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都立上水高校 第1期社会科部OB・OG会公式ブログ

第1期社会科部は平成21年3月12日消滅。本ブログは現在活動中の新生「社会科部」様や都立上水高校とは一切関係ありません。

小平市の歴史 第6回

2005年10月30日 20時59分54秒 | 【連載】小平市の歴史(完結)
2章:開拓の章(つづき)
2、小川村開拓(2)
 岸村には青梅街道が通っている。先述の通り、当時青梅街道は馬で石灰を運ぶ者(石灰伝馬継)の往来が激しかったが、田無(写真)~箱根ヶ崎間はとにかくつらかった。この間は約二十キロ。この距離を歩くのがどの位大変なのか、現代人の我々には少々分からない。これについて、「郷土こだいら」(この連載の最終回で詳細を記す)におもしろい記述があるので、長くなるが引用する。

 男なら一日四十キロ(十里)女とか老人さえ一日八里とされている。しかし東海道を見てもわかるように、やく八キロ(二里)ごとに宿場がある。その上、宿場と宿場の間に茶店があるというように、休むための場所はいくつかある。
 例えば、川崎から次の宿場神奈川まで十キロ(二里半)あるが、途中の生麦村の所が間宿(あいじゃく)で立場(たてば)となっており、「志がらき」という水茶屋があって梅干や梅漬の生姜(しょうが)を売っていてみんな休んだという。こんなものでも街道ではありがたかったにちがいない。そうすると旅人はやく一里ぐらいで休息する場所があったし、その位が休息する距離であると考えると、先の文書の「五里の間に旅人が行倒れて死ぬ者も多かった」というのは大げさなこ張でないことがわかるであろう。(つづく)(執筆・研究関連担当代表<前・会長全権代行>)

削除権発動

2005年10月30日 18時59分17秒 | Weblog
 ただ今、「映像作品について」と言う文章を投稿したところ、トラックバックが一件ありました。
 そのトラックバックしてきたブログの詳しい内容は伏せておきますが、本同好会公式ブログの品位を著しく損ねるものであったため、容赦なく削除させていただきました。
 本当であれば、このような行為をする無礼者は、社会科同好会予備隊のレンジャー部隊が掃討にあたるのですが、今回は重装備状態で待機を命じました(すでに現在は待機解除)。 以上
                                                                                              執筆:会長

映像作品について

2005年10月30日 18時41分05秒 | お知らせ
 本日、国立オリンピック記念青少年総合センターで高文連放送コンクールが行われ、そのコンクールに我が同好会の作品を出品しました。
 詳しい結果についてはわかりませんし、わかっていたとしても公式の場ではいえません。ですからこういう言い方になってしまいますが、結果はかなり良いものではないでしょうか。ただ、懸念すべき点がいろいろあったのでまだまだわかりません。
 余談になりますが、審査員の話?では、本同好会の作品は昭和50年代の手法だそうです。これには、現地に派遣された社会科同好会員一同驚きの表情でした。
 ぜひ、決勝で入賞して 入賞フォォォーーーーーーーー!!! といきたいものです。
 おそらく、間もなく他の同好会員からの投稿もあるかと思いますので、そちらもお楽しみに。                                                                執筆:会長