数年前から気になっていた奈良晒の老舗、中川政七商店が直営しているセレクトショップ「粋更・きさら」。同じく数年前、雑誌の記事を読んで気になり、「いつか」と思い切り抜き保存していた切り紙作家・矢口加奈子さんの資料。今年、パンフレットの撮影の打ち合わせで、たまたまデザイナーが切り紙をビジュアルデザインに使用したいとの提案を受け、それじゃあと矢口さんで行きましょうよ、と意見が一致。その気になっていた粋更と矢口さんがコラボして、いま「冬の贈りもの展」で作品を展示販売していて、急に身近になってきた。そんな偶然ってあるんですね。次の展開が楽しみです。12月一杯開催していますので、一度足を運んでみてください。Xマスまでは、表参道ヒルズの素敵なクリスマスツリーを見ることが出来ます。一見の価値がありますよ。
きものわかば
以前月刊アレコレの「きもの人十人十彩」で登場した、リサイクルショップわかばの若き女主人、中山さんに会いに月島へ。厳しい、厳しいとプロの呉服店主が愚痴る中、若い女性がきものの店を開くエネルギーやきものの魅力、リサイクルきものだからこそ新品以上に手間がかかる商品の扱いなど、聞くことによって今呉服屋さんが見失っているものが見つかるのではないか、そんな風に思い会いに行きました。よくある例えですが、ビンに残った半分のお酒。事実は1つなのに「もう半分しかない」「未だ半分ある」と思う人の受け止め方。その受け止め方によって、その後の行動が違う。呉服のプロは「もうこれしかない」と思い悩み、子供にも同じ苦労をさせたくないからとあとを継げといえない現実がある一方、きものが好きな若い人たちは「自分の生き方をかけてもいい」ときものショップを創業し、きものの世界に入ってくる。同じ現実を前にして、何が違うのだろうか。
そんな疑問の答を探しに、わかばさんに行ったのですが、開店前の1時間の予定が、話が面白くて話込んでしまった。きものが好きで、古いきもののよさを生かしたいをコンセプトにしてこだわり、そのため今もなお仕立てを習い、古きよききものを生かすための工夫に知恵を絞っている。そんな工夫や体験談をお客様にお話すると、とても喜んでくれるそうで、気軽に立ち寄って、四方山話をして、私もお客様もハッピーな気分になれる店を目指しているそうです。
どういう訳か、うちに来るお客さまは、きものにまつわる苦い思いを聞かされることが多いという。それを反面教師として「お客さまがいやと感じたことをしないように!」を強く心がけているという。例えば、気に入って買ったきものなのに、ミシン仕立てであったり、裏地がポリエステルであったりと、思いがけない事で、喜んで買ったはずが、買わされたになり、がっかりしてせっかくのきものも見るのもいやになって、タンスの中に、という経験のお客様が多いと言う。いってみれば、売り手側の説明不足で、きものがいやになった、というのはマコトに残念!もちろん誤魔化す、なんて気持ちはないのでしょうが、多分「そんなことはこの値段、或はいまどき常識でしょ」という専門家の常識が邪魔をして、説明が足りなかったと思いたい。もっとお客さま視点で、十分な説明や話し込みをして、もっともっとお客様が「ヘー、そうなんだ!」と驚くような、きものの楽しみが増えるような売り方をして欲しいものです。わかばさん、開店4年目を迎え、当初の不安とは違う悩みを抱え、それをどう解決しようかと、新たな思いで試行錯誤をしている。でもそれはどうしたら売上が上げられるかではなく、お客様に喜んで、楽しんできものを着ていただくためにはどうしたらいいか、そういう悩みのようです。
久し振りにペーパーを買いに銀座・伊東屋に。しかし売り場がガラッと変わってしまい、商品量が激減。ペーパーだけでも紙質、サイズ、紙厚など数百種はあったものが、一般的な紙があるだけで、専門性がなくなってしまい,伊東屋の魅力が半減してしまった。お目当ての紙を買えないまま昼飯をと思い、隣りの八眞茂登(やまもと)でベトナム麺を食べようと思ったら、ナント10月21日をもって閉店。ガ~ン。久保宣、宣伝会議のコピーライター教室に通っていた頃だから、もう40年ちかく前から通っていた不思議な中華料理店。当時は2丁目の裏通りの角に、黄昏た感じの薄汚れた独特の雰囲気を持つ店で、麺や餃子など価格が高い割りに、クッションからスプリングが出たイスがあり、内装を構わない感じのミスマッチな感じの店でした。その後再開発でなくなったものと思っていたら伊東屋の隣りのビルの地下にあるのを発見。名物がベトナム戦争の頃考案されたと言う醤油漬けのニンニクがタップリ盛られたベトナム麺。1000円と高いのですが、さっぱりしていて美味。またここの餃子は鉄板の上にスライスした玉葱が敷かれた上にレモンを添えて餃子が置かれていて、ジューシーでこれも美味。しかし店内は、やはどこかほこりっぽい感じで、時々行くのですが、女性客や若い客に会うことはなく、いつも客はパラパラでしたが、ファンが多いのか、顔見知りに会うことも多かった。今回は再開発に伴い廃業、ということのようで、馴染みの味を食べられなくなると思うと、なんかとても寂しい。
20年ぶりにお座敷遊びに浅草に。以前は神田明神下の花街、講武所に通ったことがあります。久保田万太郎が名付け親の待合「万八」と言うところで、女将さんがどういう訳か気に入っていただき、出世払いの「学割」で便宜を随分図ってくれました。だから通えたようなものですが、芸者さんの芸のすごさや気をそらさない話術や遊ばさせてくれる面白さに夢中になったものです。またお姐さんの三味線や新内、常磐津なども座敷で聞かせていただき、わからないながらも、風情とただただ上手さに圧倒されていたものです。きっかけは、映画のきものタイアップの折、宣伝の方が女優さんをお連れしたいので、料金だけ持てといわれ、ついでに連れて行っていただいたのがご縁でした。その1回ですっかり気に入ってしまい、1人で行っても面白くないので、飲み仲間や仕事仲間と連れ立って、いつも5~6人で面白おかしく、あそばせていただいたものです。万八の女将さんが亡くなるまで7年くらい、随分と通ったもので、結婚式の夜、親しい方々にお座敷でお祝いしていただいたのは、楽しい思い出です。
それ以来、本当に久し振りのお座敷遊びで、芸者さんや三味線、とても気分が華やぎました。浅草には、日本でたった4人しかいない幇間がいて、以前宴会で見たり、舞台で見た幇間とはまったく違い、お座敷でこそ輝く芸なのだと改めて知りました。やはり面白い。カラオケを歌うより、楽しい。お座敷遊び、これから大人の間で流行りそうな気がします。
秋になるとなぜか「白玉の歯にしみとほる秋の夜の酒は静かに飲むべかりなりけり」の句が思い浮かぶ。酒の詩人と言われた若山牧水の句で、いつの頃に覚えたのかどうか記憶にないが「幾山川越えさり行かば寂しさの終てなむ国ぞ今日も旅行く」とか「白鳥は哀しからずや空の青海のあをにも染まずただよふ」などの句が思い浮かぶが、どうも最近は若山牧水すら知らない人が多い。どうもその時代の人が共有するいわば「社会常識」が異なってきている。母の時代には歌舞伎役者の家柄から演目までよく知っていて、台詞の1つですべてが通用する「社会常識」があったが、いまは世代によって随分その「社会常識」が違うから、時々戸惑ってしまう。しかしやはり、良き友と肝胆相照らし飲む酒がいちばん上手い。「肝胆相照らす」という言葉が通じる友と飲みたいものです。
それにしても我ながら1日として酒を飲まぬ日がないことに驚いてしまう。時々アル中かと心配もするが、今のところその兆候と言うか、気配は無い、と思う。つくづく酒は美味い、と思う。時に何かを忘れたいための逃避で飲んでいる日があるが、そんな日はやはり酒は不味い。ちょっと前にアメリカで大規模疫学調査を行った結果によると「1999年と2001年で1,839人について禁酒家、かって飲んでいた人、少量飲酒、普通、大量という5つの区分けをして、年齢や性別、学歴、体格などの要素を調査して比べたところ、酒量が増えるほど能容量は減っていた」というショッキングなニュースが新聞に報じられていました。メタボですら危機感をあおるのに十分で、追い討ちをかけるようなこのニュース。しばし深刻に酒を飲むのを止めるか、とも思ったものの貝原益軒先生も言うように「(444)酒は天の美禄なり。少のめば陽気を助け、血気をやはらげ、食気をめぐらし、愁(うれい)を去り、興を発して、甚人に益あり。多くのめば、又よく人を害する事、酒に過たる物なし。水火の人をたすけて、又よく人に災あるが如し。邵尭夫(しょうぎょうふ)の詩に、「美酒を飲て微酔せしめて後」、といへるは、酒を飲の妙を得たりと、時珍(じちん)いへり。少のみ、少酔へるは、酒の禍なく、酒中の趣を得て楽多し。人の病、酒によって得るもの多し。酒を多くのんで、飯をすくなく食ふ人は、命短し。かくのごとく多くのめば、天の美禄を以、却て身をほろぼす也。かなしむべし。」と言うをいいように解釈して、今日も飲んでいる。愁いが多い秋の夜、独人で飲む酒はひとしお心にしみます。
2泊3日の京都出張から帰り、今週初めての出社。雑用が山のようにたまっている。早くやらなければいけない重要なものがあるのに、肝心のことは手付かずで、俺は一体何をやっているんだ。意味のあることをやっているんだろうかと、しばし手を休め考えていた。御礼の手紙やメール、来週の会合や下見の手はず、段取りの確認。机の上には「急用で欠席」のメモ。オイオイ、1名欠席でポ~ンと跳ね上がり、少しは幹事のことも考えてよ、と愚痴りたい気分。オマケに夕方は夕方で、思いもかけない追い討ち。もう酒を飲む気力もなく、今日はごめんと不貞寝したい気分。
それにしても京都の室町、問屋街には活気があまり感じられなかったが、もの作りしている職人さんは、元気。今回お会いした方は、本業は引き染め業ですが、母がコレクションで集めていた明治・大正・昭和のきものや長襦袢、コートなどをコンピュターグラフィックで丁寧に再現し、インクジェツトで再現と言うか、レトロだけれど、新しい息吹くを感じさせる着物や帯。伝統の染織技法ではなく、インクジェツトなの、とは思うものの、型をおこし、染めて、となったら、一枚の着物100万円で出来るかどうか。でもインクジェツトなら、極端言えば3分の1から4分の1で出来る。安くて楽しい着物ができてこなければ、誰も着てくれない、とは母親と息子、お嫁さん3人の一致した意見。楽しそうに作品を作っている。しかも、問屋さんはごめんです。直接小売店か個展でお客様に見せて売ってゆきたいと元気一杯。もうお一人も60歳を過ぎ、問屋頼りではあかんと、自分の作りたい着物、帯を作り還暦過ぎたから、もう大冒険です、と言いながらも作品のことになると話が止まらない。どちらもとても素晴らしい着物や帯で、斬新。物語がたくさんあるので、どうプロデュースできるか、雑用を片付け、そちらに頭を切り替えたい。