実高ふれ愛隊日記

-石川県立大聖寺実業高校情報ビジネス科課題研究ブログ-

いつも閲覧ありがとうございます!!

2013年08月16日 | 日記

隊員NO.3ゆかぴで~す

いつも応援していただき、本当にありがとうございます。

4月から、加賀市のたくさんの皆さんにご協力いただきながら、活動をしています。

ブログ「実高ふれ愛隊日記」にも多くの皆さんにご訪問いただき、とてもうれしいです!

今回は、この4月からわたしたちがまとめた記事のうち、訪問者数が多かったもの(8/14現在)

整理してみました。もしよろしければ、表の中のタイトルをクリックして、お読み下さい。

 

記   事

日にち

訪問者数

閲覧数

「蝶の舞」を見てきましたよ!!

         (菅生石部神社・天神講)

7月26日

266

953

片山津温泉・山口さんにいただいた

           素敵なおみやげ 

8月14日

262

943

  山中温泉荒谷町「鶴ヶ滝」・

      マイナスイオンがいっぱいです!

 8月 1日

241 

755

大聖寺藩の歴史を勉強しました!! 

 4月12日

237 

806 

片山津温泉・「砂走公園(あいあい広場)」

 8月13日

236 

716 

  まんが「敷地物狂(しきじものぐるい)」

             は楽しいですよ!

7月30日

226

704

「動橋町」を歩く・宿場町の面影がたっぷり

6月18日

226

639

  菅生石部神社の文化財展

        (作見町・加賀市美術館)

7月27日 

225

878 

 能『敷地物狂』・580年の時空を超えて復活! 

7月29日

 222  641

10

菅生石部神社・いよいよ今日から天神講です!

7月24日

 218  706

また、

11位 篠生寺・蓮如ゆかりの「篠の道場」(6/19、217人・715回)

12位 大聖寺藩の参勤交代は約3億円もかかりました!(7/7、216人・714回)

13位 日本一のオオサンショウウオ(7/31、215人・707回)

14位 丸八製茶場(動橋町)の「加賀棒茶」(6/20、215人・547回)

15位 深田久弥山の文化館」(大聖寺番場町)(7/15、212人・877回)

などを多く見ていただきました。

その他にも、「山代温泉」や「山中温泉」に関する記事もたくさんお読みいただいています。

これからも実高ふれ愛隊7人みんなで頑張りますので、応援よろしくお願いします!!

(おまけ)

大聖寺実業高校生が作成した加賀市PV『石川県の加賀市に行ってみよう!』をご覧ください!

石川県の加賀市に行ってみよう!(←クリックしてください!)

石川県ブログランキングへ


片山津温泉おいしいとこめぐり

2013年08月15日 | 日記

隊員NO.2ゆきちで~す(^o^)

8月8日(木)の加賀市観光ボランティア大学で片山津温泉を訪問した際、

わたしたちは夕ご飯をかねて、片山津温泉のおいしいとこめぐりをしました。

まず最初に先生から、「片山津においしい若鶏の唐揚げがあるらしいよ。」という

お話を聞いて、山形精肉店で若鶏の唐揚げをGETです。事前に電話で注文を

した上で、お店へ伺い、隊員NO.3ゆかぴが奥様から受け取りました。

こんなにたくさんあって、たったの500円。あつあつでジューシーでとっても

おいしかったです。「今度は家族で買いに来よっと!」

つぎに片山津のおいしいたこ焼き屋さんとして有名な「つぼ家」さんへ行って、

7人それぞれたこ焼きを注文しました。ソース味、ネギしょうゆ味などバラエティに

富んだメニューを、ご主人が手際よく仕上げていかれます。「早く焼けないかなぁ」

しばらく経ってできあがり!みんなで「あいあい広場」に移動して、たこ焼きパーティー

です。「つぼ家」のたこ焼き、噂どおりのおいしさでした。

そして「柴山潟ナイトクルーズ」の後、のどがカラッカラになったわたしたちは、

「村カフェアレコレ」に行って、生ジュースやかき氷をごちそうになりました。

お店の雰囲気も良くて、とても幸せな気分。

お店はとっても多くのお客さんで賑わっていました。

以前ご紹介させていただいた「片山津バーガー」を含めて、片山津温泉には

おいしいものがいっぱいです。みなさん、片山津温泉でグルメな時間は

いかがでしょうか?

石川県ブログランキングへ


片山津温泉・山口さんにいただいた素敵なおみやげ

2013年08月14日 | 日記

隊員NO.5いくので~す(^^)/

8月8日(木)の加賀市観光ボランティア大学第9回講座

夜の風景散歩・片山津-冷涼!!屋形船で湖上遊覧-」で、

わたしたち受講生全員は、山口美幸さんから片山津温泉観光協会の

素敵なおみやげをいっぱいいただきました。今回わたしたちふれ愛隊は

7人みんなで参加させていただきましたので、本当にラッキーでした。

山口さんそして片山津温泉観光協会のみなさん、ありがとうございました。

ここで、今回プレゼントしていただいたものをご紹介します。

まずは、「片山津かるた」の絵がたくさんプリントされたクリアファイル。

雪の博士・中谷宇吉郎先生が顕微鏡をのぞいている絵もあります。

そしてクリアファイルの中には、「片山津かるた」の絵はがきの5枚セットが入っていました。

それ以外にも、加賀片山津温泉柴山潟クルーズについてわかりやすく説明された

パンフレットや芸者検番・花館のチラシも入っていて、わたしたちにとって、とってもいい

研究資料になりました。

そしてとってもかわいい「KAMOYAN(かもやん)」くんのウチワとシール。

「KAMOYAN(かもやん)」くんは片山津温泉の人気キャラクターなんですよ。

柴山潟ナイトクルーズを楽しみ、きれいな花火を見たうえに、こんなに素敵なプレゼントも

いただいて、今回の加賀市観光ボランティア大学は、とってもお得な研修になりました。

石川県ブログランキングへ


片山津温泉・「砂走公園(あいあい広場)」

2013年08月13日 | 日記

隊員NO.1いぶで~す(^_^)v

片山津温泉の中心部にある公園を砂走(すなはせ)公園といいます。

柴山潟をイメージした大小2つの池では、準絶滅危惧種「ガガブタ」などの水生植物を

みることができます。またウッドデッキあり、一面にしかれた芝生ありで、とってもなごむ

感じの公園です。別名「あいあい広場」っていうそうですよ。

交差点を挟んだ斜め前には、昨年新しく街湯が誕生するまで、長年片山津の人びとに

親しまれてきた旧総湯の建物がひっそりと建っていました。総湯さん、ご苦労様でした。

砂走(すなはせ)公園にはえんがわ」という名前の足湯がありました。その名の通り

えんがわ」を意識した作りになっていて、どなたでも無料で利用できます。そして

うれしいことに、営業時間は朝の5時から夜12時までになっています。ふつう夜9時には

閉まる足湯の多い中、ここは深夜までの利用が可能な貴重なスポットです。みなさん、

マナーを守って利用しましょうね。

片山津温泉の源泉は塩分をたくさん含む塩化物泉で、保温効果がとても高く、冷え症や

関節痛に効果的だそうです。源泉100%の足湯で、足の疲れを癒すことができます。

足湯「えんがわ」の横には、片山津温泉の配湯所がありました。この配湯所は、

柴山潟の湖底からこんこんと湧き出るお湯を各旅館に配給する役割を担っています。

また寝殿造りを模した建物の中には薬師如来像が安置されており、片山津温泉

シンボルです。

砂走公園は、とってもデザインのすぐれた素敵な公園で、片山津温泉街を活性化させる

起爆剤になっているのですね。今年は、「うきうき宵の市」の会場にもなっていて、

とても多くの温泉客の方で連日賑わっているそうです。

皆さん、片山津の花火大会をご覧になった後に、砂走公園(あいあい広場)

是非お立ち寄り下さいね。

石川県ブログランキングへ


かっぱ1号さんが語る「柴山潟の歴史と自然」

2013年08月12日 | 日記

隊員NO.7ゆっこで~す(^_^)v

8月8日(木)の柴山潟ナイトクルーズは、片山津温泉街や柴山潟大噴水の

美しい夜景だけでなく、船頭のかっぱ1号さんの興味深いお話で、いっそう楽しい

旅になりました。かっぱ1号さん、本当にありがとうございました。

かっぱ1号さんは、柴山潟の歴史と自然についても、くわしく話してくださいました。

柴山潟は大昔、日本海に通じていましたが、海側に砂丘が発達して潟湖(ラグーン)に

なったと考えられています。そして今江潟、木場潟と合わせて「加賀三湖」と呼ばれて

いました。今の加賀市は古来「えぬの国」、明治以降になってからは江沼郡と称され、

市内には、港を意味する「津」のついた地名(片山津、潮津)、波のついた地名

(大菅波、小菅波、弓波、津波倉)、島のついた地名(西島、中島) なども残っていて、

柴山潟がとっても広かったことを物語っています。

柴山潟は明治の中頃までは水上交通の中心地でもありました。動橋川→柴山潟

串川→今江潟→安宅湊は舟で結ばれ、北陸本線が開通するまでは舟運がとても

盛んだったそうです。昭和の中頃でも、小松高校のボート部が小松中心部の京ビルの

所から片山津までボートでやってきていたそうですよ。

現在、柴山潟の大きさは約1.8km平方キロで、東京ドーム40個分ですが、以前は

その3倍の約5.8平方キロもあったのだそうです。昭和の中頃、戦争が終わったばかりの

「食糧難」だった時代に、水田の造成と潟周辺の湛水被害解消のため、加賀三湖の

国営干拓事業が着手され、現在の姿になったのです。そして、新しい排水路として

新堀川が開削され、柴山潟の水が日本海に流れ込むようになりました。

かつて柴山潟漁舟による投網が盛んで、たくさん魚介類が獲れたそうです。

投網の光景は片山津温泉の利用客に大好評で、観光面でも大きな役割を担っていました。

今も柴山潟の北岸は広大な湿地帯で、ヨシが生い茂り、野鳥の天国となっているだけでなく、

良い漁場でもあります。「現在も柴山町には漁師さんがおいでて、テナガエビやウナギなど

がとれるんですよ。」と、かっぱ1号さんは教えてくださいました。

柴山潟の自然を活かした観光地づくりに片山津温泉の皆さんは一生懸命取り組んで

おいでます。美しい湖畔の温泉・片山津柴山潟を多くの人びとにPRしましょう!!

石川県ブログランキングへ


柴山潟の大噴水と「ど根性アオサギ」

2013年08月11日 | 日記

隊員NO.6れいなで~す(^_^)v

昨日の隊員NO.5いくちゃんのリポートに引き続き、8月8日(木)の

加賀市観光ボランティア大学第9回講座で体験した柴山潟ナイトクルーズ

についてご報告します。

柴山潟ナイトクルーズの楽しみは何といっても、涼しい風を感じながら、

片山津温泉街の百万ドルの夜景を楽しむことです。宿泊施設からこぼれる光が

柴山潟の湖面に反射してとっても幻想的な雰囲気を味わうことができます。

そして片山津温泉自慢の柴山潟大噴水。何と高さ70mののダイナミックな

水の華を咲かせる日本有数規模の巨大噴水です。1本の直上噴水と5本の

放射状噴水からできており、1日に15回豪快な水しぶきをあげ、大きさが変化

しながら鳥がはばたいているような姿になります。さらに夜は緑色にライトアップされ

めちゃくちゃきれいです。

わたしたちが乗った屋形船はなぜか屋根がありませんでした。「不思議だなぁ?」と

思っていたところ、船頭のかっぱ1号さんが、「この船も元々は屋根があったんですよ。

わざわざ屋根を外したんです。なぜだと思いますか?」と逆にわたしたちに質問されました。

そして答えは「大噴水や花火、満天の星をしっかり見たいというお客さんの要望に応える

ため」でした。

つづいてかっぱ1号さんは「みなさん、よ~く見てください!噴水の袂に今日も何かが来てますよ。」

と説明されました。読者の皆さんも、下の写真をクリックして確認してください。

なんと「アオサギ」です。普通アオサギは警戒心が強くて、人や船が近づくと逃げていってしまうの

ですが、この「アオサギ」は大噴水の水しぶきを浴び、船が近づいてもびくともしません。

かっぱ1号さんのご説明によると、対岸の湖北小学校の所に巣があって、200羽ほどの

アオサギがいるのですが、その中の2羽だけがこうやって船を恐れず、噴水を恐れず、

必ずいつもここにやってくるんだそうです。その目的は「サヨリ」というお魚。

このアオサギくんはサヨリを食べたくて、噴水を物ともしない「ど根性アオサギ」だったのです。

柴山潟ではサヨリを追ってやってくる6~70cm級のスズキの姿やボラの跳躍も見ることができます。

大噴水の水しぶきかなぁと思っていたら、急に降り出した雨でした。

「スピードを上げますから、注意してくださいね!」というかっぱ1号さんの合図を受け、

夜風を体いっぱいに浴びながら、わたしたちは船着場へと向かいました。

石川県ブログランキングへ


納涼!!柴山潟ナイトクルーズ

2013年08月10日 | 日記

隊員NO.5いくので~す(^^)/

8月8日(木)19時30分、わたしたちは、加賀市観光ボランティア大学第9回講座

夜の風景散歩・片山津-冷涼!!屋形船で湖上遊覧-に参加しました。

竹本利夫学長のご配慮により、今回はふれ愛隊7人全員が参加することができました。

竹本学長いつもありがとうございます。そして今回の講師は、片山津温泉のことなら

何でもご存じの片山津うきうきガイド・山口美幸さんでした。

柴山潟ナイトクルーズの乗船受付を担当していたのは、かわいいチビかっぱ12号くん。

受講生、世話人の方等あわせて42人の参加者は、3隻の屋形船に分かれて、浮御堂近くの

船着場から出発です。

わたしたちの船の船頭は、かっぱ1号さんでした。船頭さんが「かっぱ」の格好をしている

のには理由があります。6年前に柴山潟クルーズを始めたとき、「かっぱ」が浮御堂の

陰から飛び出すという余興をしたそうです。ところが、多くの子ども客がビックリして泣き出して

しまったことから、それじゃ最初から「かっぱ」のコスチュームを着て船頭をしよう!

と決めたのだそうです。かっぱ1号さんは、お話がお上手でした。片山津の竜神の伝説、

片山津温泉・隠れハートのお話、片山津温泉街湯には「潟の湯」と「森の湯」があって、

柴山潟にのぞむ「潟の湯」が女性用になる日(奇数日)に船が近くを通れないこと、

昨年12月の「ふたご座流星群クルージング」では次々と流れ星が見れたこと、

柴山潟の船の上から川北の花火や岐阜県の稲光までもが見えることなど、

次々と楽しいお話が飛び出して、とっても楽しいクルーズになりました。

この日は残念ながら曇り空で晴れた日には見える満点の星空が見えませんでした。

そこで、かっぱ1号さんは特別サービスで、わたしたち乗客一人ひとりに大きな線香花火を

手渡し、点火してくださいました。

「ピカピカ、ピカピカ!」「わぁ、すごくキレイ」わたしたちは大騒ぎです。

まわりが真っ暗な湖面での線香花火は満天の星にも負けないくらいキレイでした。

とっても素敵な柴山潟ナイトクルーズの旅については、明日のブログでも

引き続きご紹介させていただく予定ですので、よろしくお願いします。

石川県ブログランキングへ


加賀片山津温泉の花火って、最高で~す!!

2013年08月09日 | 日記

隊員NO.4まこで~す(^_^)v

←片山津温泉観光協会ホームページより

わたしたちは久しぶりに7人が全員集合して、加賀市観光ボランティア大学

第9回講座夜の風景散歩・片山津-冷涼!!屋形船で湖上遊覧-

に参加してきました。

 

夕方6時に片山津に到着したわたしたちは、まず「うきうき宵の市」を見学しながら、

片山津名物の山形精肉店の「若鶏の唐揚げ」やつぼやの「たこ焼き」をいただきました。

そして7時30分からは、3隻の屋形船に分乗して、ボラ大のみなさんといっしょに

柴山潟ナイトクルーズ体験です。案内役のチビかっぱたちがとてもかわいかったですよ。

そしていよいよ9時からは片山津温泉の夏の風物詩・柴山潟の花火大会です。

湖上から上がる花火は、湖面に響き渡る音もとってもでっかく、迫力満点でした。

一生懸命写真を撮ったのですが、残念ながらいい写真が撮れなくて、冒頭に

片山津温泉観光協会ホームページの写真を転用させていただきました。ご了承下さい。

夜の柴山潟はとっても素敵です。浮御堂や大噴水がライトアップされていて

とても幻想的な光景でした。柴山潟の湖上を流れる心地よい夜風を浴びながら、

この夏一番の思い出ができました。

 

片山津温泉の花火まつりは、8月に入ってから毎晩開かれています。

そして足湯がある「あいあい広場」では、多くの夜店やイベントが楽しめる

「うきうき宵の市」が開かれています。会場では9月7日の『加賀温泉郷フェス2013』の

予選もかねて「インディーズチャレンジ」というコンサートも行われていました。

今日のコンサートは、小松市出身の森田観光さんで、わたしたちもついつい

聞き惚れてしまいました。

「うきうき宵の市」の会場は多くの宿泊客の皆さんで、とっても賑わっていましたよ。

さぁ、夏真っ盛りです。みなさんも加賀片山津温泉で、夏の夜を満喫してみませんか?

石川県ブログランキングへ


加賀市の新名所・山中温泉「森光子一座記念館」(2)

2013年08月08日 | 日記

実高ふれ愛隊です!

昨日に引き続き、5月2日にご紹介した山中温泉の「森光子一座記念館」の記事を

再録させていただきます。まだお越しでない方は是非見学して下さいね!

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

隊員NO.3ゆかぴで~す(^_^)v

4月30日(火)の課題研究の時間、4月27日にオープンしたばかりの

山中温泉・森光子一座記念館を見学させていただきました。

館内を元山中町長の田中實さんに、本当にご丁寧に案内していただきました。

森光子さんといえば、何といっても『放浪記』です。

館内には『放浪記』の舞台セットや森さんが実際に着用されていた舞台衣装が

いっぱい展示されていて、間近に見ることができました。

劇中、さんが演じる林芙美子が喜びのあまり「でんぐり返し」をするシーンは、

2008年、さんが87歳のときまで続きました。森さんは身長148cmの小柄な

体だったそうです。「『でんぐり返し』が出来なくなったら私は女優を辞める」

と言って、まわりの反対を押し切って「でんぐり返し」を演じ続けるくらい

すごい役者根性を持っていました。

森光子一座記念館には、さんが帝国劇場で『放浪記』を演じられたときの

楽屋風景が忠実に再現されていて、びっくりしました。

さんの交友関係はとっても広くて、SMAPをはじめ王貞治さん、北島康介さん

など芸能・スポーツ関係の皆さんについての展示もたくさんありました。

米倉涼子さんから贈られた花輪もありましたよ。

館内では、森光子さんと山中温泉のかかわりを紹介するビデオ上映もあって、

実高ふれ愛隊の7人も楽しく拝見しました。

田中さん、わかりやすく館内の解説をしていただきありがとうございました。

(プレゼントしていただいた山中温泉石川屋の炭酸せんべい、とてもおいしかった

ですよ!

石川県ブログランキングへ

 


加賀市の新名所・山中温泉「森光子一座記念館」

2013年08月07日 | 日記

実高ふれ愛隊です!

今日は、5月1日にご紹介した山中温泉の森光子一座記念館」の記事を

再録させていただきます。まだお越しでない方は是非一度足をお運び下さい!

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

隊員NO.2ゆきちで~す(^_^)v

4月30日(火)の課題研究の時間、4月27日に山中温泉本町2丁目に

オープンしたばかりの森光子一座記念館を見学させていただきました。

ゴールデンウィークなのもあって、わたしたちが訪れたときにも、

観光客の方々がぞくぞくと記念館に来場されていました。

そして実高ふれ愛隊のために、この森光子一座記念館を設立するために

大変ご尽力されてきた元山中町長の田中實さん自ら、本当にご丁寧に館内を

ご案内いただきました。田中さん、ありがとうございました。

森光子さんは皆さんよくご存じのように昭和を代表する大女優です。

「日本のお母さん」と言われていました。また2009年には国民栄誉賞を

生前授与されています。

森光子さんの代表作は何といっても、『放浪記』です。演出家の菊田一夫に

見出され、初めて主役・林芙美子役を演じました。劇中の「でんくり返し」はとっても有名です。

『放浪記』は1961年の初演から86歳になった2006年まで、計2017回も演じられました。

森光子さんは本名村上美津。京都生まれで、東京で仕事をしてきた方で、

山中温泉とは関係の薄い方でした。しかし、日本に数ある民謡の中で、『山中節』が

もっとも好きだったことから山中との縁ができたのです。

2002(平成14)年に山中温泉の中心に山中座を作る際、当時山中町長をされていた

田中實さんは「誰に名誉館長になっていただくといいかなぁ」と悩んでいたそうです。

そんなとき、ラジオから森光子さんが「日本の民謡の中で一番好きなのは、

とても唄うのが難しいけれども山中節です!」とおっしゃった言葉が耳に飛び込んできました。

田中さんはすぐに山中の温泉たまご50個と娘娘饅頭50個を持って、森光子さんの下へ

山中座の名誉館長をお願いします。」と依頼に行ったそうです。

でも、田中さんは多忙な森光子さんにお会いすることはできませんでした。

こんな田中さんも4回目の訪問で、初めてさんに会っていただくことができたそうです。

それでも森さんは、「わたしには日本中に応援して下さる方々がいます。山中座のお話を

引き受けることは、他の皆さんにとって不公平になります。」といって、断られたそうです。

しかし、田中さんの6回目の訪問で、田中さんの熱意にほだされ、ついにさんは

山中座の名誉館長を引き受けられたそうです。

さんは10年以上にわたって山中座の名誉館長を務められました。

そして昨年11月10日に多くのファンに惜しまれながら、亡くなられました。

さんとのこのような縁から、今回山中温泉に大女優だった森光子一座記念館

オープンしたのです。

記念館にはさんが芸能生活で使われた貴重な衣装や国民栄誉賞・文化勲章などの

貴重品が数多く展示されています。(明日、館内の様子をレポートさせていただきます。)

みなさん、このゴールデンウィーク森光子一座記念館は必見ですよ。

ぜひ山中温泉にいらして下さいね!!お待ちしてま~す!!

石川県ブログランキングへ


富樫の馬塚(大聖寺敷地町)

2013年08月06日 | 日記

隊員NO.3ゆかぴで~す(^_^)v

先日、大聖寺敷地町にある菅生石部神社で「天神講」を見学した際に、

通りをはさんだところに、小さな祠(ほこら)を見つけました。

祠の横にある案内板を見ると、「富樫の馬塚」というおもしろいお話が

書かれていましたので、みなさんにご紹介させていただきます。

「富樫の馬塚」

『室町時代、足利将軍の命令で西国を平定し帰国を急ぐ富樫三郎(成衡)は、

大聖寺で猛吹雪に遭い、誤って谷に落ち家来や愛馬と離れて一人となって

しまった。すでに日は暮れ、寒さと飢えに襲われ危うく一命を失うところであった。

そこへ駆け去った愛馬が口に餅をくわえて目の前に現れた。喜んだ富樫は、

この餅で飢えをしのぎ、夜明けを待った。

明け方、家来とも再会し一緒に菅生石部神社の前まで来たとき、突然乗っていた

愛馬が立ち止まって動かなくなってしまった。これに立腹した富樫は、この愛馬

斬り殺してしまった。

しばらくして富樫は冷静になり、愛馬が立ち止まった家の中をのぞいたところ、

あたりには餅が一面に散らかっていた。愛馬が主人である自分を助けたい一心で

(藁屋の男をかみ殺して)この家から餅をくわえてきたが、菅生石部神社の神様の

霊験により自分が犯した罪を諭され、この家の前で一歩も前に動こうとしなかったのだ。

これを悟った富樫は、自分の短気から愛馬を殺した罪を悔い、この地に馬塚

設けてねんごろに弔ったと伝えられている。また、江沼の総鎮護である菅生石部神社の

尊き御神域で不敬な行いをしてしまった富樫は、これより後神社の前を通ることが

許されず神社の裏山の小道を通ることになった。これを富樫の隠れ道という。』

このお話は江戸時代中期の俳人・堀麦水(ほりばくすい、1718~1783年)という人が、

加賀藩内の不思議な話しとして伝わる言い伝えを集めた『三州奇談』という本の中で、

敷地馬塚」として紹介されているお話だそうです。

石川県ブログランキングへ


「燃え上がれ清五郎(セイゴロー)!」

2013年08月05日 | 日記

隊員NO.2ゆきちで~す(^^)/

イベントカレンダー東北電力ビッグスワンスタジアム(新潟市)

8月3日(土)、サッカーJ1「アルビレックス新潟vs清水エスパルス」の試合が

行われました。北陸唯一のサッカーJ1チーム「アルビレックス新潟」の本拠地・

新潟市中央区清五郎ある「東北電力ビッグスワンスタジアムスワンスタジアム」には、

浦和レッズに次ぎ、日本で二番目にサポーター数が多いという地元・新潟の熱狂的な

人びとによって、この日も応援歌が鳴り響いたことでしょう。

「燃え上がれ清五郎」 原曲/In These Arms/Bon Jovi 

I Love You I Need You 戦えオー新潟(ニイガタ)

燃え上がれ清五郎(セイゴロー)! 

この応援歌に出てくる「清五郎」は、昨日のブログでご紹介させていただいた

今の加賀市細坪町から新潟に移り住み、新潟の湿地と闘った農民・清五郎のことです。

鳥屋野潟南側にある東北電力ビッグスワンスタジアムスワンスタジアム」の

すぐ近くに、次のような文字が刻まれた記念碑が建っています。

「清五郎地区の伝承」

この集落は、寛永十七年(一六四〇)に、八人の農民により拓かれた。

新発田に移封された領主 溝口氏の新田開発に夢を託し、加賀の国大聖寺三谷村

細坪を後にした八人は、村の鎮守春日大明神を奉じて舟に乗り、この地に到り

開墾を始めた。しばらくして仲間のひとり清五郎が病に倒れた。

薬を富山まで求め親身に看病したが、ついに帰らぬ人となる。皆は夢半ばにして

世を去った友を偲び、彼が愛したこの地を『清五郎』と呼ぶことにした。

開墾の苦労は想像を超えていた。鳥屋野潟の水も幾度となく押し寄せる。

それでも先人達は助け合い、人力で堤防を築き『清五郎』を守り抜いた。

石碑の建つ場所は、その堤防の名残である。石碑の隣の松は、清五郎川川口の

目印に植えられ『一本松』と呼ばれた。芦が囲う潟を霧が覆えば、船は方向を失う。

かすかに見えるこの松を頼りに、救われた人は多い。舟人が家路を急ぐ頃、

佐渡の端に沈む夕日は水面に映えて、満目の水郷は武陵桃源の趣を見せていた。

この情景は明治の漢詩に、鳥屋野潟八景の一つ『清里の夕照』と謳われた。

我々は、この地を見守り続けた堤防と『一本松』を保存し、先人の努力を称えると共に、

助け合いの精神が、いつまでも受け継がれることを願い、歴史の一端を石碑に記した。

平成十九年五月 清五郎地区 一本松保存会 
財団法人 亀田郷地域センター


「アルビッレクス新潟」が苦しい闘いを強いられたとき、新潟のサポーターたちは

細坪村からやってきて粘り強く頑張り抜いた「清五郎村」の人たちのことを思いながら、

心を一つにして、おらがチームを応援し続けているのですね。

8月3日(土)の試合では、アルビッレクス新潟」が3-1で勝利したそうです。しかし、

現在、「アルビレックス新潟」は8勝9敗2分(勝ち点26)で、18チーム中12位と苦しんで

います。燃え上がれ清五郎(セイゴロー)!」って大声をあげて応援しなければ

なりませんね! 

石川県ブログランキングへ 


新潟の湿地とたたかった細坪村の清五郎

2013年08月04日 | 日記

隊員NO.1いぶで~す(^^)/

イベントカレンダー東北電力ビッグスワンスタジアム(新潟市)

新潟市中央区の鳥屋野潟のすぐ横に「清五郎地区」といういかにも人名からとった

ような地名があります。そしてこの清五郎地区」には現在、サッカーJ1リーグの

アルビレックス新潟の本拠地・東北電力ビッグスワンスタジアムをはじめ、近代的な

スポーツ施設が建ち並び、年間100万人以上の人びとが訪れる巨大な運動公園に

なっています。

しかし江戸時代の初め、ここは人間の手ではどうしようもできない低湿地だったといいます。

そして未開の地だったこの場所を一から開墾したのが、今の加賀市細坪町からやってきた

清五郎八人衆」だったのです。

昨日のブログでご紹介しましたように、1584(天正12)年から15年間、大聖寺城主を

つとめた溝口秀勝が、1598年4月に新発田6万石に移封された際、大聖寺に住んでいた

多くの商人や僧侶、農民たちが溝口秀勝と一緒に新潟へと移り住みました。また

その後も、溝口氏を慕ってか、江沼郡の農民の多くが新潟へと移り住んだようです。

そしてその中に江沼郡細坪村の八人も含まれていました。与五平・清蔵・伝助・仁兵衛・

大次郎・古吉・加治・清五郎の八人衆です。

彼らは新天地を求め、細坪の鎮守春日大明神を奉じて舟に乗り、この地に到り、

開墾を始めたのでした。しかし、新天地・新潟での開墾は思うに任せませんでした。

なにしろ、日本一の長さと流水量を誇る大河・信濃川と日本で二番目に流水量の多い

阿賀野川の水が流れ込む低湿地帯です。

二つの大河は河口近くで、水が砂丘に阻まれ分流し、いくつもの湖沼を作り出すだけでなく、

毎年毎年洪水を繰り返しました。いくら江沼郡の低湿地で開墾した経験があったとしても、

水と闘いながら、新田を開発することは並大抵ではなかったはずです。

信濃川←『新潟文化物語ホームページ』より

そのような中で、細坪村の八人のうち、清五郎病に倒れました。仲間たちは薬を

富山まで求め親身に看病したといいますが、ついに清五郎は帰らぬ人となります。

そこで残りの七人は夢半ばにして世を去った清五郎をしのび、彼が愛したこの地を

清五郎』と呼ぶことにしたのでした。

今から6年前、地元の人びとによって、東北電力ビッグスワンスタジアムの近くに、

清五郎地区の伝承」という記念碑が建てられたそうです。その碑には幾多もの試練と

闘いながら、今の「清五郎地区」をつくった細坪村の人びとの記録が残されています。

「新潟市中央区だより(平成19年6月17日号)」

(↑クリックしてお読み下さい!)をリンクさせていただきました。ご参照下さい。

なお、レポート作成にあたり、『大聖寺町史』(大聖寺町史編纂委員会編)54ページを

参照させていただきました。

石川県ブログランキングへ 


溝口秀勝で結ばれる加賀市と新潟県新発田(しばた)市

2013年08月03日 | 日記

隊員NO.7ゆっこで~す(^_^)v

←新発田市との友好都市提携記念碑(中央公園)

みなさ~ん、加賀市が新潟県新発田(しばた)市と友好都市であることをご存じですか?

加賀市新発田市は、1584(天正12)年から1598(慶長3)年までの15年間、

大聖寺城主をつとめた溝口秀勝(1548~1610年)が、1598年4月に新発田6万石に

移封され、初代藩主になった縁から、平成3年11月8日に友好都市提携をしました。

新発田市は、新潟県下越地区に位置し、新潟県で5番目に大きい都市です。

人口は約10万3,000人。かつては大聖寺藩と同じ10万石の城下町として栄えました。

↑国指定名勝「清水園」(旧新発田藩下屋敷大名庭園)

←国指定重要文化財「旧新発田藩足軽長屋」

いまでも新発田城や足軽長屋など当時をしのぶ史跡や文化財などがたくさん残る

大変美しい田園都市だそうです

また赤穂浪士の討ち入りで知られる堀部安兵衛や実業家で名を馳せた大倉喜八郎

(鹿鳴館、帝国ホテル、帝国劇場などを設立)の出身地としても知られています。

そして溝口秀勝が越後の新発田6万石に移封した際に、大聖寺に住んでいた多くの商人や

僧侶、農民たちが溝口秀勝と一緒に新発田へと移ったといわれていて、今でも新発田市には

加賀市にとっても親近感を持っておいでる方が多いそうですよ。

先日わたしたちの顧問の先生が、出張で新発田市を訪問され、加賀市とゆかりがある

お店の写真を撮ってきて下さいましたので、ご紹介します!

←「菓子司菊谷」

菓子司菊谷」は、大聖寺から移られた方が1613年に創業されたお店です。長らく

新発田藩御用菓子屋をつとめた名店です。とくに400年の間作り続けてきた「御水飴」

は名物で、参勤交代のおりにはこの「御水飴」が大奥で大変好まれていたそうです。

←「市島酒造」

市島酒造の本家にあたる豪農市島家は溝口秀勝新発田藩主に任ぜられたさい、溝口家に

随伴して大聖寺から現在の新発田市近辺に移住したといいます。現在は七代目が伝統ある

酒蔵の歴史を受け継いでいます。

夏休みの時期です。みなさん、加賀市とゆかりのある新発田市に一度行ってみませんか!

石川県ブログランキングへ


大聖寺実業高校の体験入学!!

2013年08月02日 | 日記

隊員NO.6れいなで~す(^_^)v

8月1日(木)に大聖寺実業高校体験入学がありました。加賀市内6中学校を中心に

3年生約260人が学校にやってきました。みんな元気な中学生でしたよ!

わたしたち実高ふれ愛隊のメンバーも実習の指導や誘導係などをつとめました。

体験入学では、電子機械科の希望者が、工場で旋盤や溶接の実習を見学したり、

ロボット体験・コンピュータを使ってのCAD体験にチャレンジしました。

そして情報ビジネス科の希望者は、商業模擬取引を体験したり、電卓・ワープロの実習に

挑んでいました。

体験学習が終了した後は、みんなが体育館に集まった後、先輩たちに案内されて、

部活動見学会に参加していました。どの部も活気いっぱいでしたよ。

来年わたしたちは実高を卒業するわけですが、多くの後輩たちに大聖寺実業高校に入学

してほしいなぁと思います。

中学生のみなさん、受験勉強頑張って下さいね!そして実高に来てくださ~い!

石川県ブログランキングへ