どBlog

日々の暮らしをここに記録して未来に役立てよう。

にしのせんせいのこと

2019-12-22 12:28:04 | What's up?

生まれてから10歳まで、北海道の厚岸という港町で過ごした。父は役場の職員で、母は専業主婦だった。
小学校に上がるまで、町営の保育園に通った。送り迎えはもっぱら父のバイクで、幅広の荷台にまたがり父の背中に必死にしがみつきながら通った。



その保育園に「にしのせんせい」はいた。

今思うとレスリングの伊調姉妹の妹の方に似てたな。

美人でやさしくてあったかくていい匂いのする、西野先生。
保育園ではいつも先生のエプロンの端っこを握り、くっついて歩いた。

そんなある日のこと、自宅の風呂釜が壊れたかなにかして、突然家族で銭湯に行くことになった。
銭湯へもバイクで向かった。父と、母と、オレの3人乗りだった。

銭湯に行くのはあの日が生まれて初めてで、着くと母親のあとについて女湯の方に向かった。

脱衣所で服を脱ぎ、洗い場に入って母のとなりに腰掛けると、なんと、反対隣に、西野先生が座っていた。

「あら、はまちゃん」

その姿が鮮烈で、まぶしくて、うれしくて、固まった。

母と姉以外で、知っている女の人の裸を見るのは初めてだった。


先生の方はいつもと変わらず、

他愛のない話から始まって、

一緒に湯船につかって100まで数えたり、

風呂上がりにカツゲンのふたをとってもらったりした。

その日以来、ますます西野先生の事が好きになり、

「オレと結婚してくれ」

と、4歳でプロポーズし、

「大きくなったらね」

とかわされ、母に、


「どうやったら早く大きくなれるの?」

と聞いたら

「牛乳飲んどけ」

と言われたのを覚えている。

翌年の卒園式の時、先生の足にしがみついて泣いた。

もう会えないなんて、これで人生終わりだと思った。

でも小学校に入学したらしたで、そっちのほうが楽しくて、

西野先生のことはすぐ忘れてしまった。


初恋の人、にしのせんせい。


TVで伊調選手が出るたびに思い出します。


正統派の北海道弁とは

2019-12-21 12:35:28 | What's up?

中学生の頃、釧路の栄町公園でイベントがあり、

「札幌から松山千春という新人アイドルが来るらしい」

という噂を聞き、友達3人で自転車をこいでイベント会場に向かった。

てっきりミニスカートの女の子が出てきて歌うのかと思っていたら、黒のサングラスに、とび職みたいなニッカポッカ姿の20代のおっさん(中学生からはそう見えた)が、ギター抱えてやおら弾き語りを始めた。

その時歌ったのが「旅立ち」と「銀の雨」。MCは一切なかったと思う。

その歌声にものすごい衝撃を受けていっぺんにファンになり、さらに自転車で釧路空港まで追いかけて行って写真撮ったりした。

翌週には中学の他のクラスでも話題になり、伊勢正三とか、かぐや姫とかやってた連中があっという間に松山千春に寝返っていった。


その後、松山千春はオールナイトニッポンのパーソナリティーになり、全国区で知られるようになった。しかしそれに反比例するように、だんだん北海道の初期のファンは冷めていき、「長い夜」をテレビで歌うようになってからは

「なにいいふりこいてんだか」(なにかっこつけてんだ)

と完全に離れてしまった。

「おめえ『ザ・ベストテン』に出たとき、もうテレビさ出ね、って言ったべこの」

と、多くの道民はテレビの松山千春に文句を言ったと思う。

さて、時は過ぎて、

何故か最近Youtubeのおすすめ動画に松山千春が出てくる。

ツルッパゲの。

確か80年代は

「うたう地上げ屋」

って呼ばれてたっけな。

もう、はっきり言って歌は下手になったと思う。

「あやつけてればいいってもんでねど」(翻訳不可)

と今度はスマホに向かって文句を言う。

でも見てしまう。

なぜなら彼の北海道弁が好きだから。

道東弁と言うべきか。足寄弁。


これが正統派のヤン衆系北海道弁だ、と思う。

江別の大泉洋のは違うねあれは。上品だもの。

そしてなんだかんだ言いつつ「大空と大地の中で」を聴くたびに、やっぱり北海道が恋しく、懐かしく、涙が出そうになるのです。

果てしない大空と広い大地のその中で
いつの日か幸せを自分の腕でつかむよう

この歌詞に何度励まされたことか。

千春、また昔みたいに10円コンサートとか、千春のひとりうたとかやってくれ。
あの頃が一番胸にささったよ。


なぜ生きる

2019-12-15 16:06:13 | What's up?

秋も終わり、

あっという間に冬がやってきました。今年もあと2週間で終わりですね。


2月に帰国し、3月に新しい仕事の引き継ぎを受けて、4月から本格的にスタート。5月に人間ドックで胸の腫瘤が見つかり、6月に検査、7月に入院、手術して、8月に切った肺の根本から空気漏れがみつかりました。
9月に台風15号、そして10月に19号が来て人生初の避難、11月にワールドカップと新天皇の即位、そして12月。

肺からの空気漏れが続いています。もう手術はしたくないので、今は経過観察という名の放置。
感染症のリスクを負いながら自己回復に一縷の望みを託しています。

一度メスを入れた体は元には戻らない。
皮膚を切り、筋肉を切り、神経を切り、骨を切り、内臓の一部を取り出すわけだから。
胸と腕に麻痺が残っています。自分はちょっと甘く考えていました。
とは言っても他に選択肢がなかったわけだから、仕方ないんだけど。

三味線を抱えても、胴が胸に当たる感覚が全くないです。

三味線だけが生き甲斐だったわけじゃない。でも今、自分は人生の目標・目的を見失っています。

何をするのか。

このポンコツになってしまった体で。

何のために何をするのか。


別に鬱だとか、ネガティブになっているわけじゃないです。

意外と今までの人生に達成感があるんです。

もう十分やった。

もういいんじゃないか、って。

これから先、自分が生きて行くとしたら、それは何のためなんだろう。


それが何なのかよくわからないんです。