日曜日、朝日、日経、東京、時には毎日、読売と各新聞をワインかビールとフォションのいまだに名前が覚えられないスティク状の硬いフルーツ入りのパンをあてにして読む事が出来る日は、最高に贅沢な日曜日。新聞各紙を読む楽しみは、書評。新聞社や評者の違いが面白く、それぞれの新聞の個性が出ていてすこぶる面白い。東京駅の丸善や神保町の三省堂などはこの書評を活用し、1階に新聞各紙の書評で紹介された本のコーナーを設けている。記憶はあるが、正確な著者や署名を覚えられなくなってきた昨今、このコーナーには重宝している。本日はそんな気配はなく、遅れている原稿を油汗をかきながら四苦八苦して書いていたのですが、気分転換に、というかアラレの顔が思い浮かんで風呂を洗っていた時、ピカッとひらめきました。今日はなんと結婚記念日ではないか。ヤバイ?って何がやばいかはわからないが、バタバタと家をかたずけ、外へ買い物に。先ず何をおいても私の贈り物に欠かせないのは、ローズギャラリーの薔薇。結婚記念日なのでブライダルピンクかロイヤルハイネスを選びたかったのですが、う~ん、さっきまで忘れていたのである中から選んで”マイガール”というピンクの薔薇。で、この日が誕生日のデザイナーOさんに贈り物として14geに教えてもらった気に入っている「空から降る薔薇」という名のすこぶるロマンチックな紅茶と薔薇のジャムを購入。アラレは本日も野球小僧と一緒で多分?帰宅が遅いので、それまでの腹やすめにいつものようにスティツパン?を2本買い、いまスライスして昨日の残りの白ワインを飲みながら、新聞をパラパラ読んでいます。飲み始めると原稿どころではないのですが、未だ半分もかたずいていない原稿はどうなるか―、まぁ秋の夜は長いし、いいか。
メイメイマンのブログを読んで、彼がボロボロ泣いたと言う番組で紹介されていた曲、どんな歌か気になって調べてみました。その曲はアンジェラ・アキの作詞作曲で、NHK全国学校音楽コンクールの中学生の部の課題曲「手紙」。NHKから「未来」をテーマに、子供たちへの応援歌として依頼されたもので「拝啓 15の君へ」という副題が付いている。歌詞は、未来の自分へ書く手紙。確かに自分が未来の自分に書く手紙なら素直に今を見つめられるかも知れない。アンジェラ自身が10代の頃30歳の自分に宛てた手紙があって、それがアイデアになったという。なかなかステキな曲で、15の頃の自分をちょっと甘酸っぱく思い出す。最近第3次?反抗期というか、親の言うことを聞かなくなったし、バンカラを気取っている我が家の野球小僧も、こんな悩みをもっているのだろうかと、しばし時を過ごしていました。〆の歌詞に「拝啓 この手紙を読んでいるあなたが 幸せなことを願います」とあるが、本当に普通に生きて、幸せになって欲しいと思う。「いってきます」の声もかけずに出てゆくけれど、「ただいま」と帰ってくる普通の毎日、何の不思議もないのだけれど、この日常生活が続いていること自体が本当は普通じゃなくて奇跡なのかもしれないと「普通であること」に感謝したい思いの夕暮れです。
東京新聞の朝刊に都立中央図書館の資料保全室の真野節夫さん、57歳が紹介されていた。真野さんの仕事は江戸時代の貴重な和装本の修理をすること。1冊を修復するまで1ヶ月も、半年も、時には1年も2年もかかるという根気のいる作業で、資料の修復を1年も2年も待つ研究者がいるので、ちゃんと修復しないと、新たな発見につながりませんからね、と未だ見ぬ読者のためにも「変な修理をして百年で資料が使えなくなったとは言われたくない。二百年後もちゃんと読めて、利用できる本に直す、それが私の仕事」と言い切る。読んでいて、二百年後を考えて、仕事をしている人がいることに感動してしまった。もちろん二百年、百年後だって生きてはいないし、「真野節夫の仕事です」と本に印してあるわけではないだろうと思う。でも、誰に言われるわけではなく、きちんと自分の仕事をする。
昔の職人さんや商売人はよく「自分の目の黒いうちはー」とその場限りの遣っ付け仕事を嫌い、手を抜かぬ仕事に自信と誇りを持っていた。いま、船場吉兆から汚染米まで、誤魔化してもわからなければ、自分さえよければ、極端言えば「遣っ付け仕事」が社会に蔓延し、大事な何かを見失ってきたように思えます。
明日は、お手伝いしている呉服屋さんグループの総会。振袖と共に成人式という家族のイベントを一生心に残る、お客様の子孫の代まで語り継がれるような、そんな成人式をお手伝いできるように心をもった仕事をご一緒にしたいと思うので、今、最後の企画書チェックをしています。写真しか残っていない、そんな成人式は寂しいと思いますから、レンタルが合理的で賢い選択、というような世相に流されないできちんと振袖を持つ魅力を伝えなければ、いけない。それが呉服屋としての社会使命だと思います。「私の振袖、両親が、祖父母から贈られた振袖を持つ幸せ」をきちんと伝え、それこそ百年後も、二百年後も感謝されるような仕事をめざしたいと改めて思います。
「儀式」から「結婚」の商品化
ゼグシィの発刊により、それまで比較が余り出来なかった諸々がガラス張りとなり、業界は一時パニックに。しかし、消費者からみれば業界の常識と一方的にいわれていた不納得、不明朗なものが一気に解消され、ゼグシィへの信頼度は一気に高まりました。しかもその内容は、単に式場の紹介にとどまらず、消費者が比較し、選びやすい編集内容で、さらにはプロポーズを受けてから、それぞれの両親への結婚の報告の仕方から始まって、結納、お食事会、服装や進め方、マナー、周囲への配慮、お金のことなど気になること、知識がないこと、それこそ昔の仲人がカップルやそれぞれの両親に細々と教えて、指導してきたすべての事柄が、至れり尽くせりで情報掲載されていて大好評。当然その後の挙式や新居、新婚旅行やお嫁入りの道具や引き出物など、結婚にまつわるすべてのことから、さらにさらに赤ちゃんの誕生まで、ゼグシィはビジネス化を進めています。少子化や核家族化、さらに積極的な結婚の商品化が進むことによって、一般の人にはその知識がなくなり、具体的な情報はいまやブライダル専門誌が、ひとつの「権威」「バイブル」として大きな存在を持つようになってきました。1890年に帝国ホテルが結婚披露宴を経営戦略に取り入れてから約100年。当時富裕階層のものだったホテルでの挙式、披露宴は高度経済成長の豊かな経済状況と大都市への人口集中によって、各地域の伝統的な習俗としての結婚は急速に姿を消し、ブライダル産業が提案する様々な挙式、披露宴が新しいスタイルとして定着してきました。そして1995年、ゼグシィの創刊は、自分たちが望む、自分たちにふさわしい個性的な結婚式をあげたいという「個性化」「私事化」が進む中で、ブライダル業界はその商品価値、サービスなど営業力の向上が消費者から強く求められ、業者の競争を一気に加速させてきました。しかもブライダル専門誌の主導によって。
今日は誕生日。しかも還暦。自分が30代の頃にお会いし、お世話になった方々は当時とても大人に見えたものでした。いざ、自分が同じような年になって、とってもとっても足元にも及ばない不熟な存在であることに愕然とし、恥ずかしながらと思わずにはいられません。そんな誕生日に偶然でしょうが、思いがけないプレゼントをいただきました。1つは、気の置けない友人たちとこの数年、1、5、9月の年3回お参りするとご利益があるという”正五九参り”が、いつもは都合で月末なのですが、今回はナント10日の誕生日にお参り。神社にお参りすることもさることながら、友人たちと日常の喧騒を離れ、語り合え、しかも宮司さんの示唆に富んだお話を聞けるのは、いつもわくわくもので、前日からもう小学生の時の遠足に行く前のような軽い興奮状態。こんな時間が、年に3回も持てるのは幸せです。そして夜は、アラレが前から一度聞きたいといっていた「つのだひろ」のライブがまたまた偶然にも今日。しかもありきたりではない、パワフルで、ソウルなハッピーバースデーを歌ってもらいました。四苦八苦はしていますが、ステキな家族や友人に恵まれ、幸せな日々です。でも、まだまだ発展途上、迷いの最中。勉強に励げみ、いつまでもこのよき関係を続け、深めてゆけるよう願い、思いを新たにした1日でした。みなさん、ありがとうございました。これからもよろしくお願いします。
はじめに/習俗→儀礼→商品化
友人のご子息がこの暮れに結婚することになりましたが、長男に続き仲人を立てない結婚式でと…どこか、浮かない表情。しかしデータでも1995年には仲人を立てた結婚式は61.7%あったのが、2004年にはわずか1%で、いまや仲人を立てないほうが一般的に。しかし、民俗学者の関沢まゆみ先生によると、日本の結婚はもともと親戚や近隣や友人への披露宴が中心で、互助共同体による自前の料理と自前の演出で行われていたそうで、ある意味では元に戻ったといえると最新著作、『現代「女の一生」人生儀礼から読み解く』(関沢まゆみ・NHKブックス)で書いています。
関沢先生によると日本には近現代に2つの大きな画期があり、1つは、明治維新政府の近代化政策によってもたらされた大変化。もう1つは、1960年代から70年代にかけての高度経済成長にともなって社会に生じた根底的な大変化だといいます。この2つ目の大変化は、私たちの年代には、まさに目の前で起こった、自らも体験してきた変化であり,その影響を蒙らない家族はなく、著作を読みながら、まさに追体験している感じでした。2つの画期の第1画期は1910年代、第2画期は1970年代として、結婚、出産、家事、老い、墓など「女の人生」の実態を比較しているますが、著作を読んでいると、昔からの伝統、しきたりだと思っていた多くの事柄が、たかだかこの100年の間に工夫され、普及していったもの出る事を知り、驚かされます。
例えば結婚。1900年、当時皇太子だった大正天皇のご成婚式が、実に盛大な結婚式で、挙式内容に西洋式(教会式)の一部を取り入れた斬新なものだったため、翌年大正天皇にあやかった神前式が普及し始めたそうです。そして1923年には、帝国ホテルにバンケットルームが完成し、結婚式は日比谷大神宮であげ、披露宴は帝国ホテルで西洋式に、というのが富裕階層のブームになりましたが、やがて日比谷大神宮が焼失すると、帝国ホテルの中に神殿を作り、今のように一ヶ所で結婚式と披露宴をというスタイルが生まれました。その後もやはり今上天皇のご成婚や石原裕次郎、山口百恵など芸能人の結婚式がマスコミで大きく報じられ、話題になるに従い、その影響を受けて、庶民の結婚式スタイルも大きく変わってきました。
いわば「結婚式の商品化」が進み、専門業者のサービス提供という形で結婚式が進化?したことが、結婚式のありようを変え、ブライダル産業を大きく成長させてきました。そして当然、商品化された「結婚式」は、その商品価値を上げていく競争の中で益々大きくなってきました。なぜなら「結婚式の商品化」は、一定の経済力があってこそ営まれる「遊び」と「余裕」のハレの営みだからで、演者と観客との相関関係にあって必然的に演出効果が最重要視される営みだからです。そして、いまでは結婚の指南役であった仲人がいなくなるに従い、仲人の役割を果たし、結婚式のスタイルに指導的な権威として躍り出てきたのが、ブライダル専門誌で、特に「ゼグシィ」の存在は「ゼグシィ以前、以後」と明確に結婚式のスタイルを激変させた大きな存在でした。
昭和31年創刊、以来52年間続いてきた着物業界唯一の月刊誌「西陣グラフ」が8月で休刊との寂しいニュースが飛び込んできた。着物業界は外に向かっての情報発信が非常に少ない珍しい業界ですが、その中で西陣織工業組合が発行する西陣グラフは、A4・20ページという小冊子ながら、その存在感は大きかった。突然の休刊は、ほんとうに残念です。
西陣グラフが休刊になったのとは理由がことなり、「本が売れなくなった」からですが、昨年は218誌が休刊となり、今年も講談社のオピニオン誌「月刊現代」や学生時代衝撃的な思いで夢中になって読んだ「日本版プレーボーイ」「広告批評」「RODSHOW」「主婦の友」など一世を風靡した雑誌が相次いで休刊。いまや雑誌広告費は、TV、新聞に次ぐ第3の地位をインターネットに奪われ、10年連続で広告費も減少。なにごとも安いに越したことがないが、情報もインターネットはタダ、TV、ラジオもタダの中、新聞、雑誌だけは有料。趣味や価値観の多様化する中、成り立つだけの部数を確保するだけの絶対読者数を確保できなくなった結果とはいえ、時代の移り変わりを痛感し、一抹の寂しさを感じます。