今日で1月も終わり。仕事の関係で言えば1月は成人式という最大のイベントがあり、毎年荒れた成人式など起きないように、報道沙汰にならないようにハラハラドキドキです。今年は幸いにも報道されるようなことは少ししかなかったので安心ですが、ステレオタイプのように新聞の投書欄には「公費での成人式無用」「最近の若い者は…」という否定的な投書があり、一方で「ほほえましい式次第の様子」「おめでとう」という投書もある。今朝の東京新聞の1月の投書欄には、25日付ミラーの『「成人式」を廃止しては』に、かなりの反響がありました。「同感」の声が「反対」を上回りましたが、目くじらを立てることはないでしょう。とのコメントに我が意を得たりでした。
そもそも成人式無用論が大きく叫ばれるようになったのは、平成11年、仙台市の成人式のマナーの悪さが大きく報道されて社会問題化し、さらに平成13年には高松市で参加者による成人式の式典妨害では逮捕者まで出て、1部の乱暴モノのために、『成人式無用!』という嵐の時代がありました。当時の新聞、TVも荒れた成人式をクローズアップし、最近の二十歳は、という意地悪さ?がありありでした。今も余り変わらないように思うのですが、その結果、主催者側も式典の実施や内容の見直し、中には自治体では中止し、代わりに若者達に実行委員会を作らせ、新成人に自主開催させたり、様々な取り組みが行われました。その中で特筆すべき取り組みが、全国の自治体でどのような形態、内容で成人式が行われているのかを紹介し、同時に参加者や地域住民から支持されている素晴らしい成人式を紹介、表彰し、大人の押し付けではなく、本来の目的「大人になったことを自覚し、自ら生き抜こうとする青年を祝い励ます」を平成の時代にふさわしい成人式のあり方を考え、創造してゆこうという取り組みを行ったのが平成13年に発足した「新成人式研究会」です。
(続く)