独り合点(ひとりがてん)

きもの業界をステージとした、ビジネスと生活スタイル、および近況。

その仕事は ともに生きるためにあるか。

2009-04-01 | 広告

今朝の朝刊に全七段でサントリーの「新社会人おめでとう」の広告が掲載されていた。成人式の「新成人おめでとう」と並ぶ名物広告で、最初の広告は昭和53年「人生仮免許」というタイトルで全5段の広告スペースにゆったりと、作家の山口瞳のエッセイが明朝体の活字で20行ほどの文字が置かれていた。思わず魅き込まれ、「いつかこんな広告作りたいな」と読み込んだ記憶があります。後で聞いたら、この20行の原稿を書くために山口瞳は考えられないような時間をかけ、命を削るようにして書いたのだと知ったが、迫力のある文章でありながら、新成人と同じ目線でしっかりと語りかける文章は、いま読んでも人生の先輩としての温かい山口の思い伝わってくる。翌年は「一人前とは何か?」、翌々年は「あわてず、恐れず」と続き、毎年楽しみにしていた広告ですが、1995年に山口瞳が亡くなり、このシリーズどうなるんだろうかと他人事ながら心配していたら、伊集院静で新シリーズが始まった。そして今朝の広告、「その仕事はともに生きるためにあるか」は、新社会人ばかりでなく、むしろ大人の胸にもグサッとくる、いい文章でした。

その仕事はともに 生きるためにあるのか。

新社会人おめでとう。君は今春、どんな仕事に就いただろうか。どんな仕事、職場であれ、そこが君の出発点だ。今、世界は経験のしたことのない不況にある。金を儲けるだけが、自分だけが富を得ようとする仕事が愚かなことだと知っていたはずなのに、暴走した。なぜ止められなかったのか。それは仕事の真価を見失っていたからだ。人を騙す。弱い立場の人を見捨てる。自分だけよければいい。それらは人間の生き方ではないと同時に仕事をなす上でもあってはならないことだ。仕事は人間が生きる証だ、と私は考える。働くことは生きることであり、働く中には喜び、哀しみ、生きている実感が確かにある。だから出発の今、真の仕事、生き方とは何かを問おう。その仕事は卑しくないか。その仕事は利己のみにならないか。その仕事はより多くの人をゆたかにできるか.その仕事はともにいきるためにあるか。今何より大切なのはともに生きるスピリットではないだろうか。一人でできることには限界がある。誰かとともになら困難なものに立ち向かい克服できるはずだ。会社とは、職場とはともに働き、生きる家である。仕事は長く厳しくが、いつか誇りと品格を得るときが必ずくる。笑ってうなずく時のために、新社会人の今夜はともに祝おう。その日のために、皆で、ハイボールで乾杯。

伊集院 静


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