淡路島・野島断層保存館

2021-12-06 10:32:35 | 写真

今から26年前1995年1月17日午前5時46分に発生した「阪神・淡路大震災」

26年も経ってしまったんだと思っています。

私のとってはまだついこの間のように感じています。

朝起きたら「お父さん、神戸が大変なことになってるよ!」

テレビの画面には、何本もの黒煙が映っていました。

430Mhz SSB帯マチュア無線の仲間達が大勢いる阪神地区、他人事ではありませんでした。

震災から5日後現地に支援金、支援物資を満載して、ランクル80と共に到着しました。

神戸の仲間の無線誘導で、道路は予想通り寸断されランクルでも通行に支障をきたすほどでした。

ここは入り口近くです。

わかりにくいのですが、左角から出ている側溝の続きが、真ん中から右に向かって横になっている側溝です。

角度を変えると

南東側が南西方向に向かって1〜2m横連れ同時に南東側が0.5〜1.2m隆起して逆断層になったとあります。

青い印を基準に右から左にずれた

左の小さな看板には「液状化の後」と書いてあります

私の見た地震から5日後の現場は、この上の写真ほど綺麗ではありませんでした。

この写真の家は鉄筋コンクリート製のためかなり剛性があったようです。

私の見た友人の家は国道2号線上りに面していて、木造のかなり古い家でした。

2階が、1階に覆いかぶさるように崩れ2階の窓から入って、1階に行き1階の窓から出てきました。

中は真っ暗。

懐中電灯の光を頼りに見て回ったのですが、脱出する手前で平衡感覚がおかしくなって、感覚的には真っ直ぐ立っていられず倒れる寸前でした。

「見られるだけ見ていってくれ」という仲間達の案内で、神戸を歩き回りました。

アパートの2階では、トイレの柱だけが2階に残っていて他は全て崩れ落ちた建物。

地割れした道路。

倒壊して道路に横たわる大きなビル。

当時は写真をやっていませんでしたが、目に焼き付けてきました。

それだけに26年がすぐそこにあるような気がしているのでしょう。

2011年の東日本大震災においても、2011年当時宮城県栗原市に住んでいた無線仲間を見舞いましたが、電柱がバラバラに斜めになっているとか

道路が波打っている、縁石が勝手な方向に倒れている、墓石が、バラバラであったという印象があります。

地震当日の東京青山1丁目での高層ビルの揺れほど劇的には感じませんでした。

やはり広い範囲での被害状況と狭い範囲での状況の違い、また密集した都会と郊外との違いかなと思いました。

 

この保存館を見たくて、神奈川相模原から長駆しました。

 

 


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