隊員NO.2ゆきちで~す
9月12日(木)に加賀市民会館で行われた加賀市観光ボランティア大学
第11回講座「日本一の富豪村・北前の里-北前船主の粋な生き方-」に参加しました。
今回の講師は江沼地方史研究会・見附裕史先生です。
先生は最初に、1983(昭和58年)10月にオープンした「北前船の里資料館」建設の経緯
について話してくださいました。
「北前船の里資料館」誕生のキッカケは、なんと橋立町で起こった台風並の突風による
土塀の倒壊と、度重なる土蔵破り被害だったのだそうです。
1981(昭和56)年12月に橋立町を突風が襲い、旧酒谷家(現北前船の里資料館)の
とても立派な土塀が約60mにわたり倒壊し、近隣の民家にも被害が及ぶ大騒ぎとなりました。
また、この頃橋立にある旧北前船主の家が次々と土蔵破りの被害に遭うという事件も
起こっていました。普通土蔵に穴を開けても、つぎつぎとジャリが落ちてきて、簡単には
侵入できないものだそうですが、旧北前船主のお宝欲しさに、泥棒は何日もかけて
品物を盗み取っていったそうです。そのような状況の中で、地元橋立の皆さんが
「このままではいけない!歴史的価値のある旧北前船主の家を保存したい」と加賀市に
陳情され、加賀市が旧酒谷家の建物の調査を始めたのです。
調査には文化財保護に理解のあった当時の山下力加賀市長とともに、加賀市教委の職員で
あった今回講師の見附先生も同行されました。酒谷家の子孫にあたる女性は東京に
居住されており、建物は空き家状態でした。中庭は雑草が伸び放題でヘビがいっぱい、
建物の中も雨漏り・ネズミの被害・強風による砂の進入などで、悪く言えばバタバタの状態
だったそうです。しかし、この住居を調査すると、旧酒谷家の建物のすばらしさがすぐに
分かったそうです。ケヤキの8寸角の柱、巨大な松でできた立派な梁、秋田杉でできた
正面大戸の一枚板。これらの材木にはすべて6回も7回も漆が塗られており、光沢が
放たれていました。1872(明治5)年、当時の酒谷家当主の長兵衛さんが財力にものを
いわせて、凝りに凝ってつくった素晴らしい建物の価値が分かり、見附先生は「なんとか
しなければ」と思われたそうです。
加賀市はこの旧酒谷家を5,000万円で購入し、リニューアルに5,000万円を計上する計画を
立てました。でも加賀市の財政担当者や一部市議会議員さんからは猛反対があったといいます。
「橋立に資料館を作ったって、だれも観光になんか来ない。もし、目標入館者数の年3,000人
が入館したら、逆立ちして市庁舎を歩いたっていい!」なんて声もあったそうですよ。
しかし奇跡が起きました。
昭和58年10月、北前船研究家・故牧野隆信先生(元大聖寺高校長)が記念講演をおこなって
オープンした「北前船の里資料館」にたった2ヵ月で6,000人もの入館者が訪れたのです。
そして昭和61年には、なんと年間7万人もの人々が北前船に興味を持って、入館されました。
実はこの年に7万人もの入館者があったのには裏話もあるそうです。当時、皇太子の浩宮様には
ご成婚の噂があって、女性週刊誌がよく記事にしていましたが、その浩宮様がちょうどこの年に
「北前船の里資料館」にご来館されたのです。すると、そのことが記事になって、多くの週刊誌が
資料館のことを紹介したのです。市役所には、「北前船の里資料館って、どこにあるのか?」という
問い合わせがいっぱいきたそうですよ。
資料館建設を担当された見附先生が、館内を「船主の生活館」「衣装館」「船絵馬館」「引札館」
「ビデオ館」「古文書館」などに分け、工夫されたことも当然、入館者数アップにつながったと思います。
今年、開館30周年を迎えた「北前船の里資料館」には、今も約2万人もの方が来館されています。
皆さんも一度「北前船の里資料館」を訪れて、北前船の歴史を学び、旧北前船主の華やかな生活
ぶりを感じてみませんか?