実高ふれ愛隊日記

-石川県立大聖寺実業高校情報ビジネス科課題研究ブログ-

旧北前船主邸の壁板に穴がたくさんある理由

2013年09月16日 | 日記

隊員NO.3ゆかぴで~す

9月12日(木)の加賀市観光ボランティア大学第11回講座

日本一の富豪村・北前の里-北前船主の粋な生き方-」で講師の

江沼地方史研究会・見附裕史先生から教えていただいたことをレポートしています。

現在「北前船の里資料館」となっている建物は旧北前船主・酒谷邸です。

酒谷家は、江戸時代後期から海運業を営み、橋立では西出・久保・増田家などに

次ぐ大船主の家柄でした。1888(明治20)年の小松税務所管内での所得調べでは、

酒谷家の年間納税額が3,317円となっていて、とんでもないお金持ちだったようです。

ところで、今の橋立町には、旧北前船主の邸宅が酒谷家のものも含め、たくさん

残っているのですが、不思議とどの家の壁板にも無数の穴が開いています。

みんなとっても豪邸ばかりなのに、なんで壁板に穴が開いているのでしょうか?

その答えを見附先生が教えてくださいました。

橋立町の旧北前船主邸には、もともと北前船の船底に使われていた「虫食い板」と呼ばれる

板が使われていたからです。木造船の船底には、船喰虫(フナクイムシ)という二枚貝の仲間

が寄生し、巣を作るために、無数の穴が開けられるそうです。船喰虫はゴカイに小さな殻を

つけたような姿をしていて、その固い殻で木に穴を開けます。そしてできた穴の内側に

薄い石灰質の膜を貼り付けて巣を作るのです。「板子一枚下は地獄」の北前船にとって、

その船喰虫が開ける穴は最大の敵でした。そこで毎年航海が終わったあとには、

必ず「たで場」という所で、船の底を外から火であぶって、船喰虫を殺したり、船板にしみ込んだ

水分を除いたりする作業をしたそうです。そして船喰虫はなぜか板を二枚重ねると、外側にだけ

穴を作る習性があります。そこで北前船では、船を守るために板を二枚重ねにして、「包み板」と

して使った外側の板を定期的に取り替えたのです。そしてこのときに取り外した虫食い板」を、

塩水に強く風にも強い性質をもっていたため、海に近い橋立町の家の板塀として再利用したのです。

なお、現在トンネルをつくるときに使われている「シールド工法」というのは、木材の虫害について

研究していたイギリスのエンジニア・マーク=ブルネルが、船喰虫の習性をヒントに編み出した

のだそうですよ。おもしろいですね!

明日も「北前船」のレポートをさせていただきますので、よろしくお願いします!!

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