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引越し当日

2006-08-11 12:40:23 | What's up?
引越し屋が荷物を取りに来るまで、近所の喫茶店でぼーっとしていた。
どうしてこうなったんだろう、と考えてみる。

今回、過呼吸になった理由はひとつでなくて、複合的に絡んでいる、それがあるタイミングで一気に来た。
疲れていた、職場にも生活環境にも慣れていなかった、というのもあるけど、一番きつかったのは、プロジェクトがおかしくなって、ある日を境に、スタッフのひとりが口をきいてくれなくなった事が直接の引き金になったと思う。
斜め前の席に座っているのに、メールでしか返事をしない、ミーティングでは意見を言わない。
メールに書いてあるのは仕事の全体の進め方に対する辛らつなコメント。でも面と向かっては誰にも言わない。
会議スペースに呼んで直接話をしたら、自分に対してものすごい憎悪と軽蔑、反感のエネルギーを感じた。
会社に行こうとすると、心がブレーキを踏むのは多分その人に会うのが恐ろしいからだと思う。

憎まれた理由は何なのか、そもそも本当に憎まれていたのか。
その人はその人なりに真剣に仕事について考えていたから、態度がきつくなっただけ、というのが事実だろう。
ものすごく優秀な人だし、オレよりぜんぜん頭切れるし。プロジェクトの初期は、献身的に働いてくれた。
そういう人が放つ負のエネルギーに対して、ちゃんと対峙をして、いい方向に変えていく力が、自分にはもう残っていなかった。
もともとそういった能力が自分になかったのかも知れない。
...いや、もうやめとこ。
***

今回、簡単に言っちゃえば心の病気になっちゃった、って事だけど、本当のところ本人がどういう状態にあるのか、周囲に理解してもらうのは難しい。まわりに理解されるのが難しいので、正しい手助けを得る事も難しい。
「あんまり無理しないで、ゆっくり休んで」
それってどうやったらいいの。
「ゆっくり休んでね。休み終わったらまたバリバリやってもらうから」
って言われたら立ち直れない。

自分の気持ちをどうコントロールしたらいいのか、わからなかった。
本人にとっても初めての経験なのだ。
医者に相談しても、専門医でない限りは、症状に対する助言しかしないし、できない。
「苦しくなったら紙袋を口に当てて呼吸してね」、は確かに的確なアドバイスなんだけど、本人は別なところで精神的に苦しんでいたり。

そんな中での理解者は、過去にそういった経験をした人で、その人からのメールに救われる思いがしたし、ひとりでいる時の心の支えになった。
例えばそれは、

・不安な事は考えない、自分を責めない、余計な事を考ない
・最初は薬に対して抵抗感を持つけど、処方されたものは飲んだ方がいい、薬は飲み続けても、治ればちゃんとやめられる。調子が良くなったからといって勝手にやめちゃいけない
・落ち着いてくると、自分はどうしてこうなったのか、そもそも根本的な自分の性格ってどんなだっけ?と内観が始まる

など。
今の心理状態や、次にどういった気持ちになるかを言い当てられて逆にほっとした。
***

ピンチの時に逃げ込む先があるのが一番大事だと実感した。
大阪に転勤になって、ダメで、群馬に戻ってきた、ということだけど、戻り先として、群馬がまだあったのはラッキーだった。
状況を察知して、”出戻り確保”に動いてくれた群馬の職場の人達に感謝しなくちゃな。
「大阪の仕事?そんなもん投げ出して群馬帰って来なね。前と同じ席用意して待ってるからね。群馬に帰る事だけ考えな」
と言われたときには、正直じんときた。

そしてヨメはんのいる自宅。
経緯を何も話していないので、たぶんヨメはんは、この人どうなっちゃうんだろう、って思ってたと思う。経緯をうまく話そうとしても自分でも難しくて話せなかった。
それでも、過呼吸に初めてなった日に群馬に帰っても、どうしたの?何があったの?いつ戻るの?など、一切聞かずにその日から、普通に一緒にご飯を食べ、買い物に行き、テレビ観て笑ってた。
これで救われた。

あー、逃げ先があって良かった、とつくづく思った。

大阪での暮らしや、職場環境から離れる、といった面では、原因は取り除けたと思う。今、自分は回復したんだろうか、来週からちゃんと職場でやれるんだろうか。

これはちょっと自分今の自分じゃわかんない。
治ったような気はする。

おっと、これ以上考えるのはやめにしとこうっと。

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