3歩進み、2歩後退と、伝わらないもどかしさに、あまりの無関心さに、途中で投げ出しそうになったり、落ち込んだり、とにかく一気に目標に進めない、もんもんとした日が続きます。とはいえ、日は迫ってきて、やらざるを得ないのですが…。ロスが多い。そのロスの原因は、誤解を恐れずに言うと「この危機的な状況を危機と思わない人」が多すぎる。みんな自分のお店1軒くらいは、産地やメーカーが廃業し、職人がいなくなろうが、問屋さんがなくなっても、いくらでも代わりはあるし、どうということない、ということなのだろうか。着る人の選択肢は確実に狭まるのだが…
先般F社長が、業界人がみんなきものを着て、例えば今年の夏は小千谷縮を着よう!秋には大島紬を着よう!というだけで、産地のモノ作りは息を吹き返すのではないか。産地フェアや移動市に取り組むなんて、まどろっこしいのでは、という意見には私も賛成です。大体きものを持っていない、着ない業界人が多すぎる。1つの技術の頂点、たとえば人間国宝は千人、二千人の職人の頂点で、階段を上るように技術を極め、腕をあげてゆくことを考えると、10年、20年と”食べられる”ように作る人、売る人、着る人が互いに切磋琢磨してゆかないと職人が育たない。いいものが出ないだけではなく、中級品も、裾野の商品もできない。サッカーやプロ野球がそうであるように、ファームを作り、贔屓が応援し、市場を再構成しなければ、いけないのかもしれない。
T社長は「もういままでの古い価値観の呉服屋さん、その呉服屋さんを支えてきた顧客を相手にしては、業界はなくなります」と断言。「極端いえば、今まできものを着ない人、きものに関心興味のある人を相手に、どうやってきものを着たい!に変えられるかが問題」ではないかと、最近考えてきものビジネスを再構築している、といいます。確かに平均すれば2割の上顧客にお店が支えられている現状からいえば、新たな顧客の開拓は必至なのだが、「いまだに50万円、100万円のきものが売れるのが普通、売らなきゃ」という過去の特殊な世界から抜けられない。それは普通ではなく、フロックと考えて、ビジネス構築しなければ未来はないと思う。でも「相変わらずのお店が多いからこそ、僕にとってはチャンスなんです。」とも。
今回新セオリーのきもの、5-9きものを京都、東京での発表など、50軒以上の呉服屋さんとお話をしましたが、反応はほぼ真っ二つ。「うちの顧客には向かない」といわれる方と、「これからはこういうものを着る人を取り込んでゆきたい」。「夏物にうちは弱いからだめ」「夏ものに弱いので挑戦してみようか」という2つにも分かれ、さらに「商品がいまいち」という方もあれば、「着る人、作る人、売る人3者の共創企画がいい」と商品を見ないで、参加を決める方も。「安すぎて、いくら売っても足しにならない」という意見も。こちらも説得しようとは思ってはいないのですが、あまりにもきれいに意見が分かれるので、驚いた次第。
それにしても「そこにある危機に危機感を持たない」業界人が多い。そこまで危機は来ており、この2,3年で一気に表面化すると思う。そうなっては遅いのだが、余計なおせっかいをしているようではあるのだが、そう考えると眠れない。