亀井が渕は、粉喰坂の途中にあります。義経の家臣で弓の名手亀井六郎が山麓をめがけて矢を放つと岩間から水がわき出した。ハッタイ粉を食べ、ここから出た水を飲んで元気の出た義経一行は鵯越を目指して、粉喰坂を上って行った。
粉喰坂と亀井が渕
亀井が渕は、粉喰坂の途中にあります。義経の家臣で弓の名手亀井六郎が山麓をめがけて矢を放つと岩間から水がわき出した。ハッタイ粉を食べ、ここから出た水を飲んで元気の出た義経一行は鵯越を目指して、粉喰坂を上って行った。
粉喰坂と亀井が渕
三草山から鵯越に向う途中義経一行が空腹で困っていたとき、土地の老婆がハッタイ(焼き麦の粉)を献上した。そこで、義経はその老婆の行為に報いるために「粉食(こくい)」という姓と六畝歩の田を与え年貢を免除した。以後、明治まで年貢は免除された。そのことを記した碑が国位田の碑です。
三草山~一の谷(詳細地図)
今回から義経が三草山で平家を打ち破り、平家本隊が陣取る須磨一の谷に攻め入るために走破した道に残された史跡を紹介します。
1184年(寿永3)2月4日、平資盛(すけもり)が守る三草山で夜襲をかけ勝利し、6日、自軍を二分して700騎を土肥実平(さねひら)に預け一の谷の西側に向かわせ、義経は300騎を率いて鵯超えを目指しました。
通過した道については諸説ありますが、史跡の残っているところをそのまま紹介します。
(参考資料:野村貴郎著 源義経 鵯超の坂落し)