隊員NO.3ゆかぴで~す(^_^)v
先日、大聖寺敷地町にある菅生石部神社で「天神講」を見学した際に、
通りをはさんだところに、小さな祠(ほこら)を見つけました。
祠の横にある案内板を見ると、「富樫の馬塚」というおもしろいお話が
書かれていましたので、みなさんにご紹介させていただきます。
「富樫の馬塚」
『室町時代、足利将軍の命令で西国を平定し帰国を急ぐ富樫三郎(成衡)は、
大聖寺で猛吹雪に遭い、誤って谷に落ち家来や愛馬と離れて一人となって
しまった。すでに日は暮れ、寒さと飢えに襲われ危うく一命を失うところであった。
そこへ駆け去った愛馬が口に餅をくわえて目の前に現れた。喜んだ富樫は、
この餅で飢えをしのぎ、夜明けを待った。
明け方、家来とも再会し一緒に菅生石部神社の前まで来たとき、突然乗っていた
愛馬が立ち止まって動かなくなってしまった。これに立腹した富樫は、この愛馬を
斬り殺してしまった。
しばらくして富樫は冷静になり、愛馬が立ち止まった家の中をのぞいたところ、
あたりには餅が一面に散らかっていた。愛馬が主人である自分を助けたい一心で
(藁屋の男をかみ殺して)この家から餅をくわえてきたが、菅生石部神社の神様の
霊験により自分が犯した罪を諭され、この家の前で一歩も前に動こうとしなかったのだ。
これを悟った富樫は、自分の短気から愛馬を殺した罪を悔い、この地に馬塚を
設けてねんごろに弔ったと伝えられている。また、江沼の総鎮護である菅生石部神社の
尊き御神域で不敬な行いをしてしまった富樫は、これより後神社の前を通ることが
許されず神社の裏山の小道を通ることになった。これを富樫の隠れ道という。』
このお話は江戸時代中期の俳人・堀麦水(ほりばくすい、1718~1783年)という人が、
加賀藩内の不思議な話しとして伝わる言い伝えを集めた『三州奇談』という本の中で、
「敷地馬塚」として紹介されているお話だそうです。