どBlog

日々の暮らしをここに記録して未来に役立てよう。

群馬県の紹介

2013-01-06 17:57:43 | MC Notes
これもMC用のノートです。 「群馬県について」

関東の北西部に位置する内陸県。人口200万人。県内総生産は7兆円。これは世界の過半数の国のGDPより多い。名物は「雷」「かかあ天下」「からっ風」。しかし近年の気候変動の影響からか以前のような強烈な北風は吹かなくなった。女性の自動車運転免許保有数日本一。観光名所としては草津温泉が有名。じゃらんの全国人気温泉地ランキング第3位。 上毛カルタという群馬県の名所名産を織り込んだオリジナルのカルタがあり、年の初めには県内各所で大会が開催されている。群馬県人が10人集まれば、その中には必ず「かつて上毛かるた大会のチャンピオンだった」という人がいるほど。

「鶴舞う形の群馬県」
「太田金山子育て呑龍」

など。


群馬県旧尾島町と青森県弘前市のご縁について

2013-01-05 16:35:15 | MC Notes

MC用に一度ここで整理をしておきたいと思います。
群馬県太田市尾島(旧尾島町)と青森県弘前市の関係について。


1600年、関ヶ原の戦いで、弘前藩初代藩主、津軽為信(たがるためのぶ)が徳川本軍に随行。
戦いは徳川軍の勝利に終わり、その功で為信は徳川家康から
上野国勢多郡大舘領に2000石の領地をもらう。
それが旧尾島町大館地区。


そこに、2代藩主信枚(のぶひら)の側室、辰姫が住むことになり、辰姫は男児を出産、
男児はのちに弘前藩3代目藩主津軽信義となった。

その史実をきっかけに太田市尾島と弘前市の間で交流が始まり、
1986年に第1回尾島ねぷた祭りが開催され、現在にいたる。
毎年8月14,15日に開催される尾島ねぷたまつりは15万人の人出でにぎわう。

(写真は2009年のものです。祭りバカだったあの頃...)

 


津軽三味線の歴史

2010-08-14 09:56:57 | MC Notes
幕末頃に、ボサマ(坊様)と呼ばれる男性盲人が、
三味線を手に門付けを始めたのが津軽三味線の始まり。
このボサマの中から仁太坊(1857-1928)が現れる。

彼は弘前の茂森座で義太夫節を聴き衝撃を受け、
今までの細棹三味線を太棹三味線に持ち替え、
一の糸を叩く奏法で人々を驚かせて評判になった。
これが現在に伝わる津軽三味線奏法の原型となっている。

この仁太坊の弟子で、「津軽三味線の神様」と言われる初代白川軍八郎(1909-1962)が、
唄の前奏を長くして曲弾きという即興演奏を編み出した。


津軽三味線が全国区で知られるようになったのは、
1959年に三橋美智也が東京でリサイタルを開いたときにゲストで白川軍八郎を招いたのが最初と言われる。

その後、1963年に高橋竹山が初の津軽三味線ソロアルバムを出し、
翌年から三味線一丁で活動を始め、
津軽三味線の独奏がジャンルとして確立し浸透していった。

三味線の素材

2010-08-13 14:06:19 | MC Notes
残念なことに、三味線の素材は糸以外、全部輸入に頼ってます。

1.棹

棹は、花梨や紫檀も使われるけど、人気なのはやっぱり紅木製。

これはインドから輸入している。

紅木は、1995年にワシントン条約で丸太輸入が禁止された。

なので、現地で荒木にしてから輸入しているが、

皆さんが大好きなトチ&木味のいい山岳材はほぼ枯渇して、

近い将来柔らかくて色の薄い平地産のものが出回るかも。



2.胴
胴の材料として使われる花梨材は、東南アジア産で、

主にタイやミャンマーから輸入している。

家具や建材ににも利用されているので、

資源不足が深刻化している。


3.象牙
和楽器に使われる象牙はハード材と呼ばれる硬くて光沢のあるもの。
中央アフリカやカメルーン、コンゴなどに生息している象から採る。
が、これも1989年にワシントン条約で輸入がストップしたままで、
国内の在庫に頼るしかない。


4.べっ甲
撥の材料として使うべっ甲は、タイマイという種類の海亀のもの。
海亀を食べるアフリカやインドネシアなどのうち、比較的管理の
行き届いているキューバから輸入してきた。
しかし、これも1992年のワシントン条約で輸入禁止になってしまった。


5.皮
1973年に動物愛護法が制定されて、国内の猟師も皮師も激減した。
現在、猫皮は台湾から、犬皮はタイからの輸入に頼っている状態。
演奏する側としては、皮がないとどうしようもないので、
今の状況はとても残念です。


6.絹糸
昔は3本とも絹糸だけだったけど、今はナイロンやテトロンも使われている。
三味線素材で絹糸だけは唯一国産だけど、楽器向けの糸を製作しているのは
わずかに四軒しかない。さびし~。


ということで、後世に弾きついでいく、という観点では、

今三味線が置かれている状況は、とても厳しいです。