独り合点(ひとりがてん)

きもの業界をステージとした、ビジネスと生活スタイル、および近況。

春だね!

2008-03-27 | 日々雑感
久し振りに銀座に出たら、1丁目の高架道路沿いにある桜並木は、もう八分咲き。週末には満開という風情。しかし同じ並木にありながら、隣りが咲いたから、一緒に咲こうか、なんて思わずに、まだ1輪も咲いていない蕾だけの木もあったり、微妙に日当たりなどの環境が違うのだろうか、それとも個性?というか木性が違うのか、1本1本皆咲き具合が違うから不思議。咲き始めた桜の木にはチラホラと携帯で接写したり、若いカップルが互いを撮り合ったりと、どこかのびやかな気配。春だね!とこちらも自然に笑みがこぼれてしまった。銀座は相変らず着物姿の女性が多く目に付きますが、羽織姿から、明るい色合いの長着姿の人が少しづつ増えてきたように思う。昨日は御茶ノ水で明大の卒業式があり、そこかしこに袴姿のお嬢さんと中には着物姿のお母さん、という組み合わせにも行き交い、誰も笑顔で輝いていた。昨年に比べ母親の着物姿と男性の着物姿が増えたように思う。そういえば今日聞いた話ですが、横浜の小学校では、外国の子供が卒業式に民族衣装を着て出席するのに刺激を受けたのか、小学校の卒業式に袴姿や小袖姿、振袖姿で出席する子供が増えているそうです。素敵な春ですね。

宇江佐真理

2008-03-26 | 日々雑感
最近往復2~3時間の出張というほどではないが、なんだかんだ1日かかってしまう打ち合わせが続き、往復の車中で新聞では2、3紙はすぐに読みきってしまい、手持ち無沙汰なので、手軽な文庫本を読むようにしている。しかしこれが中々当りはずれがあり、めったに1冊読み切るような文庫本に当たらないのですが、今回はビンゴ。私と同じ団塊世代で、作者は北海道函館に住む宇江佐真理(うえざ・まり)。本は「髪結い伊三次捕物余話」シリーズ(文春文庫)。その中の1篇は読んでいて久し振りに泣けてしまった。作者のあとがきに、読者から「直次郎を幸せにしてください」と悲鳴が聞こえるよな手紙をもらい、作者としては直次郎を再び登場させるつもりはなく、主人公・伊三次の前を通り過ぎた男の1人として扱っていたが、直次郎を幸せに…そうか、読者がそれを望むなら、かたくなに拒む理由はないと、幸せに、幸せにと書いたというシリーズ第五弾、「黒く濡れ」の中の1篇「慈雨]は、恥ずかしながら毎日1回、もう1週間も読んでいながら、毎回じわっと目元が膨らんでしまう。この1週間でいえば、就寝前のお決まり、おまじないのようなものになっている1篇で、小説とはいえ、人が幸せになるのは、しかも苦労した、人並みはずれた苦労をした人が幸せになるのは、嬉しい。久し振りに「当り」でした。

新雑誌、創刊!

2008-03-25 | きもの

職業柄というか、好奇心というか、とにかく創刊号となれば買ってみたい、読んでみたいで、今月創刊の40代後半~50代女性向け雑誌『HERS(ハーズ)』を購入。読んでみたが余りにも私の感覚とは離れしていて、本当にこんなライフスタイルに憧れている読者層がいるの、と思ったものでした。きものは「きもの・こつと粋」で、廣野朝美きものサロンの主宰者?、廣野朝美さんが連載を担当。まだきものを持つに至っていないあなたは、先ずは見習いたい、憧れの着姿の人を探しなさい。例えば、杉村春子、藤間紀子と体型がちかい方がいいけど、憧れの着姿の人を見つけ、参考にすることで自分の着物姿のイメージングが出来る。それからおもむろに呉服屋さんへ行く方がいいということで、1回目のタイトルは「いきなり呉服屋さんには出かけません」とあった。連載の特色は、江戸前の着付け、しょっぱなは色無地の提案。もちろん、というかやはりというか、着付けは大久保信子さん。創刊号を読む限り、なにやら余り期待できないように思うが、“時間とお金の自由を得た女性に生活を楽しむ工夫を提案する”がテーマで、創刊号の特集は「これからの10年、どうしますか?」。もちろん知りたいところではあります。




デジタル万引き

2008-03-24 | きもの
最近の駅中商店街は話題のお店や駅中だけというお店もあって、その充実振りには目を見張るものがあります。今日上野駅の駅中の、結構大きい本屋さんにいったのですが、そこで噂には聞いていましたが、初めて雑誌のページを見て、実に堂々とケイタイでパシャパシャ撮っている母娘の2人連れを見かけました。しかもこの2人が、手に取っている本のページが私としては複雑な心境で、この2人が見て、撮影している本は昨年9月に当社がタイアップして出版した「きもの記念日2」。その中の振袖、女優・美波の振袖姿を「これかわいいね」「これも素敵」「こっちもいいじゃない」とか母娘で会話しながら、撮っているのです。来年成人式なんでしょうね。店内には「デジタル万引きお断り!」とポスターも掲示されているのですが、最近の書店は店員さんは少ないし、混んでもいるので、2人はお構い無しに撮影している。「その本の関係者なんですが、そんなに気に入ったら買ってくださいよ」といいたくて、喉がムズムズ。撮り終わると、2人は棚に本を戻して帰ってゆきましたが、気に入ってくれたのは嬉しいのですが、とっても複雑な心境でした。やっぱり皆が苦労して作った本ですから、買って頂きたかったですね。

大人の責任、プロの責任

2008-03-23 | きもの

最近は会社のことをアレコレ気遣わずに1人で気ままに動ける週末が大好きです。本日は、東京駅から青梅特快に乗り、あきる野に。1時間強の小旅行で、車内は中年、老年のハイキング姿をしたカップルでいっぱい。不思議に子供連れが見当たらない。青梅や高尾山は、中高年に適度な起伏の山登り、ハイキングが出来るので最近人気なのだそうです。あきるの駅で降りて、時間が早いのでコーヒーを飲もうと思ったのですが、見渡しても駅前に喫茶店がない。探すのも面倒なので、コンビニで新聞と水を買って、日向ぼっこしながら20分ほど時間つぶしをして、タクシーでM店へ。あきる野では老舗のM店、20日から10年ぶりくらいに本格的な振袖展を開催。社長には、はっぱをかけに来たんだろうと冷やかされましたが、本当は心配で様子を見に。ちょうど60代の方が、振袖を試着。やがて携帯で2,3カット撮って、これに決めた!こちらとしては???と思っていたら、お茶を飲みましょうよ、ということでお客様をご紹介いただいたら、なんと5人のお嬢さんがいて、その1人のお嬢さんの娘さん、つまりお孫さんの成人式のお祝いに振袖を贈るので、本日M店で選んでいた、という次第。そんな経緯をお伺いしながら、店員さんも交え4人で四方山話をしていましたが、最近はしきたりやしきたりの意味、祝い方をきちんと知っている人が少なくなってしまったのは、私たちの大人の責任ね、という話に。お客さんが自分が色んなことを知っているのも、娘に七五三や成人式の振袖を着せて祝い、いままた孫に振袖を贈るのも、考えたら私が母にしてくれたこと、母や親戚など大人が教えてくれたもの、ことをそのまましているだけで、順繰り、とおっしゃる。それにしても5人のお嬢さんに、さらにいまお孫さんに、人数から言って並大抵のことではないと思うが、ご自分がお母さんにしてもらったことは特に子供にはしてやりたかったとおっしゃる。親の思い、大げさに言えば、我が家の伝統、文化をきちんと伝えてゆかなければね、それが大人の責任だとおっしゃる。確かに。そういえば私にしても、自分が両親からしてもらったことは、何の不思議もなく、疑いもなく子供にしてあげているように思う。甘すぎとアラレには年中言われるが…

それにしても最近は大人の責任果たしていな大人が多いね、と一同アレコレ反省。大人の責任というだけでなく、同時に時代の流れだからとか、時代は変わったからなどと言い訳しないで、あなた方も呉服店として、日本の文化やしきたりに縁の深い仕事をしているのだから、きちんと伝えるべきことは伝え、教えるべきことは教え、というようにしてゆき、それを押し付けるのではなく、知った上でどうするかはこれからの人の選択、責任ですから、でもプロの責任としてやるべきことはやってくれないと、一体誰がそれをやるのと耳に痛いお話。確かに、大人の責任、プロの責任とそれぞれあるな。それを果たしているだろうかと自問自答しながら、久し振りにお客様と楽しい時間を過ごせたのも週末のせい。あきる野は栗の産地だそうでいまは枯れた林が多いのですが、それでも所々にある梅の花、モクレンが咲き、サクラもつぼみが膨らみ、この陽気が続けば月末には満開、そんな気配でした。それにしても改めて週末は、気が楽でいい。この開放感は、一体なんだ!とある意味不安になる。


ホワイトデー

2008-03-14 | 日々雑感

今日はホワイトデー。やはりデパートや有名チョコレート店は、皆混んでいる。行列を見ながら、全くなあ、と思いながらもやはり贈る以上は心をこめて、気合を入れて贈りたい。間違ってもコンビになんぞ、手を抜いてはいかんいかん。何しろ、昔と違って?バレンタインに下さる方の人数、義理チョコさえ激減しているのだから、頂いた方には感謝の意を込めて選び、贈らねば。しかし実際のところ、野心がなくなった分だけ若い頃ほど気合は入っていないが、日頃の感謝を伝えるには、またとないホワイトデー。いい機会です。日頃ご馳走になっている方にさりげなく贈れ、久し振りにホワイトデーもらったわ、とお礼の電話。ホワイトデーもそうですが、調べてみたら毎日が何らかの記念日で、日頃のお思いを伝えるチャンスは思ったより多い。

昨日写真館の方とお話していたら、某社が「HAPPY BIRTDAY七五三キャンペーン」ということで、誕生日に七五三も一緒に撮る、という新しい提案をして売上を30%ほど伸ばしたそうです。七五三は11月15日ですが、数え年でやったり、満でやったり、父兄の都合で早くやったり、遅くやったりと、都合次第でいつでもという感じがある。ならば誕生日に、というのは理?にかなっている。しきたりや習慣が希薄になってきた、と嘆く前に、人の心に響くような新しい習慣、しきたりを創り、需要を喚起するのも1つの方法ではないだろうか。ちなみに本日は、「美白デー」。ポーラ化粧品が、「もう1つのホワイトデー」として呼ばれるようにと提唱。有名な俵万智のサラダ記念日。思い立った日が、いつでも記念日です。

「この味がいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日


じっと鏡を見る

2008-03-13 | 日々雑感

はたらけど

はたらけど猶(なお)わが生活(くらし)楽にならざり

ぢっと手を見る

石川啄木の「一握の砂」にある有名な歌です。いまさらじっと手を見る、などないのですが、今日久し振りに鏡に映る我が顔を見て驚いた。毎日洗面し、幾度と無く髪を整えたりして顔を見ているはずなのに、今朝鏡に映った顔に、ナント眉間に数本の縦皺。ウッ、ヤバイ。毎日鏡を見ているのに、何を見ているのだろうかと思いつつ、やはり最近はくだらないことながら心を煩わせる難問奇問が多く、確かに眉をしかめて考え込むようなことが多かった。しかし、顔に悩みが出るようでは、いかんいかんと反省しながら、指で額をマッサージ。眉間の皺が早くなくなるように、楽しいことをイメージしようっと。

 


なにかの時代の終わりと、なにかの時代の始まり

2008-03-11 | きもの

繊研新聞社に勤めていた名物記者の徳地さんが退社後、ファクシミリ発行しているF通信。3月11号のタイトルは、「なにかの時代の終わりと、なにかの時代の始まり」。2年半前の愛染蔵、たけうち、そして今年の健勝苑と問題企業の倒産による呉服業界への逆風は止まるところを知らないようで一部上場会社のさが美も2期連続、120億円の欠損という業績悪化により、赤字店舗の閉鎖、200名の希望退職者募集、すずのきのはじめ子会社の清算など、一段と縮小・廃止のリストラ策を進めるとのこと。赤字の拡大、急速な売上減少を縮小・廃止、リストラによって根本的な解決が計れるとは思わないが、緊急の応急処置しかとれないところに、さが美だけでなく呉服業界全体の悩みがある。この一連の大型企業の倒産、縮小は、規模の拡大による経営、大型催事や企画販売、量販の時代の終焉を意味し、家業型、専門型、個別顧客対応型の専門店時代の「始まり」ではないか、と。夜明け前がいちばん闇が濃いというが、だとすれば呉服の夜明けはもうすぐそこまできているのだろうか。


ベアリスタ、まめぐい、電話

2008-03-09 | きもの

ベアリスタとは、スターバックスで売っている熊のぬいぐるみです。全売上789億円のうち、売上はわずか数%で、効率からいえばテーブル席を設けた方が良いのですが、「ベアリスタの販売をやめない」という。その理由は、コーヒーを売るだけではなく、気持ちのいい経験をしたり、日々の活力が生まれる場を提供する」という発想があり、コーヒー店としてだけ考えるとドトールやタリーズ、街の喫茶店などの同業との競争にとらわれてしまうが、この視点からは味や価格の競争しか生まれない。しかし「足つぼマッサージのようなサービス産業も競争相手」として視野に入れると、マッサージ店に劣らないような快適な空間の演出も大切な要素だ、という発想。では呉服店は、「気持ちのいい経験をしたり、日々の活力が生まれる場]として、店舗に何をプラスしてゆくべきなのだろうか。呉服店にとってのベアリスタは、何なのでしょうか。

 

先日東京駅の地下1階に誕生した東京駅エキナカ、GRANSTAに手拭い専門店かまわぬの新店舗「まめぐい」を見に行ったのですが、混んでいること混んでいること噂以上でした。手拭いの半分ほどのもの、ハンカチ大のものを「まめぐい」といっているのですが、販売戦略として、まめぐいを明らかにギフトという位置づけで、様々な相手やシーンを考えた組合せで、洒落た贈り物となるよう工夫されていて、見てるだけで楽しい。呉服屋さんでも手拭いを扱うところは多いのですが、お客様のどのようなシーン、こんなシーンに使ってほしいが見えない。というか着物と手拭いが余りにも当たり前過ぎて、提案なんて思いつかないのではないだろうか。だから手拭いのギフトBOXなど用意している呉服店を勉強不足で私は知らない。着物も浴衣も、そして手拭いも世の中ではブームといわれ、実際に売れているのですが、どうも呉服店にはその実感がない。その理由は扱う商品は同じであっても、「そうか!これならカッコいい。おしゃれっ!」という提案が欠けているからなのではないか。モノはあっても、サプライズやひらめき、スパークするものがないからなのではないだろうか。

そういえば先日銀座・曙の細野社長の講演を聞く機会がありましたが、その中で呉服屋さんへの提言として「以前、私が着物を願いしていたのは同じ銀座の呉服屋さん。ですから銀座のお茶会があり、私が着物を着ることを知っていたのですが、電話1本くださいませんでした。何か足りないものない、着物の点検しましょうか、お手伝いしましょうか、終わったらお手入れにお伺いしますね、とか声をかけていただくと安心だし、じゃあ小物を、となるんですが、電話1本頂かなかった。呉服屋さんはお客様の情報をお持ちなのだから、今回は入卒に着物を召しになりませんか、お手伝いしますから、と声をかけるのはありなのではないでしょうか。お客様の様々な生活シーンに、お客様が着物を着たら楽しい、カッコいい、キレイに目立つ、そんなシーンをそれぞれのお客様に声をかけ、気付かせていくことも大事なお仕事のように思いますが…」。確かにパーティや観劇ばかりでなく、こういう手があったかと目からウロコでした。

 


楽しい仕事

2008-03-05 | きもの

先週から立て続けに50代半から60代で、会社が倒産したり、定年だったり事情は少し違うが、独立して1人で呉服店を開業した大先輩、3人お会いした。3人が3人とも異口同音に言うのは「呉服は、楽しい仕事ですね」ということ。3人は部長や専務を歴任し、部下を何十人も使ってきた人たちですが、いまは自分でお客様が好きそうな、欲しそうな商品や企画を考え、仕入れ、催事というか、遊び場を作り、そこにお客様をご案内して一緒に楽しんでいる。とにかく、お客様が楽しめるように、楽しんでくれることだけ考えているので、何が売れようが、いくら売れようが、年金暮らしの自分と女房、自分がお客さんと楽しめることを続けられるだけ稼げばいいので、まあ気楽ですとMさん。組織になると無理が出てしまうのは、ナゼなのかなあ。当時苦労して苦労して数字ができなくて、いつも数字に追いかけられていたように思う。着物が好き!ということは昔も今も変わらないのに、ナゼだったんだろう。いまは年に1回だけ、2月に催事を企画し、300人のお客様のうち100人が来てくれ、毎年売上ができている。何しろ自分はお客様と談笑しているだけで、お客様が勝手に見て、説明を聞き、欲しければ買う、買っていただけるということで、独立して10年になるが、いまだにキャンセルが1件も無いことが自慢。

もう20年以上前に紹介いただいた呉服屋さんは、100人ほどのお客様を相手にご商売をなさっていて、ご本人が旅行が大好きで、いつも着物産地へ旅しては、心のこもった手紙と特産品を宅急便でお客様に毎回お送りし、年に3回ほど、自宅で自分が旅して集めてきた商品をご披露し、悠々自適のご商売をしていた。その方も「楽しい」が口癖で、人を使う苦労や無駄なことをしたくない。好きなことを好きなように仕事にし、お客様が評価してくれたら、そレで十分です、といっていたが、当時30代の生意気盛りの私には、ナンテ欲がない、と思ったものです。しかし今思えば、目的も無くただ数字を大きくすることが目的だったりすると、スケールをパワーにした合理性や効率化を考えた拡大は、どこかで破綻してしまうのか。また人を使うというか、人を活用できる才能が無ければ、人や数字を伸ばせないことに悩み、自分自身の才能を削ってしまい、ただただストレスがたまるだけかも。そしていつか、目的と目標を見誤ってしまうのかも。現状を維持してゆくことにキュウキュウとせず、こだわらずに、初心に帰えれば、もっと違うもの、楽しいものが見えてくるのかも。