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あの日をもう一度想い返す(東日本大震災から5年)

2016年03月11日 06時28分55秒 | 社会・経済
もう5年。まだ5年。

人それぞれに想うことはあるだろう。

僕も今一度あの日のことを振り返ってみる。

なぜなら、あの日、東京で暮らしていた僕も、その程度に違いはあるにせよ、あの日の影響を受けた人間の一人だからだ。



「あ、揺れてる。地震だ。」

そんな店長の一言がすべての始まりだった。

すぐに自分でも揺れていることに気づいた。
いつも通り仕事で西新宿の店にいた。

どんどん揺れがひどくなっていく、揺れている時間も長い。
そして、長く続く横揺れの中で縦揺れが。
違和感を感じつつもその間にも揺れは激しくなっていく。
さすがに建物の中にいることに危険を感じるようになるほどの揺れになり、店長の「みんな、いっかい外に出よう。」の言葉に一斉に店の前に出た。
その間も揺れは収まらず外に出れば電信柱も電線も右に左に激しく揺れている。
周りのビルで仕事をしている人たちも一斉に階段を駆け下り外に出てきて揺れの様子をうかがっている。

やがて揺れは収まったがそれまでの揺れていた時間は長かった。
近くの新宿ビル群を見ると目視のままで激しくビルそのものがまだ揺れているのがわかり、さらに怖くなった。
自分の経験では即座に阪神淡路大震災と比較するが、明らかに長い、明らかに規模の大きい地震だと判断できた。
同時にまた自民党政権下でない時に大災害が起こってしまったと思い、そして、この地震の震源はどこか?と思い、両親が大丈夫か気になった。

それから十数分後、大きな余震が来る。
また、みんな店の外に出ていたが、僕は途中だった仕事を仕上げていた。揺れの中。
さらに夕方までに何度か余震があった。

仕事中だったので、ニュースなどの情報があまり取れない状況で、それこそ日本がとんでもない状況になっているのを知ったのは、店の機械のメンテナンスに来ていたサービスマンが持っていたスマホに内蔵されていたワンセグのテレビからだった。津波だった。車が流されている映像だった。
それで東北が震源だということを知り、やがて両親から僕を心配する電話が入った。「大丈夫。変わりない。心配するな。」というようなことを言ったと記憶している。
いけないことだが、もうあまり仕事に身が入らなくなっていた。

夕方で帰ったはずのバイトの子が店に戻ってきていた。ネットなどでニュースをいろいろ見る限り交通網が混乱しており、帰れないらしい。夜勤も来れないんじゃないか?と店長に言い、夜の営業をどうするのか社長に確認することを促した。
そうすると、店長から新宿の各鉄道会社の運転状況を駅に行って見てきてほしいと言われ、外に出た。
結論は、全部止まっていた。
JRはその日の運転再開がないことを告知。改札からは構内のすべてのお客さんが出てきているところだった。
他の鉄道会社の改札のまわりも人でごったがえしており、階段の端には座っている人が多数、通路が狭くなって身動きが難しい。どの人も運転の再開を待っているようだった。
道路は車が渋滞し、歩道には人があふれている。
街頭の大きなビジョンに映し出された東北の惨状。昼間に見たワンセグのテレビの続き。

店に戻り店長に報告。店は夜までの営業になった。
帰れないバイトの子たちはその夜は店に泊まった。
僕は23時半ぐらいに職場を出た。もともと歩いて帰れない距離でもなかったので、そのまま家の方角へ歩いた。

いろいろなものを見た。
早々に閉店した百貨店。公衆電話に並ぶ人々。客でごったがえすコンビニ。
歩道は歩く人が多く、道路は進まない車が渋滞しているのは変わらなかった。

40分ぐらいかかって、千駄ヶ谷の家のマンションに着く。
40分かかって歩いてきたのに、マンションのエベレーターは動いていない。部屋は9階である。
仕方なく階段を上がる。部屋にたどり着いてみれば、冷蔵庫が開いたまんまの状態が目に飛び込む。
近づくと、中のものが飛び出してきている。冷蔵庫の位置も動いている。
さらに奥に入ると、いろいろなものが散乱し、揺れの酷さを物語っている。
お風呂に入ろうとしたらガスが止まっている。
これは帰っている途中に立ち寄ったコンビニのお姉さんから情報をもらっていた。
ガスでの調理が必要な食べ物をレジに持って行ったら、「このあたりガスが止まっているらしいですよ。」と教えてくれたのだ。ありがたい。

とりあえず、食べれるものを食べて、その日は寝た。
しかし、その夜はテレビを消して寝ることができなかった。
余震が続いており、いつ何時、再び大きな余震があるか不安だったのだ。
実際、その未明に新潟県・長野県を中心とした大きな地震が起こっている。
緊急地震速報が来ても妙に身構えることしかできないのだが。


当日は、そんな感じだった。
東京に住んでいた僕でこんな程度だった。
もちろん、同じ東京でももっと困った人はいた。また東北に比べれば…。
あの日、東京も被災地だったと言われる。しかし、中途半端に被災地だったように思う。
僕はその後も数週間にわたり困ったことはいろいろとあった。
そこから他にいろいろと理由はあるが、最終的に大阪に戻る結果につながったと思う。

今年は5年前と曜日が同じ。
そして、先日、インフルエンザになって今でもマスクをしているが、
この時期にマスクをしていると、どうしても5年前のこの時期のどんよりした気分を思い出してしまうのです。

TB。--------
(↑震災後3日目に書いた当時のより詳細な記事です。)

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