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都立上水高校 第1期社会科部OB・OG会公式ブログ

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小平市の歴史 第5回

2005年10月29日 22時49分25秒 | 【連載】小平市の歴史(完結)
2章:開拓の章(つづき)
2、小川村開拓(1)
 小平が開拓されることになったのには、もう一つ要因がある。
 江戸時代の初め、江戸では大規模工事が続き、青梅の石灰が青梅街道を通って次々と江戸へ運ばれた。しかし、箱根ヶ崎(東京都西多摩郡瑞穂町)と田無(東京都西東京市)の間の約五里(約二十キロ)には人家が全くなく、旅人は大変な苦労を強いられ、気候の悪い時は死人も出た。そのため、その中間あたりにある小平の開拓が必要だったのである。
 このような理由、そして条件がそろい、ついに小平は開発の道をたどる。
明暦二年(一六五六年)、多摩郡岸村(東京都武蔵村山市岸)の有力者・小川九郎兵衛(おがわくろべえ)安次という者が自費での小平開発を代官所へ願い出た。この願では許可され、これによって現在の小平市小川町辺りが開拓され、小川村が誕生した。
 では、小川九郎兵衛とは何者であろうか。
 小川氏は代々武士だったようで、戦国時代には小田原北条氏(後北条氏)に仕えていた。しかし、先ほど述べたように天正(てんしょう)十八年(一五九〇年)に豊臣秀吉によって北条氏が滅ぼされた後、小川氏は岸村に土着し、郷士となっていた。そして元和(げんな)八年(一六二二年)に生まれたのが、九郎兵衛であった。(つづく)(執筆:研究関連担当代表<前・会長全権代行>)