18日の夜、いきなり岸田首相が派閥(宏池会)の解散を検討していると公表して、マスコミ各社が速報を打って報道しましたが、はっきり言って、
「それが、どしたん???(大阪弁)」
と、思いました。
最初、「【速報】」、「解散」という文字をスマホの画面通知で見て、「衆議院、解散するの?」と思ったのですが、ぜんぜん違いました。残念でした。
いや、速報で伝えてくるぐらいですから、それぐらいのニュースなのだろうと思うじゃないですか。
でも、記事を読めば、「派閥」の「解散」を「検討」している程度だったのですから、どうでもいいことですよ。
思わず、昔のだいたひかるさんの「どーでもいーいですよー」を思い出してしまいました。
さて、翌日にはこの影響が他派閥に及んでいますが、はっきり言って、それもどうでもいい話です。
だって、また気がついたら復活していますよ、派閥。
だって、本当になくすことができるのであれば、とうの昔になくなっていますよ。小泉純一郎氏が総裁の時にだってなくす話はあったんですから。
個人的な考えになるかもですが、「閥」のつく集団、派閥、学閥、財閥、官閥、軍閥などは、「閥」という漢字の意味(出身や利害を同じくするもののつながり)からして、世界でも日本でも、古来からある集団心理に基づいた(悪しき)慣習と言えるのかもしれません。
今年の大河ドラマ「光る君へ」にしても紫式部の話ですが、その背景にある人間関係は天皇家と藤原氏を中心にした閨閥、門閥だったりします。
そのつながりには、無意識的であっても反作用である分断や排除、差別が発生するわけですから、僕は昔から良いイメージは持っていません。
ただそれでも人間は都合の良い者同士で集まってしまいます。
そんな国民にはどうでもいい派閥解散のニュースでにぎわっている一方で、検察が派閥幹部の立件を見送るニュースもあったわけで、実はこちらのニュースのほうが国民には「許せない」と思ってしまうどうでもよくないニュースです。
「疑わしきは罰せず」なんでしょうが、マスコミが「派閥、派閥」とばかり言わずに、国民がもっと厳しい声をあげていたら、検察ももっと突っ込んだ捜査をしていたように思いますし、逆に言えば今回の捜査は忖度もあって手ぬるかったのではないか?と。
テレビ番組のコメンテーターである某政治ジャーナリストが違反したすべての政治家を立件していたら国会議員の多くがいなくなってしまって大変なことになる旨の発言をされていたようですが、なれば良かったんじゃないかと思います。むしろ、大変なことになってそれほどの悪いことをしていたのを政治家も国民もわからないといけなかったように思います。
そして選挙をやりなおしてクリーンな政治家を国会に送り、健全な政治・行政に資することになれば国民にとってそれほど良いことはありません。
一種の「事なかれ主義」のような気がします。
検察がもっと突っ込んだ捜査をしていたら、疑わしきものが明確になる証拠などが出てきたかもしれませんし、今回の検察の動きも事前に政治家側に伝わっており、それによって証拠を隠滅できたのではないか?とする一部報道もあり、やはり忖度、手ぬるさが否めません。
そんな風に今回の一連の政治資金パーティーを舞台とした裏金問題も、マスコミが派閥に問題をすり替え、検察も忖度や手ぬるさを感じる捜査で、国民にとってはあまり良くない流れです。
昔どこかで聞いた「秘書が私の知らないところでやっていた」というセリフをまた聞く羽目になってしまいました。
この問題のきっかけとなった告発人の神戸学院大の上脇博之教授も検察審査会へ審査の申し立てを検討しているようです。
今回の裏金問題の本質はこれまでにも書いてきましたが、簡単に言えば「政治のお金の透明性」をどのように保つか?です。
そのために派閥を解散しただけでは本質的には何も変わりません。
派閥は今回その政治資金パーティーという集金システムを道具に利用して大きな役割を果たしていたのは事実ですが、政治家個人のお金に対する透明性への意識を否が応でも高めていかなくてはいけない法整備=政治資金規正法の改正が必須でしょう。
そのために自民党が政治刷新本部でどのようなことを決めるのか?
国会でどのような政治資金規正法の改正をするのか?
それらの中で、政治家のお金の流れをどのように明確に透明化するか?を有権者として今後注視しなければなりません。
その点が明確に果たされるのであれば、僕は派閥はあってもなくても良いと思っています。
冒頭でも書きましたが、おそらく今回派閥がなくなっても必ずまた復活するでしょうし、昔からずっとあるものなのでなくならないと思うからです。
それよりもやはり政治家のお金の流れをどのように透明化するのか?これが何よりも重要と思います。
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