城台山日記

 城台山の麓で生まれ、毎日この山に登り、野菜・花づくり、読書、山登りをこよなく愛する年寄りの感動と失敗の生活日記です。

本好きには大ピンチか? 20.3.4

2020-03-04 19:04:14 | 面白い本はないか
 コロナウィルスは私のような庶民にも影響を及ぼす。今日予約していた病院(何故か京都市内)をキャンセルしたし、歯医者の定期検診も躊躇している。そして、定期的に本を借りに出かける岐阜県図書館も15日まで閲覧を禁止した。二週間ほど前に借りた本は読み終わり、アマゾンで買った未読の本も3冊しかないので、15日までもたない。加えて揖斐川町立図書館は新館の開館に備えて、4月一杯まで休みとなっている。こうなれば本棚にある読んだはずの本(何が書かれていたか覚えていない本が多数ある)を読むしかないと半ばあきらめていた。

 すると県図書館ではネットで事前に予約した本は貸し出し可能ということがわかった。従来のサービスでは、貸し出し中の本の予約制度(人気の本は何人も予約を入れ、随分待たなければならない。)はあったが、館内にある(すなわち貸し出し可能な)本の予約はできなかった。そこで早速予約しようとパソコンを開き、まず新着資料の中から読みたいと思った本で貸し出し中でない本を数冊選んだ。さらに、過去の新着資料でノートに書きためていたリストから貸し出し可能な本を10冊選んだ。そして、今日県図書館に出かけたところ、駐車場はガラガラ、閲覧室も貸し出しカウンターを除き、照明は落ちていた。カウンターの係員はすべてマスク姿、私だけがマスクをしていない。


 外からの閲覧室

 入って左の休憩室

 右側が雑誌のコーナー

 この奥右に私が本を選ぶ3類、2類の本がある

 予約した本は、既にカウンターの後ろに取り置きされていた。読みたい本が決まっている時は選書の時間が節約されて大変ありがたい。しかし、閲覧室の本棚から「読んで欲しいと叫んでいるような」本などには出会うことはできない。キンドルなど電子書籍がアマゾンから出ているが、図書館が電子書籍ばかりとなったら、本を選ぶ楽しさはなくなるのではないか。15日以後、閲覧室が再開されることを願いながら帰宅した。
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終活について考える 20.3.3

2020-03-03 20:44:03 | 地域のこと他
 3月2日に久しぶりに能郷白山に行くつもりだった。1日にほとんど冬のフル装備を準備し終わったところ、親戚から思いがけず、かねて施設に入っていた義父が亡くなったとの知らせを受けた。通夜は2日、告別式は3日とのことだった。否応なくE氏に断りの連絡を入れた。1日に弔問に行き、葬儀は家族葬で行うと告げられた。かつて町内でも家族葬と告げられていたが、実際普通の葬儀であったことがある。家族葬も定義はあいまいで、実際は「地味葬」「簡易葬」というのから故人の子ども、兄弟に絞る場合など実に幅が広い。今回の場合は、子ども、親戚、兄弟(甥、姪等含む)が参列者で、祭壇も花を中心とするものであった。

 通夜も主唱寺の導師(実は我が家はこの寺の檀家。ただし男だけで女は別の寺の檀家)により短時間で済んだ。翌日の告別式も比較的短時間で済み、その後引き続き初七日。これには少し驚いた。普通、告別式が過ぎ、野送りが済んでから行われるものと思っていた(もちろん初七日を告別式の後で行うのも簡素化の一環であるが)。初七日の後、出棺そして収骨は普通。このように随分、簡素化されつつある。故人が90歳代ともなれば、すでに子どもも第一線を退いていることが多く、自宅で長く介護ましてや施設に入居していれば地位との縁も薄くなっている。したがって、家族葬や簡単葬が増えるのは当たり前ということになる。

 さて、古希ともなれば自分の終活を考えざるを得ない。ではどのような弔いをして欲しいのだろうか。私の場合、退職して10年以上経っている。地域との縁は色々な役職をやらされているので深い。しかし、やはり家族葬しかもできれば子どもと孫だけで良いと思っているが、そうすると親戚との間で余計な摩擦を引き起こすこともあるかもしれないので、今一歩決断できない。2月16日に中村伸一医師(プロフェッショナルに出演した有名人)の講演会「エンディングノートから始める人生会議ー今から始める『いってきます』の準備」を昨年に続き聴いてきました。実際にエンディングノートを渡されて、それぞれ書く時間も与えられました。特にお世話になった人へのメッセージ(私の場合は家内を想定)は難しいですね。気恥ずかしい気持ちでありきたりの言葉を書きました。

 亡くなった故人、彼は2回の脳梗塞を患いましたが、懸命にリハビリに努めた方でした。そして自宅で嫁の世話になることを嫌い(仲が悪かったということではありませんので念のため)、施設入所を希望しました。ある意味、人生の終盤においてはっきりした意思をしめしたともいえます。我が家の老母も最初の頃は介護が大変になったら施設でいいよと言っていました。ところが、今はショートステイに送り出すのさえ、少し苦労してような状況です。


 中村医師が出たプロフェッショナルで見た感動的な場面が今でも浮かびます。終末期の男性が自宅で桜の開花を見たいと家族に告げました。しかし、病状から判断するととてもそれまでもたないと思われましたが、奇跡か開花に間にあったのです。その開花を見届けて安らかに旅だっていかれました。こんな格好いい死に方をしたいなあと思っています。

 
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