスと相対し、両者の目が合う。
 ――こ、こっち見んな。何で三つも顔があるんだよ。
 バーンは思わず引きつった笑いを浮かべる。

 新たな敵の出現に、テュラヌス形態のアルフェリオンが牙を剥き、今にもあふれ出ようとする炎のゆらめきとともに、威嚇するように咆吼する。もっとも、自分以外の存在はすべて破壊の対象とみなす今のアルフェリオンには、敵・味方という概念は必要ないのかもしれないが。
 レムロスは無言で見つめる。トランティルのマントの下から細長い腕が現れ、その手は金色に輝く杖を、いや、杖のように大きい横笛を握っている。そして今や魔笛を吹き鳴らさんと、おもむろに構えた。アルフェリオン・テュラヌスが瞬時に次の動きに出ようとする機に先んじて、レムロスは唱える。

 ――発動せよ、《理(ことわり)のグラヴァス》。

 そのとき起こったことを、バーンはまったく理解できなかった。突然、視界が暗転、身体が鉛のように重くなった。いや、そんな生やさしいものではない。今になって思えば、機体が地面に叩き付けられ、元々から大地の一部であったのではないかと思うほど、動かそうにもびくともしないのだ。彼は、無様に這いつくばるアトレイオスの目を通して、アルフェリオンが自らと同様に地に押さえつけられているのを見た。
 ――地割れ? アルフェリオンの周囲、地面がくぼんでやがる。機体のところから、周囲に地割れが……。あれじゃ、空の上から落ちてきたようじゃねェか。しかし、どうなってるんだ。重い。こっちも全然動かねェぞ。
 金の横笛を手に、独り立つトランティルの前で、アルフェリオン、アトレイオス、ギャラハルドの三体が地面に伏している。それぞれの機体を、輝く球体のような結界が包んでいる。
 ――気をつけろ……。いや、何をする、レムロス?
 疑念をありありと現し、ムートが言った。
 そんな中、アルフェリオン・テュラヌスが雄叫びをあげ、力尽くで身体を起こそうとする。
 レムロスは薄笑いを浮かべた。
 ――この程度では足りないようだな。
 トランティルが再び笛を吹くと、アルフェリオンがもがき、地面にめり込んだ。銀色の機体が赤茶けた土に食い込み、無理に動かされた手足が歪みそうに突っ張り、甲冑の装甲が悲鳴を上げる。
 ――無理もなかろう。今、その機体は通常の10倍の重さなのだから。下手に動くとただではすむまい。
 レムロスがつぶやく中、アルフェリオンの肩当てと大腿部の装甲にひびが入った。
 苦痛をこらえながらバーンが叫ぶ。
 ――おい、俺たちまで巻き込むな。何をしやがる!
 返事の代わりに、高音で空気を切り裂くようなトランティルの笛の音が辺りに響き渡る。バーンは声にならない叫びを上げて、半ば意識を失いそうになった。地面に埋め込まれたような形で、アトレイオスはもはや全く動けない状態だ。
 ――少し黙っていろ。
 淡々とした口調で、冷ややかに告げるレムロス。
 分厚い曲刀を杖代わりに、ギャラハルドは徐々に機体を起こそうとする。ムートが苦しい息のもとで問う。
 ――今頃になって出撃したかと思えば、最初からこういうつもりだったのか、レムロス。お前の狙いは一体……。
 言葉の途中で、ムートがうめき声をあげた。半ば立ち上がりつつあったギャラハルドが、巨人の鉄槌で頭上から叩き潰されたかのように、地面にうつぶせになり、機体の各所にひび割れが生じている。
 ――ムート。そうか、君は、私のことに少し疑問を感じていたようだな。意外だよ。主君のための剣でしかない《古き戦の民》の君は、ザックスとパリス以上に、戦いのことにしか関心をもたないと思っていたのだが。
 勝ち誇ったレムロスが告げる。
 ――四人衆の中では、いや、この戦いが始まる前までの四人衆の中では、唯一、ギルドの繰士デュベールが厄介だった。彼は頭が切れ、政治向きのことにも色々と気を配っていたのでな。だが賢明すぎたがゆえに、彼は、この戦いから手を引く決意をし、自らナッソス家を去った。皮肉なものだ。カセリナ姫がデュベールを慕っていたことを嫌い、公爵は彼を遠ざけていた。もし、デュベールから公爵に対し、反乱軍に荷担してはならないといった進言でもされていれば、事はこれだけ容易には進まなかったろう。
 ――そうか。やはりお前が、殿に取り入り、ナッソス家を反乱軍の側で参戦させるよう吹き込んだのか。しかし、何のために。お前は、いったい?
 ――知る必要は無い。いや、知ったところで、もはや時すでに遅し。そう、ナッソスは十分に時間を稼いでくれた。
 ムートに引導を渡そうというのか、レムロスのトランティルが、魔の笛をさらに吹き鳴らす。それを引き金に、ギャラハルドがいっそう強い力で押し潰された。いや、機体そのものの重さで地面に食い込んでいる。恐るべき自重に耐えきれず、甲冑が音を立てて割れ、その破片もまた地面にめりこんだ。
 ――ギルドの銀天使よ、このままにしておくと、君も目障りだ。まさか、ここまでの力をもっているとは。
 レムロスが思念を込めると、輝く結界の中で、アルフェリオン・テュラヌスの機体がますます重くなる。

 だが、そのとき、テュラヌスがひときわ大きく吠えた。
 うつぶせになった機体、例の《闇の紋章》が背中に浮かび上がる。同時に、《黒の宝珠》の中、星のまたたく闇の中を漂うルキアンが、不意にぴくりと動き、悪夢にうなされるようにうめき声を上げた。意識の無いはずのルキアンが、眠ったまま絶叫し、身体を震わせる。白目を剥いたルキアン。その右目にも闇の紋章が浮かぶ。だが、それは彼自身の意思によるものではなく、何かに無理やりに力を引き出されているように見える。宙にそよそよと揺れる銀色の髪が、一瞬、漆黒色に変わったかと思うと、また銀色に戻った。
 苦悩に満ちた彼の声が、テュラヌスの凶暴な雄叫びと一体となったとき、闇の紋章が光り輝き、立ち込める黒雲のごとく、機体を中心に黒い影が溢れ出す。その影はいっそう色濃くなり、テュラヌスを取り囲んでいた結界の中に充満したかと思うと、まるで闇が光を溶かすように結界を侵蝕し始めた。光の壁が崩れていくにつれ、アルフェリオン・テュラヌスの機体は、見えない鎖から徐々に解き放たれてゆく。地面に沈み込むほどの重量と化していた機体が、軋みながらも動き、次第にその動きも軽くなってきている。
 ――馬鹿な、《理のグラヴァス》の力を打ち消しているだと?
 レムロスが戦慄を感じたときには、アルフェリオンを取り巻く闇はさらに広がり、もはや結界を消し去ろうとしていた。裂け目から外へと流れ出し広がる闇の勢いも、爆風さながらに速い。
 ――何という力だ。このままでは結界が破壊される。
 トランティルの姿がかき消え、再びアルフェリオンの側に現れる。その足元に無残に横たわっているイーヴァの機体を素速く抱えると、トランティルは幻像を思わせる動きで遙か背後に飛び退いた。
 ――あのお方への手土産も得られた。ここが引き際か。

 ルキアンの瞳に浮かんだ闇の紋章が、白熱の光を帯び、涙が散った。
 暗き闇の激流は、レムロスの結界を完全に破壊し、そのまま轟然と周囲を飲み込む。闇は大地にしみ込み、テュラヌスを中心に円形の黒い影が見る見る広がってゆく。地面に転がっていたいくつかのアルマ・ヴィオの残骸が、影にふれた途端、それに飲み込まれるように消えた。

 ――やめるんだ、ルキアン! もういい、もういいんだ。
 結界の効力が無くなったのか、同じく解き放たれたバーンが、朦朧とした意識の中で必死に呼びかける。だが、呼びかけも空しく、アトレイオスの足元近くまで影が押し寄せてくる。
 ――こんなことして、何になるんだよ。いい加減にしろよ、おい。何もかも壊して、こんなこと、誰も、お前自身も望んでねェだろうが!
 迫り来る闇の領域を前に、アトレイオスは仁王立ちし、一歩も退こうとしない。

 ――目をさませ、ルキアン……。ルキアン・ディ・シーマー!!

 ルキアンの名をバーンが最後に叫んだとき、闇の中にアトレイオスの姿が消えたようにみえた。


6 ただ、ここから逃げ出したい



 瞬く星々を除けば何ひとつない、どこまでも暗い空っぽの世界に漂いながら、ルキアンは止めどなく涙を流し、途切れ途切れにうめき声を上げ続けた。そんな彼の姿は、醒めない悪夢の檻に囚われているかのようにもみえた。あるいは、頬を伝う涙とともに、生命力や、心さえも、彼の身体から絞り尽くされてゆくようにも……。

 もはや目の前に立ちふさがる者さえいないのに、白銀の巨人アルフェリオン・テュラヌスは、なおも荒れ狂い、血に飢えた咆吼で戦場を揺るがしている。終わりなき怒り。虚ろな魂をもつ魔戦士は、決して満たされることのない破壊への意志を、飢えを、生きとし生けるものたちの命をすすって癒そうとでもしているのだろうか。
 青白く揺れる鬼火のごとき光が四方八方に地を走り、荒野に円陣を描き、テュラヌスを中心に《闇の紋章》を浮かび上がらせる。
 アルフェリオンという《扉》を通り、現世(うつしよ)に溢れ出した《闇》。翼をもたないテュラヌスが、今や黒き影の翼を羽ばたかせ、あらゆるものを消滅させようとする。緑ゆたかな中央平原にあって、そこだけが取り残されたように草木に乏しいナッソス城周辺の大地ではあったが、わずかばかりみられる灌木や雑草の類もすべて影の中にかき消えた。

 ◇

「どうする、フォリオム。あれを放っておけば《闇》の侵蝕が周囲にまで広がってしまうだろう。《支配結界》を展開していない今の状態だと、《闇》の干渉によってファイノーミアの霊的空間情報に深刻な欠損が生じる」
 机上に置かれた遠見の水晶玉の左右に手を添え、沈黙していたアマリア。
 空気に溶け込むような長い吐息とともに、彼女は目を開いた。鋭い眼光をたたえ、わずかに紅を帯びた濃い茶色の瞳は、ある種の石榴石(ガーネット)を想起させる。
「《黒の宝珠》が、自らの意志で――いや、旧世界風にいえば《プログラム》通りに――《御子》の《闇の紋章》の力を無理に引き出し、その力を、暴走するテュラヌスに与えているというのか」
 アマリアがそう語っている間にも、アルフェリオン・テュラヌスの足元から周囲へと漆黒の影が広がってゆく様子が、彼女の脳裏に鮮明に浮かび上がる。
 薄暗い部屋の中、老賢人の姿を借りたパラディーヴァ《フォリオム》が彼女の隣に姿を見せた。
「誰かがあれを止めぬ限り、闇の御子の力が尽きるまで侵蝕は広がり続けるじゃろう。《支配結界》の中ならいざ知らず、剥き出しの《闇》の力を振るうなどと、限度を知らないことをやりおるわい。さすがに黒宝珠というところかの」

 ◇

 地を這う暗黒の領域は、瞬く間にアトレイオスの足元にも達する。
 乗り手のバーンの視界が奪われる。何も見えず、いや、何も聞こえない。
 ――いけねェ。これは、本当に……。
 一瞬にして、体中の血液がざわめく。死の使いが背中に舞い降りた。そのことを彼は直感する。
 恐怖を感じる間もなく、すべての感覚が麻痺し、一瞬、自分自身の意識以外のあらゆるものが、彼の知覚する世界から失われた。
 急速に意識も薄れ、己の存在が暗闇の中にかき消えてしまうように彼は感じた。

 そのとき、誰かがバーンの名を呼んだ。同時に、ルキアンの名前をわめき散らしながら。
 上空から何かが急降下し、鋼色に輝く鉤爪でアトレイオスの肩を掴む。
 ――上がれぇぇ!!
 全身全霊を込めたメイの叫び声。
 彼女の気持ちに応え、赤き猛禽ラピオ・アヴィスが甲高く鳴き、翼に力を込める。飛行型アルマ・ヴィオに特有の華奢な造りに似合わず、ラピオ・アヴィスは、魔法金属の重甲冑で身を覆ったアトレイオスを大地から引き離した。
 ――この野郎! ルキアン、自分のしてることが分かってるのか!! この、この、この……。
 メイは滅茶苦茶に怒鳴りながら、アトレイオスを上空へ運び上げようとする。
 だが、ふと視線を走らせたとき、信じ難い光景に彼女は叫び声すら飲み込まざるを得なかった。あまりに酷い様相に目まいを覚えるメイ。アトレイオスの機体の右半分が、脚部から胸部付近に至るまで完全に無くなっているのだ。
 メイは念信で必死にバーンに呼びかけたが、返事はない。いや、彼の意識すら感知することはできない。
 襲いかかる《闇》に蝕まれ、アトレイオスは一瞬で機体の半分を消滅させられたのか。
 激高と絶望とが入り交じったメイの心の叫びが、空虚に響き渡った。

 ◇

 穏やかな表情で微笑すらたたえていたフォリオム。不意に、口調も姿勢もそのままで、部屋の片隅の暗がりの中、彼の目に凍てついた光が浮かぶ。あくまで静かに。
「覚えておくがよい、我が主アマリア。もともと《アルファ・アポリオン》は、《天上界》に、つまり《天空植民市群》に終焉をもたらすための殲滅兵器。あれのシステムの中枢となる《黒の宝珠》も、そういう目的にかなった性質のものじゃと。たとえエクターが戦闘不能になったとしても、宝珠は自らのプログラムに基づいて戦いを続行する。仮に、アルファ・アポリオンの機体が損傷しても、宝珠は機体の自己再生と自己進化を繰り返す。万が一、機体が大破しても、宝珠は《闇の繭》を作って機体を新たに再構築する。お主も先ほど見たであろう? あれは、たった独りの不死の軍隊じゃよ」
「まさにな。しかし解せない話だ。いかに旧世界の魔法と科学とをもってしても、それほどのものを創り出すことができるのだろうか。《黒の宝珠》とは、一体」
 宝珠の狂気じみた本質に対してもアマリアは顔色ひとつ変えず、フォリオムに尋ねるのだった。
「わしにも分からん。リューヌでさえ知らんのではないかの。ひとつだけ言えることとして、おそらく、宝珠の核となる部分はエインザール博士によって作られたのではなかろうな。いや、《人の子》が創ったものではないかもしれぬ。あれは《在った》のじゃよ。いつの間にか、リュシオン・エインザールの側に在ったのじゃ」

 ◇

 ――影が、影が、すべてを食べ尽くしてゆく。何なのさ、あれは!? ともかく近づいたらどうなるか分かったもんじゃない。
 地上付近に広がる漆黒の領域から少しでも離れるため、メイは機体の高度を必死に上げようとする。
 ――どうした、ここが頑張りどころよ、ラピオ・アヴィス。
 メイの愛機ラピオ・アヴィスの方は、悲鳴にも似たけたたましい声で啼いている。分不相応に大きい獲物を捕らえた鳥さながらに、何度もふらつきながら、《彼女》は少しずつ上昇していった。仕方のないことだ。元々、飛行型アルマ・ヴィオが汎用型を移送する場合、背中の上に乗せて、それも厳密にバランスを考えた特定の位置のみに乗せて運ぶことができるようになっているのだ。
 ――ルキアン、あの馬鹿。
 そしてメイは忌々しそうにつぶやいた。彼に対して以上に、むしろ今の状況に対して何もできない自分自身に対して。
 ミトーニア市が開城された晩、ルキアンと二人で交わした言葉が、彼女の中で妙にはっきりとよみがえった。


「いったん《闇》をのぞいてしまった人間に、そっちに行くなって言っても、無理なのは分かってる。ぶっちゃけた話、だからあたしは、いまだにエクターなんて人殺しをやってる。普通の人間がエクターなんてやるわけないだろ?」
「《闇》からは逃れられない。それでいいよ。でも、どんなに心の暗闇に魅入られても、最後にはこっちに帰って来い。分かった?」


 心の声ではあるが、メイは腹の底から絞り出すような心持ちで、悔しそうに言った。
 ――何でだよ。くそ、くそぅ……。


「え、偉そうなことを言うようだけどさ、いつかキミにも意味が分かる。ルキアンがどんな過去を背負っているのかは知らない。でもさ、ルキアン、キミはもう一人じゃない。アタシらがいる」
「最後には帰って来いよ、それでいい。それでいいんだから……」


 ――あたしってば、あんなこと言ったのに。あたしが居るって、一人にしないって、言ったのに。
 大地を徐々に飲み込んで不気味に増殖を続ける《闇》を見下ろしながら、メイは絶望的にうめいた。
 ――でも、このままじゃ。

 ◇

 長い睫毛を伏せるように目を閉じ、アマリアは、フォリオムの声に無言で頷く。
 パラディーヴァの精神はマスターのそれとつながっているのだから、実際には両者が理解し合うのに言葉は必要ない。彼らの間の会話は舞台じみた儀式、あるいは独り芝居のようなものかもしれなかった。
「こういうやり方は気が進まないが、やむを得まい。闇の御子を止めるか。ルキアンに《紋章回路(クライス)》が形成された現段階ならば、私は《通廊》を開いて彼の紋章にアクセスすることができる」
 曲げ木の技術が見せる優雅な曲線で形作られた、簡素ではあれ美しい椅子に、アマリアは深く腰掛け直した。
「ただ、《紋章》の力を使えば私の居場所が知られてしまうことになるのは、気に入らない。こうしている間も御子の戦いを覗いている《御使い》たちに。もっとも、これまでだって、《御使い》が私のことをどうにかしようと思えば、いつでもここに現れることはできただろうがな。何と言うべきか、それでも気分の問題なのだよ」
 そしてアマリアは胸の奥でつぶやく。誰が聞いているわけでもなく、フォリオムにはどのみち隠すまでもなく、それ以前に隠すこともできないのだが。これも気分の問題、なのだろうか。
 ――ここで我に返ったとき、ルキアンは……。いや、これで彼も認識せざるを得まい。《御子》がもはや《人の子》とは違う存在であることを。彼らと共には居られないということを。遅かれ早かれ分かることだったろう。

 アマリアは、本当に微かな微かな哀しい笑みを唇に浮かべ、首を傾けた。

  涙するがいい。呪うがいい。
  そうすることで絶望の気持ちが枯れ果てるとでもいうのなら。
  だがそれは無意味ではないにせよ、君の新しい現実に対しては無力なことだ。

 吐息が薄明と静寂の中に染み通る。

  《深淵》を知ったのだろう。
  君の背負った《御子》の宿命は、そのとき魂の底にまで刻み込まれたはず。
  ならば見よ、その目で。君の得た暗き闇の瞳を通じて。

「見るがいい。御子の力とは、こういうものだ」

 アマリアの右目が見開かれた。瞳に輝く、黄金色の《大地の紋章》。
 あまりにも巨大な《ダアスの眼》のイメージが、ほんの一瞬、解放された魔力の嵐の中で際限なく膨らんだ。
 刹那の時、大地さえも揺らめき、地上を覆う大気すべてを何かが貫いたような、異様な感覚が走る。

 ◇

 突然、稲妻に撃たれたかのごとく、アルフェリオン・テュラヌスが停止した。
 時を同じくして、《闇》の領域が、引き波を思わせる動きでアルフェリオンの方へと戻ってゆく。
 石像のように立ち尽くす銀の魔神の周囲には、円陣状に、何ひとつ無い枯れ果てた地面だけが残った。その外側には、テュラヌスの灼熱の炎で息の根を止められた多数のアルマ・ヴィオの残骸が、主にナッソス側の機体を中心に、溶解して原型をほとんどとどめない姿で折り重なって山を築いていた。

 ――僕は。

 乾いた風だけが寂しげに吹き抜ける様は、戦場に消えた魂たちのすすり泣きを思わせる。

 ――僕は……。僕が、ここで。

 涙で視界は霞まない。
 今の彼の目、アルフェリオンの魔法眼が、涙など流すはずもないから。
 あたかも魔力が抜けてゆくように、刺々しく分厚い甲冑に覆われたアルフェリオンの外殻が縮み、機体の表面を覆う多くの結晶状に尖った突起も消えた。両手の鉤爪が、次第に丸く、短くなり、元の指に戻る。気がつくと、アルフェリオンの形態は、凶悪な魔獣の戦士テュラヌス・モードからフィニウス・モードへ、天の騎士アルフェリオン・ノヴィーアの精悍な姿へと還っていた。

 ――カセリナを。バーンの命を……。
 身に覚えのないはずの行為に対し、ルキアンは震えた。完全に意識を失っていたはずなのに、その間にアルフェリオンがしたことに関する記憶は不思議なほど克明に残っている。呆然とする彼の心から、自らの重さで流れ出るように言葉が漏れた。
 ――なんて、ことを。僕は、最低だ。あれだけ嫌だと思っていたのに! 結局、ただの兵器に……なって、しまったんだ。
 沈黙。そして。
 少年の脆い魂が、ひび割れ、崩れ落ちる。
 狂ったような悲鳴を上げ、我を失うルキアン。

 うちひしがれた心を哀れむように、アルフェリオンがひときわ高く鳴いた。
 機体の背中で6枚の翼が広がる。銀色に輝く、そのひとつひとつに魔力が集まり、そこからさらに光の翼が延びる。
 なおも絶叫するルキアン。
 どこへ向かうともなく、ただ、どこかへ消えてしまいたいという衝動的な思いだけで彼は翼を開いた。砂塵を舞い上げ、嵐のごとき爆風と、轟音とを残して白銀の騎士は飛び立つ。その姿が次第に小さくなり、そして平原の彼方に消えるまで、長くはかからなかった。


【第50話に続く】



 ※2011年2月~10月に、本ブログにて初公開。
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『アルフェリオン』まとめ読み!―第49話・中編


【再掲】 | 目次15分で分かるアルフェリオン


3 バーンとムート、共闘?



「ここは? 僕は、一体……」
 ルキアンは不意に意識を取り戻した。そのように思われた。
 だが違う。彼は何となく気づいた。これは夢、非常に明晰な夢だ。
 身体が宙を漂う浮遊感。だがその感覚自体は、今まで《黒の宝珠》内部の異空間に居たときと似たようなものだった。彼が周囲に意識を向けたとき、突然に視界が柔らかな光に包まれた。そして広がる淡い緑の世界。
「木漏れ日、ここは、森の中?」
 浮遊感もいつの間にか消え、ルキアンの足も確固とした大地を踏みしめていた。今の不可解な状況が、《盾なるソルミナ》の幻の世界に取り込まれたときと酷似していたため、ルキアンは慌てて警戒し、身体を強張らせた。
 もっとも、雷撃のごとくルキアンの全身を駆け抜けた緊張感とは裏腹に、辺りの様子は呆れるほどに穏やかだった。目に色鮮やかな新緑の木々。冬の寒さとも夏の暑さとも無縁な心地よい空気を、そよ風が運ぶ。鳥たちのさえずり。

 ふと前方を見やったルキアンは、思わず息を呑んだ。
「き、君は……」
 彼は幽霊でも見たかのように凍り付いている。何度も言葉を詰まらせ、彼はようやく口にした。《彼女》の名前を。

 《ルチア、光と闇の歌い手》

 ルキアンよりも少し年上だろうか。ほっそりとした背筋に少女の雰囲気を残す、まだ大人になってほどない女性がいた。車椅子に座った彼女の周囲を、数匹の小鳥たちが親しげに飛び回っている。彼女の伸ばした手。白くか細いその指先に、周囲の木々の葉の色と似た萌葱色の小さな鳥がとまった。彼女は鳥と話し、互いに意思を通じ合っているように思われた。
 やがて彼女はゆっくりと振り向く。遠目には黒色に見える、濃い茶色の髪が風に揺れる。優しい笑顔。彼女がこちらを見つめたとき、輝く光の粉が周囲に漂ったかのような気がした。彼女の髪と似た色の焦げ茶色の瞳が、穏やかにルキアンを見つめる。

 だが……。
 これは直感だ。ルキアンは、ルチアのまとった穏やかな光の裏側に、底知れぬ闇が口を開けているのを感じ取った。

 ――この人は、僕と同じだ。

「その通り。我ら、魂の記憶で結ばれた血族。遠き未来に我が意志を継ぐ者よ」

 彼女がそうつぶやいたとき。
 声なき絶叫が周囲に響き渡り、緑の世界は一瞬にして灰色に朽ちた。
 風は重苦しい粘着感を帯び、木々の間の影に闇がうごめき始める。
 青空は夜の闇に覆われ、細い三日月だけが妙に明るく大地を照らす。
 ルチアが無言で差し出した手のひら。
 その中で小鳥は白骨と化し、さらに砂となって闇の中に散っていった。

「私は信じた。だから戦わなかった」
「知っています。あなたは誰よりも強い力を持ちながら、それをずっと使わなかった」
 ルキアンには何となく分かっている。《深淵》をみたとき、ルチアをはじめ過去の御子たちの思いが、ルキアンに向かって流れ込んできたのだ。それは彼の中で、曖昧に己の記憶となった。
 ルチアは目を伏せ、聞く者の心が凍り付くような声でうめいた。
「その結果……。私は最後に絶望の中ですべてを呪い、己の闇を解き放ってしまった」
「やめて、ください。思い出したくない」
 ルキアンはルチアの経験を知っており、言葉の意味を理解しているようだ。
「私の友よ。心してほしい」
 おそらく、ルキアンの見ているルチアに自我はないのだろう。彼女は多分、ルチアが残した残留思念のようなものだ。

 優しさを弱さの言い訳にしてはいけない。
 力ある者には、逃げてはならないときがある。
 穏やかな世界の絵姿に、どんなに心ひかれても。
 それが御子の宿命。

 己の心に痛みが刻み込まれるのが辛いからといって、
 その気持ちを優しさとすり替えてはいけない。
 自らの手が血にまみれることに耐えなければ、
 代わりに他の多くの者の血が流されることになる。

 私は、その宿命に耐えられなかった。
 そして大切なものを守れず、自らの命さえも失った。
 最後にようやく気づいた私は、憎しみに我を忘れ、
 すべてを滅びに巻き込んだ。
 本当に愚かだ。

「ルチア……」
 呆然と見つめるルキアン。彼の瞳をルチアが見返した。
「優しさに流されず、しかし優しさを忘れてはいけない。闇を受け入れ、しかし闇に飲まれてはいけない」
「僕には、そんなこと、急には無理だよ。だけど、それでも……」
 ルキアンは力無くつぶやいた。
 目まいがする。再び足元や身体の感覚が曖昧になり、視界が霞み始める。ルチアの姿が逆巻く風の向こう側に消え、彼女の声だけが聞こえた。

 あらゆる人間は闇を内に秘めている。
 しかし人は闇を忌み嫌う。なぜなら……
 それが自身の本質の一部であることを認めるのが、あまりにおぞましいから。
 それでも、光と闇との間で、理性と獣性との間で揺れるのが人間という存在。
 獣でも天使でもない私たちの姿。
 そんな、どうしようもなさを受け入れた先に、一寸の光が見える。

 ◇

 乗り手の意思を喰らい尽くしたかのように、アルフェリオン・テュラヌスの咆吼が現実世界に轟き渡った。《黒の宝珠》の内部、星々のまたたく空間を漂うルキアン。意識を失っているはずの彼の目から、涙が流れ落ちる。
 白銀の兜が開き、鋭い牙を光らせて露出したテュラヌスの口元。そこに、にわかに魔法力が集中するのが感じられた。
 ――絶大なパワーと速さだけではない。火竜のごとき燃え盛る息(ブレス)こそが、この機体の本来の武器!
 カセリナを守るために、決死の覚悟でアルフェリオンと対峙するムート。彼の機体《ギャラハルド》の目に映ったのは、今にも炎を吐き出さんとするテュラヌスの姿だ。
 ムートの絶望的な挑戦をあざ笑い、テュラヌスが灼熱のブレスを放とうとしたその時。突如、大地を揺るがせて何者かが割って入る。抜き身の巨大な実体をもつ剣が、テュラヌスの足元に打ち込まれた。
 ――お、お前。バーンか……。
 呆気にとられたムートに対し、聞き覚えのある心の声で念信が入る。
 ――勘違いすんな。助けたわけじゃネェ。ただ、許せないんだ。あいつが、ルキアンが、後で自分のやったことを知ったらなんて思うかって。そう考えるとよ。
 《蒼き騎士》こと《アトレイオス》が、機体の背丈を上回る長大な《攻城刀》を手にして立っている。その勇姿を見つめ、ムートが皮肉っぽく返事をする。
 ――まさか、あの《ソルミナ》の世界から生きて帰ってくるとは。久々に俺が心動かされた戦士、そのくらいのしぶとさがあっても不思議ではないか。
 ――うるせぇ! 黙って手を動かせよ、死ぬぞ。今は俺らのやることは一緒だろ、たとえ目的は違っても、何としてもコイツを止めなきゃよ。だから、おめェとの勝負は後だ。
 バーンの脳裏に、かつての過ちが鮮明に甦る。無意識の逆同調によって親友の命を奪ってしまったことが。その過ちに対する悔悟が彼の人生を狂わせ、やっとつかんだ近衛機装隊への夢を自ら絶って、野に下り、ギルドの繰士となったことが。
 ――エミリオ……。俺、言い訳がましいよな。格好わりぃよな。だがよ、俺のやったことは許されないが、だからこそ、同じことをアイツに繰り返させるわけにはいかネェんだ。ルキアンは、がさつな俺と違って繊細すぎる。カセリナ姫を手に掛けてしまえば、アイツは二度と立ち直れなくなる。
 バーンのアトレイオスが、ムートのギャラハルドの隣に並び、共にアルフェリオン・テュラヌスと向き合った。いずれも敵として相手にするには厄介だが、頑丈な甲冑に身を包んだ二体が共に戦列をなして立ち向かう姿は、心強く感じられる。


4 四人衆最後の一人、レムロス動く



 中央平原を駆け抜ける風に煽られ、燃え盛る炎と立ち込める白煙の向こう、無数のアルマ・ヴィオの残骸がいびつな金属の山をなして転がっている。焼け焦げた鋼の外殻の中から、焦げた肉の匂いと腐臭、そして若干の刺激物が入り交じったような、およそ心地よいとはいえない臭気が漂う。
 ――ルキアン! 俺だ、バーンだ、分からないのか?
 目に見えず、耳にも聞こえない、だが必死の思いを込めた念信が走る。
 重くよどんだ空気の中、沈黙が支配し、返事は戻らない。
 かわりに響いてくるのは、地の底から漏れ出すような魔獣のうなり声。
 ――答えろ、聞こえネェのか、ルキアン! 返事をしろ!!
 両の手で攻城刀を握り、バーンの愛機《蒼き騎士》こと《アトレイオス》が大地を踏みしめる。
 その前方に異形の影が立ちはだかる。
 多角形の柱を無数に組み合わせ、その間から剣山を生やしたかのごとき、異様な甲冑に身を包んだ巨人。
 アルフェリオン・テュラヌスモード。《荒れ狂う炎を宿した戦慄の戦士》。
 獰猛に裂けた口、鋭い牙の間から漏れるように、ときおり灼熱の炎が揺らめき、蒸気が上る。
 兜の奥で赤く輝く目。死神の大鎌を思わせる鉤爪が銀色に光る。
 ――おい! ルキアン……。何だよ、ムート、邪魔すんなって。
 アトレイオスを横に軽く押し戻すようにして、ムートの機体、黒と赤の重騎士《ギャラハルド》が遮った。
 ――残念だがもう無理だ。本気で倒すつもりで向き合わないと、致命的な隙になるぞ。
 小さく、押し殺したような声。
 ムートからの念信。その感じは、まだ少年のような若さと同時に、それとは対照的な冷徹な戦士を思わせた。
 ――あそこまで完全に《逆同調》してしまったらもう手遅れだ。見ただろう、あの容赦なき戦いぶりを。いや、殺戮を。
 ――そんなことは分かってる。だがよ。
 バーンがそう言いかけたとき、別の念信が入ってきた。こちらは日頃から聞き慣れた心の声だ。
 ――バーン、ここはひとまず引くのです。
 ――クレヴィーか。でもよ、このままじゃルキアンが。
 敢えて感情を交えず、乾いた思念の波に乗せてクレヴィスは即答する。
 ――この状況の中、あなた方だけで何ができると? 冷静になりなさい。
 無言のまま、アトレイオスの魔法眼を通して空を一瞥するバーン。その先、遙か上空には飛空艦クレドールがいる。
 クレヴィスと入れ替わり、再びムートの声が聞こえた。
 ――どうした。俺だけでもお嬢様は助ける。
 ――待て、ムート、死ぬ気かよ。まったく……。
 バーンの言葉が終わる間もなく、彼のアトレイオスが素速く攻城刀を振り上げ、右肩に担った。アルフェリオン・テュラヌスとの間合いを慎重にはかりながら、城塞をも両断する大剣を構える。
 息の合ったタイミングで、ギャラハルドも動く。兜の頭頂部から下がった鎖状の飾りが鈍く音を立てた。アトレイオスの武器と負けず劣らず巨大な曲刀を手に、その切っ先を地に這わせる。
 ――違う。俺は命を捨ててまで勝つことなど、今は考えていない。お嬢様の機体を回収して、後は退く。
 ――ほぉ、意外に合理的なんだな。
 軽くちゃかした後、一転して、バーンは鋭く伝えた。
 ――いいか。この《マギオ・グレネード》には合図用の閃光弾が入ってるのさ。これであいつの視界を封じる。そんな小細工でなんとかなる相手じゃネェだろうが、その間に二人で同時に斬りかかり、お前は側面を取ると見せかけてカセリナ姫の機体を担ぎ出せ。
 アトレイオスの腰には、手投げ用の魔法弾、マギオ・グレネードが左右に1個ずつぶら下がっていた。飛び道具を装備していないこの機体にとっては貴重な武器だ。

 ◇

「やれやれ……。言っても無駄かとは思っていましたが」
 クレヴィスは溜息をつくと、それまで閉じていた目を開いた。
 彼は右腕を伸ばし、目の前のコンソールにはめ込まれた水晶玉のような物体の上に手のひらを乗せている。艦橋の念信装置だ。この装置の操作を担当するセシエルがクレヴィスの横に座っている。艶のある見事な黒髪を光らせ、セシエルは、隣に立つクレヴィスを黙って見上げた。
「セシー、メイとサモンを直ちに呼び戻し、プレアーにもラプサーに帰投するよう指示してください」
 クレヴィスはおもむろに眼鏡を外し、懐からチーフを出してレンズの曇りをそっと拭き取った。
「了解。何か策があるのね、副長」
「えぇ、そんなところです」
 クレヴィスは思わせぶりに片目をつぶって見せると、自分の席に戻っていく。そして今度はカルダイン艦長に告げた。
「カル、私が《デュナ》で出ます。まぁ、わずかの間、アルフェリオンの動きを封じることぐらいはできるでしょう。その隙にバーンを回収して撤退します。手が付けられない。ひとまず離れましょう」
 彼の行動を予期していたかのように、カルダイン艦長は黙って片手を上げ、それを了承する。

 ◇

 ――これは楽しいことになってきたね、01(ゼロワン)。ふふふ。
 少年なのか少女なのか、得体の知れない響きで言葉が紡がれた。
 中性的な可愛らしさの中に危険な妖艶さが見え隠れする、おそらく触れてはいけない相手だ。
 ――あのままだと《覚醒(ブート)》しちゃうかも。
 あっさりとそう口にした02(ゼロツー)。無邪気な嗜虐性に満ちた美しき悪意の子。
 そう、アルフェリオンの動きを凝視していたのは、クレドールの面々だけではない。
 戦場の遙か上空に忽然と姿を現した、例の正体不明のアルマ・ヴィオが2体。何らかの特殊なフィールドにより、それらの機体は五感で感知し得ないどころか、魔道士の超自然的な感覚によってさえ把握することができない状態にあった。
 ――あ、でも、《あれ》が覚醒する前に処分しないといけないんだったね。残念。どうしよう、殺っちゃおうか?
 ゼロツーの操るアルマ・ヴィオが翼を開いた。その機体の表面は、一度目にした者なら決して忘れることがないであろう、神秘的な色彩と輝きを放っている。アゲハ蝶の羽根のように、あるいは虹のごときオパールの遊色さながらに、見る角度によって複雑に色が変化するのだ。こんな金属は現世界には存在しない。いや、旧世界にすら……。
 その奇妙な体表の色をのぞけば、ゼロツーの機体は、いわゆるガーゴイル像がそのまま動き出したような姿をしている。すなわち、額から一本の角を生やし、一本の長い尾を持ち、優美な弧を描く翼をもった、悪魔の石像だ。
 いつの間にか、その手にはMTソードと同様の光の剣があった。剣を握った腕が天空を指して真っ直ぐに掲げられる。
 ――さようなら。この平原ごと消えちゃってよ。
 ゼロツーが微笑するや否や、瞬時に凄まじい魔力が光剣の先端に集まり、火の玉のように揺らめく球状の光となる。
 ――待て、ゼロツー。
 不意に念信が入り、ゼロワンが厳しい口調でゼロツーをたしなめた。
 アルマ・ヴィオの剣の先に集まり始めた魔力が、瞬時に霧散する。
 ――もう少し様子をみる。それ以前に我々のことはできる限り知られるべきではない。
 ゼロワンのアルマ・ヴィオの背後に、一回りから二回り大きい別の機体が浮かんでいる。暗い赤系統の色に全身を包んだ騎士型のアルマ・ヴィオだった。その背中には、遮るもののない陽の光を受け、後光を思わせる大小二重の巨大なリングが日輪のごとく輝いている。
 ――ちぇっ。分かったよ。
 ゼロツーは不平そうにつぶやき、くぐもった声で笑うのだった。

 ◇

 時を同じくして、ナッソス城内でも新たな動きがあった。

 城の地階に設けられた、アルマヴィオのための広大な格納庫。
 他の機体の居並ぶ場所とは異なる、さらに奥深きところ。
 湿った空気の充満した、光の届かぬ地下空間に、ぽつんとランプの光が灯った。
 岩盤が剥き出しになった床を、硬い靴音がゆっくりと移動して行く。
 人間の胴体ほどもあるチューブのような設備が床を這い、壁面を伝って上の方から吊られている。その内部は不気味な液体で満たされているようだ。時折、脈動している様子は、眠っている大蛇のようである。それは1本ではなく、2本、3本、いや、大小合わせると簡単には数えられないほど多い。
 ランプが高く掲げられた。淡い光に、何か巨大なものが照らし出される。
 数多くのチューブは、すべて、その何かにつながっている。

 暗がりの中で声がした。落ち着いた、気品ある中年の男の声だ。
「予想外の成り行きとなったが、結果的にはむしろ好都合……」
 見事に刈り込まれた口髭。口元が緩み、男はほくそ笑んだ。
 一分の隙もなく紳士然とした姿は、見紛うこともない、ナッソス四人衆のレムロス・ディ・ハーデンである。
 彼の見つめる先、壁を背に途方もない大きさの影がそびえている。
 それは明らかにアルマ・ヴィオだ。
「目覚めよ。わが鎧、《トランティル》」
 彼の声と共に、一斉にチューブが機体を離れて床に滑り落ち、同時に壁面に明かりが灯った。
 アルマ・ヴィオには何か覆いのようなものが掛けられている。いや、それは、漆黒の――その内側は深紅の――マントをまとっていると表現した方がよかろう。
 薄明かりの向こう、アルマ・ヴィオの目が開く。
 そして、もう二つ。
 どういうことなのだろうか。最後に、さらに二つの目が光った。


【続く】



 ※2011年2月~10月に、本ブログにて初公開。
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『アルフェリオン』まとめ読み!―第49話・前編


【再掲】 | 目次15分で分かるアルフェリオン


 私には否定できない。
 このままでは世界が緩慢に滅びゆくしかないということを。
 それでも、現在(いま)という日々の営みに懸命な人々を
 世界の再生のために犠牲にすることを、私は許せない。
 結局、いずれは終わる世界と知りながら、今日この日を守りたくて
 私は戦っている――だが、何のために?

  (静謐の魔道士 ルカ・イーヴィック)

◇ 第49話 ◇


1 すべてを焼き尽くす、灼熱の息



 地の底深き鉱脈から呼び出された、幾本もの尖柱。
 出し抜けに現れた鉱石の槍に貫かれ、鋼の戦乙女イーヴァは無残に手足を投げ出し、ステリアの青白き光の加護を失った機体を地に横たえている。
 《逆同調》によって本来の魔性を取り戻し、その身に眠る力を解放されたアルフェリオン・テュラヌスの前には、第二形態のイーヴァでさえも、か弱い餌食でしかなかった。
 一瞬で豹変し、乗り手のルキアンの意思を離れて「暴走」し始めたアルフェリオンの姿を、戦場の誰もが凍り付いた眼差しで見つめている。彼らがいま直面しているのは、理屈や経験を超越した、生き物としての本能を振るわせる始原的な恐怖だ。目の前の激烈な戦いすら忘れさせるほどの絶対的な力が、敵味方を問わず、あらゆる者を支配して放さない。

 そのような状況の中で、唯一、醒めた笑いを浮かべながらアルフェリオンを注視、いや、監視し続ける者がいた。
 ――あらら、キレちゃったよ。怖いねぇ。
 人を小馬鹿にしたような、それでいて無邪気とも思える口調で、何者かが念信を発する。
 ――01(ゼロワン)、帰ろうよ。ボクらがここにいても、もう意味ないじゃん。ああなってしまえば、《鍵の器》が必ず勝つ。勝つっていうか、敵も味方もみんないなくなって、アルフェリオンだけが残る?
 念信を交わす際、経験を積んだ念信士や、魔道士の資質を持つ聞き手であれば、伝わってくる心の声から話し手の人柄や姿をいくらか把握できるという。この念信の主は、一言でいえば冷淡で高慢な少年、いや、少女かもしれない。多分、実際に本人を前にしたとしても、にわかには性別がはっきりしない外見だろう。ひとまず、彼の一人称に応じて《彼》と呼んでおく。
 《彼》は抑えた声でつぶやく。その背後には本心からの殺意が込もっていた。
 ――《鍵の器》がダメダメだから、もうちょっとでボクがカセリナ姫を殺っちゃうところだったよ。惜しかったな。……聞こえた? 冗談だよ。ねぇ、早く帰ろうってば。
 ――まだだ、02(ゼロツー)。《鍵の器》を守ることの他に、我々にはもうひとつの任務があるだろう。
 今まで黙っていた他方の者が、威厳のある口ぶりで答える。念信の感じから察するに、寡黙で大柄な中年の男のように思われる。口数は少なく、必要以外のことは一切口にしようとしない。
 ――あぁ、そうだったね。もし今の時点で《擬装》が解けた場合、深層レベルの《実行体》が《ブート》する前に破壊する。ははは、今ならボクらでもまだ何とかできそうだ。とばっちりを食うのはごめんだから、もう少し上から見張ってようよ。
 ゼロツーは機体の高度と魔法眼の倍率とを上げ、アルフェリオンに焦点を合わせる。ナッソス城の遙か上空、見たことのないアルマ・ヴィオが静止し、雲海に「立って」いる。その形態は、長い翼をもった一本角の悪魔、神殿等にしばしば置かれているガーゴイルの像を思わせる。体表は銀色のようでいて、光の当たり具合に応じて虹色に変化し、オパールさながらに様々な色合いを浮かべる。
 もう一方、ゼロワンと呼ばれる男のアルマ・ヴィオは、一見すると全身が赤い。よく見れば、紅色を基調に、所々に黒とダークブラウンが使われている。汎用型の機体にありがちな、鎧をまとった騎士の姿なのだが、日輪のごとき巨大な輪を背負っているのが印象的だった。
 二体のアルマ・ヴィオは、《精霊迷彩》で姿を消しているわけでもなく、戦場の上空に悠然と浮かんでいる。あまりにも大胆な、隠れる素振りすら感じさせない様子だ。にもかかわらず、ナッソス城周辺にいる誰も気づいていない。クレドールをはじめ、飛空艦の《複眼鏡》にさえ感知されていなかった。理由は分からない。ただ、姿を消すのではなく、見る者や各種のセンサーに存在を把握させない。そんな不可思議な結界兵器が旧世界で造られたという伝説もある。
 ――野放しの猛獣の番をするのは疲れるね、ゼロワン。獣が大きく育つには多少のエサも必要だけど、あまりに手が付けられなくなれば、処分するしかないじゃない? でも、それは嬉しくないな。《鍵の器》は貴重だからね。
 そう言いつつも、美しき悪意の子ゼロツーは、魔性に目覚めたアルフェリオン・テュラヌスが破壊の限りを尽くそうとするのを今か今かと楽しそうに眺めている。

 ――そう、みんな死んじゃえばいいよ。この世界は、いったん滅びなければ変わらないんだ、旧世界のようにね。

 ◇

 ――何をしている、カセリナお嬢様をお救いするぞ!
 ナッソス家の機装騎士の一人が、念信で付近の友軍機に伝えた。逆同調したテュラヌスの発する威圧感に飲まれて、今の今まで彼は思念を発することさえできなかったのだ。
 ――そ、そうだった。この身にかえてもお嬢様を。
 周辺にいたナッソス方のアルマ・ヴィオが、一体、また一体と動き始める。ギルドとの激戦で傷ついた体を奮い立たせ、陸戦型を中心にたちまち数十体のアルマ・ヴィオが、武器を構えてテュラヌスとイーヴァを取り囲んだ。何の策もなく、ただ、敬愛する姫君を守りたいという気持ちで、抗い難い絶望の前に歩み出た。

「不用意なことを……」
 テュラヌスに立ち向かおうとするナッソス家のアルマ・ヴィオたち。その様子をクレドールの艦橋から把握したクレヴィスは、悲しげに首を振る。
「敵とはいえ、あのような無謀な試みは見るに堪えません。いや、今のアルフェリオンを下手に刺激しては、我々すべてに危険が及ぶ」
 彼の言葉が終わらないうちに、テュラヌスは魔獣の本性を剥き出しにした。
 刹那の閃光。地表付近が白熱化し、一瞬の目映い光と衝撃波が、上空のクレドールにまで到達する。
「何てことだ! しっかりつかまってろ」
 爆風に船体が揺れる。カムレス操舵長が、鬼のような形相で舵を切った。艦橋に居る他のクルーたちは手近な座席にしがみついている。
「直撃どころか、狙われもしていないのに、これだけの影響を受けるのか?」
 剛胆であるだけでなく、派手な心の動きを表に出すまいとする生真面目なカムレスだが、今ばかりは彼の声も微妙にうわずっている。
 暴れ狂うテュラヌスの姿を最も間近にとらえられる者、《鏡手》のヴェンデイルも、思うように報告ができていない。彼の声も震えている。
「あ、あんなの……ないだろ。無理だよ。無理だって」
 そう告げるのも仕方がなかった。他の面々には見えていないだろうが、艦の《複眼鏡》を通じてヴェンデイルは克明に事実を突きつけられていた。抗う気迫さえもすべて奪い去るほどの、白銀の魔物のもつ厳然たる力を。
 荒れ狂う炎を身に宿した戦慄の戦士、アルフェリオン・テュラヌス。いま、ナッソス家のアルマ・ヴィオたちを瞬時に焼き払った一撃は、ヴェンデイルの言葉ではないが、もう人間業でどうにかなるようなものでは有り得なかった。カセリナを救うために押し寄せた数十体のアルマ・ヴィオばかりか、その遙か背後にいた機体まで、ナッソス家のものかギルドのものかを問わず、原形をとどめない金属のいびつな物体と化して地上に点在している。

「いかん、逆同調しているぞ。《氷雪の鉄騎隊》は全速で後退する!」
 黒塗りの鎧と、牡牛を模した二本角の兜を身につけた機体の一団が、アルフェリオンに起こった異変にすぐさま反応した。《盾なるソルミナ》の世界から解放され、再び戦列を形成しつつあったギルドの前衛。戦いだけでなくアルマ・ヴィオにも精通する彼らは、さすがに判断が早かった。
「《エルハインの冠》の諸君、我らも撤退だ。続け!!」
 ギルドの最前列をなしていた王のギルド連合の部隊も、速やかに退いてゆく。大型の甲冑と盾で重装備した汎用型の機体は、素速く動くことはできない。だが、恐慌や混乱に陥らず、整然と後退する様は見事だ。
「この戦い、もう俺たちの勝ちだ。盾や兜、他に直ちに外せる追加装甲があれば、ひとまずパージして逃げろ」
 少しでも身軽になってこの場から離れられるよう、重い武器や防具を放置し始める者もいた。それほどの危険が迫っているということに、繰士たちの直感が気づいているのだ。

 状況を伝えるヴェンデイル、言葉も途切れ途切れだった。
「お、俺には、よく分からないけど……その、転がっているアルマ・ヴィオは、外殻だけ、しか、残ってない。中身は、動力筋や伝達系、液流組織は、要するに肉の部分はみんな溶けてなくなったのか? しかも、外殻も破壊されている。どんな高温でも、炎の魔法弾でこんなふうになったのは見たことがない」
 静かにうなずいたあと、覚悟を感じさせる重々しい声でクレヴィスが告げる。
「あのブレスの正体は単なる火焔や閃光ではなく、一定以上の質量をもつ、実体のある何かでしょう。よく分かりませんが、以前、旧世界の兵器を調べていたときに読んだことがあります。極めて重く融点の高い何らかの粒子に、超高温を加え、さらに圧縮し、加速して解放する」
 地上を見すえるクレヴィスの眼鏡が、鈍く光った。

 凶暴化したテュラヌスが第二のブレスを放つまで、時間はかからなかった。進むことも引くこともできないナッソス家の機体を、狂える竜の灼熱の息が襲う。立ち上がったテュラヌスは、輝く炎のごとき何かを吐き続けながら、右から左へと悠々と首を振った。逃げようが、とどまろうが、結果は同じだった。アルマ・ヴィオの屍がたちまち山となって視界を埋め尽くす。
 爆煙と、燃え盛る炎の海の中、テュラヌスの影が不気味に浮かび上がる。無数の棘を帯びた外殻、引き裂く鉤爪、刃物状の突起をいくつも生やした異形の巨人。
 その姿を呆然と見つめるナッソス公爵。彼は机に両手を叩き付け、顔をうずめた。
「何ということだ……。カセリナを、この城を」
 公爵はしばらく身動きひとつしなかった。そして喉の奥から絞り出す声で、最後の希望を口にする。
「レムロス、後はそなただけが頼りだ」


2 時の司は語る、人の子と闇の力…



 ◇

 暗闇の中に突如として浮かび上がった鬼火。底知れぬ暗黒の世界に揺れる炎は、ひとつ、ふたつと増え、その数が四つになったとき、空間から這い出すように同じく四体の影が現れた。赤々と燃える炎に照らされ、金属質の光沢をもつ黄金色の何かが輝く。赤紫色の布のような物が宙を舞う。
 いつの間にか、4体の異形の者が立っていた。彼らは皆、頭巾の付いた赤紫色の長衣をまとい、頭頂からつま先まですっぽりと覆い隠している。ゆらゆらと宙に漂う衣。その動きを見ていると、中身は空っぽではないかという想像すら働いてしまう。
 ただひとつ長衣から露出している部分は、彼らの《顔》だ。だが、その顔の様子こそが最も不気味なのであった。
 道化師のごとき、目を細めて笑う翁のマスク――《老人》の黄金仮面。
 のっぺりした顔に、丸く小さな目と長いくちばしをもつマスク――《鳥》の黄金仮面。
 見る角度によって若い女性にも老婆にも思われ、突き出した顎をもつマスク――《魔女》の黄金仮面。
 そして、落ちくぼんで穿たれた両目の他には、何の造作もないマスク――《兜》の黄金仮面。
 仮面に隠れた彼らの視線の先に、《逆同調》して破壊の限りを尽くすアルフェリオン・テュラヌスの姿が幻灯のごとく浮かび上がる。白銀色の魔獣の戦士は、目に付くものすべてを、輝く灼熱の息で灰燼に帰してゆく。業火の燃え盛る地獄絵図のような状況を見つめ、《老人》の黄金仮面がつぶやいた。
「これが闇の御子の内に秘められた力の本質。すべてを無に還そうとする衝動だ。自然界の四大(*1)とも異質で、天なる《光》の力とも異質な、忌まわしき力」
 抑揚のない機械的な口調ながらも、全体としては一定の節回しのある声。それはどこか呪文を連想させる。その声質は、四体の中でも最も異様だ。死霊の歌声、そう表現するのが似つかわしい。
「人の子らは、《すべてを支配する因果律の自己展開》によって導かれ、かの《絶対的機能》の栄光を彼らのあるべき進化によって体現し、高らかに賛美する存在となるはずであった。だが善き子らが《愚かな人間ども》へと堕落したのは、彼らの《仕様》に本来は含まれていなかったあの力のため、すなわち《闇》のためなのだ」
 荒れ野の藪が夜風に揺れる音、あるいは嵐に木々の枝がしなる音のように、《魔女》の黄金仮面の声が応じた。
「闇の力、それは、人の子らの霊子のレベルにまで刻み込まれ、受け継がれ、肥大化してゆく負の叫び。失敗し続けた過去の無数の世界において、次第に蓄積されていった影、あるべき魂を侵蝕してゆく《染み》。我ら《時の司》が幾度となく世界を《再起動(リセット)》しても、大いなる計画通りに人の子らの進化が行われることがなかったのは、《闇》の力によるところが大きい」
 吹き抜ける北風のごとく、乾いた残酷さをもって、《魔女》の黄金仮面は付け加える。
「歴史を繰り返せば繰り返すほど、《闇》は人の子らの魂に沈殿し続け、修正し難いほどに彼らを支配してしまっている」

 《人の子らはもはや救い難い。始原の時から計画をやり直すべきだ》

 一瞬の静寂を破り、甲高く嘲笑する声が応じた。
「救いが無いどころか、人の子に巣くう《闇》の力は、この世界という《揺りかご》そのものを無に帰そうとしている。蓄積された闇の力は、大いなる計画に対してすら影響を及ぼし始めているのだ」
 黄金仮面たちの無表情な口調の中で、唯一、表情らしきものを過剰なまでに伴っているのが、《鳥》の仮面のそれだった。聞く者の気持ちを逆なでするような、けたたましく、挑戦的で、他人を愚弄するかのごとき響き。
「我らにとっては塵に等しい人間どもが、大いなる計画に逆らって、自らの意志で世界を変えようと試みた。それを半ば成し遂げかけていたエインザールのような存在が、人の子らの中から現れたのだ。このことがすべてを物語っている」
 《老人》の黄金仮面が頷き、漆黒の空間に浮かんだアルフェリオンの姿を指さす。
「そして見よ、エインザールを継ぐ、今の御子の姿を。やはり早いうちに芽を摘んでおかねば、大いなる計画に対して再び災いをなすことにもなりかねまい。忌々しいエインザールのパラディーヴァは、たしかに死んだ。だが、それと引き替えに闇の御子の《紋章回路》が起動するとは誤算であった」
「誤算であった……。それは誤算であった」
 他の黄金仮面が《老人》の仮面の言葉を反芻する。
 大地の底から轟くような、地鳴りを思わせる声で応じたのは、《兜》の黄金仮面だった。
「ならば、我らも《執行者》を目覚めさせるか?」
 しばしの沈黙の後、その言葉を《老人》の黄金仮面が打ち消した。
「否。現段階では《執行者》投入の条件は満たされていないと、我は解釈した」
 《鳥》および《魔女》の黄金仮面が復唱する。
「条件は満たされていない。満たされていない。法の定めは絶対である」
「了解した。だが放置はできまい?」
 《兜》の黄金仮面が問いかけた。
「我らの導きの糸によって、人の子らの争いがじきに動く。その結果、条件は近い将来に満たされるであろう」
 《老人》の黄金仮面がそうささやくと、すべての仮面たちはそれに同意してどこへともなく消え去った。

 ◆ ◇

 周囲の敵を――いや、敵か味方かなどに関わりなく、攻撃の届く相手すべてを――アルフェリオン・テュラヌスの灼熱のブレスが幾度も焼き尽くした。もはや邪魔をする者がいなくなったためか、それとも単に破壊する対象が手近に無くなったためか、テュラヌスは再びイーヴァに牙を剥く。
 身動きひとつせず大地に横たわったイーヴァに対し、テュラヌスは腕を振り上げる。戦いの間に成長を繰り返した鉤爪は、分厚さと鋭さをいっそう増している。実体を持つ鉤爪の上をさらに光が覆い、イーヴァに死を宣告するためのMTクローが展開された。もちろん、それはルキアンの意思によるものではない。《逆同調》し、解き放たれてしまったテュラヌス自身の欲することだ。
 イーヴァの乗り手のカセリナも意識を失っている。もはや激痛すらも、彼女の目を覚まさせることはなかった。いずれの繰士も意識のないまま、糸の切れた人形のテュラヌスが、動かなくなった人形のイーヴァを襲う状況は異様である。
 天を貫くようにひときわ大きく吠えると、テュラヌスは腕を振り下ろし、イーヴァの首を断ち切ろうとした。そのとき……。

 鋼と鋼が激しくぶつかり合う、耳を引き裂くような轟音と、空気をざわめかせ大地までも刺し通す凄まじい振動とが、突然に生じた。
 一瞬、テュラヌスの右手が宙に舞う。そして地響きと共に地に落ちた。
 輝くMTの刃を周囲に広げた円盤状の巨大な鋼の塊が、ブーメランを思わせる軌道を描きつつ、空を背後へと戻ってゆく。それを別のアルマ・ヴィオの手が巧みに受け止めた。
 ――もう戦えない相手に、しかも傷ついた貴婦人に手を挙げるってのは、よくないぜ。いや、そんな話はもう聞こえないのか、ギルドの銀天使。
 心の中でそうつぶやいたのは、ナッソス四人衆の一人、若き戦士ムートだった。
 攻防両用の分厚い丸盾を左手にかざし、これまた化け物じみた大きさの曲刀を右手に構え、ムートの操る《ギャラハルド》がこちらに進んでくる。
 だが、黒と赤の重戦士・ギャラハルドの放つ圧倒的なオーラを気にもとめない様子で、テュラヌスは切断された右腕を地面に向けた。右腕の切断面から銀色の液体が、いや、液状化した金属が流れ落ちる。それは生き物も同然に地を這い、地面に転がっている右手のところまで到達した。テュラヌスの右腕と、ギャラハルドに断ち切られた右手とを、銀色の流れがつなぐ。
 ――何だよ、それ。
 目の前で繰り広げられた光景に、ムートは息を呑む。
 銀色の液体金属は瞬時に状態を変化させ、弾力のあるムチのようにしなる。長大な鉤爪のために重量も半端ではないテュラヌスの右手は、いとも簡単に吊り上げられ、もともと付いていた場所まで引き戻された。
 ――嘘だろ……。
 ムートがそういっている間にも、テュラヌスの右手は元通りに腕とつながった。
 その様子を映したギャラハルドの魔法眼に、ほぼ同時にテュラヌスの姿が大写しになる。気づいたときには、丸盾の中心から四方八方へと亀裂が走ったかと思うと、あっけなく盾はひび割れ、いくつもの鉄塊となって地面に落ちた。テュラヌスの突きを真正面から受け、頑強な甲冑に身を包んだギャラハルドさえ背後に吹き飛ばされる。
 ――危ねぇ。見た目によらず、あの速さか。しかも、ギャラハルドの盾を一撃で破壊するとは、いったいどんだけのパワーなんだよ。
 最後まで手に残った盾の破片を投げ捨て、ギャラハルドは両手で曲刀を構える。
 ――今のは命拾いしたが、次はかわせるかどうか。せめてカセリナお嬢様だけでも。
 敵との絶望的な実力差を読み取ったムート。勝てる可能性など有り得ない、次の瞬間にも死が訪れるかもしれない状況であるにもかかわらず、彼の中に流れる《古き戦の民》の血は最善の手を考え、なおも冷静に計算を働かせる。

 ――死ぬのは怖くない。俺が怖いのは、無駄死にすることだ。


【注】

(*1) 自然界を霊的に構成する四大元素、火、水、風、土のことを指す。


【続く】



 ※2011年2月~10月に、本ブログにて初公開。
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