実高ふれ愛隊日記

-石川県立大聖寺実業高校情報ビジネス科課題研究ブログ-

北前船の里・日本一の富豪村だった橋立

2013年09月29日 | 日記

隊員NO.7ゆっこで~す

加賀市観光ボランティア大学第11回講座日本一の富豪村・北前の里

北前船主の粋な生き方-」で、講師の江沼地方史研究会・見附裕史先生から、

かつて橋立がとってもお金持ちの村だったことを示す月刊誌『生活』(1916(大正5)年、

東京博文館刊)の記事について教えていただきました。

この月刊誌『生活』は、現在、北前船の里資料館となっている旧酒谷家を調査している際に、

屋敷から発見された史料だそうです。今日は、月刊誌『生活』に紹介されている橋立村の様子

についてレポートさせていただきます

『北陸線大聖寺駅から一里半の海岸に日本一の富豪村がある。すなわち加賀国江沼郡

橋立村小塩と橋立の両大字(おおあざ)に分かれて戸数は各百五十位ある。此の村には

五十萬円以上が三四名あるが上に、二十萬三十萬の資産家が軒を並べ、五萬以上の家に

至っては村の半分以上を占めている。

・・・日露戦役の国債に同村西出孫左衛門氏が七万五千円、久保彦兵衛氏は七万円も応募

した。西出氏は函館の有力者で八十四銀行取締役、大聖寺川水力電気会社専務取締役、

七、八十万の資産を有する。久保氏は大聖寺川水電社長、大阪肥料問屋として、一、二の

顔である。ついで酒谷長兵衛、酒谷長一郎、泉藤三、増田又右衛門、久保彦助らが指を折れる。

・・・妻君達は亭主がいなくなると「鬼のいぬ間に命の洗濯」とばかりに寛々と手足を延ばして

、間食をはじめる。間食会が隔日位に輪番にそこここの家で行われる。金に任せて良い材料を

選んで菓子製造技術に巧妙なことは驚くばかりである。日永うして海晴れた時の女房達の胸の

中は第一の蟠(わだかま)りのない平和なものである。

・・・村には男がいないから、村長にも村会議員にもなりてがない。村長だけは郡長の古い手を

雇って間に合わせているが、村会は殆ど開かない。村役場の吏員は毎度、海を眺めては大欠伸

ばかりをしている。

・・・大家は家の前の道路に電灯を寄付しているから、闇夜でも真昼のように明るい。電灯は

大聖寺水力電気会社から来るが、会社は殆ど全部この村の人が経営しているのだから

お手のものである。

・・・一村に五十万、百万と云う富豪が数人ある村は、他にもまだ沢山あるが、全村挙げて巨万の

富豪ばかり、且つ村が辺陬で住民が土着の者のみと云うのは恐らく橋立村が日本第一であろう。

・・・加賀の人は橋立を称して「金の三昧」と云っている。加賀で「三昧」と云うのは墓地のこと

だから、「金の三昧」とは「金の墓地」と云うことである。・・・』 

北前船の里”橋立”を訪れると、北前船で巨万の富を築いた北前船主の豪勢な暮らしぶりを

うかがい知ることができます。

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