隊員NO.5いくので~す
加賀市観光ボランティア大学第10回講座で重要伝統的建造物保存地区・
「加賀ひがしたに地区」の大土町を訪問しました。
講師の加賀市文化課課長・田嶋正和先生が、わたしたちに興味深いお話をされました。
「大土町の家屋は、ひがしたにの他の町に比べて一回り小さいのですが、
なぜだと思いますか?」
その答えは、大土町を襲った1938(昭和13)年5月22日の大火事と関係がありました。
この日の午前11時頃、大人たちがゼンマイ採りや炭焼きに出かけている間に、
残った子どもたちが昼ご飯の用意をしていて、火事が起こったそうです。家は周りを
カヤが囲んでいたこともあって、またたく間に火が回ったといいます。大人たちは、
片道2時間あまりの遠いところに出払っており、残っていた子どもやお年寄りだけでは、
火の勢いを止めることはできませんでした。
大人たちが戻ったときには、町のほとんどの家が焼け落ちていたそうです。
焼け残ったのは大土神社の社殿と2つの土蔵だけでした。
そこで、焼けてしまった家々を少しでも早く復旧させるために、他の町よりも一回り
小さな家を建てたのだそうです。
大土町の外れには、このときの火事でなくなられた3人を慰霊するための碑が
建っています。火事の時、子どもたちはさぞかし心細かったことでしょうね。
大土町では、このときの大火事のことを忘れまいと、今でも毎年5月22日の前の
日曜日に「大土焼きまつり」を行っているそうです。
(記事の作成にあたり、『かが風土記』(加賀市刊)を参照させていただきました。)