隊員NO.7ゆっこで~す(^_^)v
8月8日(木)の柴山潟ナイトクルーズは、片山津温泉街や柴山潟大噴水の
美しい夜景だけでなく、船頭のかっぱ1号さんの興味深いお話で、いっそう楽しい
旅になりました。かっぱ1号さん、本当にありがとうございました。
かっぱ1号さんは、柴山潟の歴史と自然についても、くわしく話してくださいました。
柴山潟は大昔、日本海に通じていましたが、海側に砂丘が発達して潟湖(ラグーン)に
なったと考えられています。そして今江潟、木場潟と合わせて「加賀三湖」と呼ばれて
いました。今の加賀市は古来「えぬの国」、明治以降になってからは江沼郡と称され、
市内には、港を意味する「津」のついた地名(片山津、潮津)、波のついた地名
(大菅波、小菅波、弓波、津波倉)、島のついた地名(西島、中島) なども残っていて、
柴山潟がとっても広かったことを物語っています。
柴山潟は明治の中頃までは水上交通の中心地でもありました。動橋川→柴山潟→
串川→今江潟→安宅湊は舟で結ばれ、北陸本線が開通するまでは舟運がとても
盛んだったそうです。昭和の中頃でも、小松高校のボート部が小松中心部の京ビルの
所から片山津までボートでやってきていたそうですよ。
現在、柴山潟の大きさは約1.8km平方キロで、東京ドーム40個分ですが、以前は
その3倍の約5.8平方キロもあったのだそうです。昭和の中頃、戦争が終わったばかりの
「食糧難」だった時代に、水田の造成と潟周辺の湛水被害解消のため、加賀三湖の
国営干拓事業が着手され、現在の姿になったのです。そして、新しい排水路として
新堀川が開削され、柴山潟の水が日本海に流れ込むようになりました。
かつて柴山潟は、漁舟による投網が盛んで、たくさん魚介類が獲れたそうです。
投網の光景は片山津温泉の利用客に大好評で、観光面でも大きな役割を担っていました。
今も柴山潟の北岸は広大な湿地帯で、ヨシが生い茂り、野鳥の天国となっているだけでなく、
良い漁場でもあります。「現在も柴山町には漁師さんがおいでて、テナガエビやウナギなど
がとれるんですよ。」と、かっぱ1号さんは教えてくださいました。
柴山潟の自然を活かした観光地づくりに片山津温泉の皆さんは一生懸命取り組んで
おいでます。美しい湖畔の温泉・片山津と柴山潟を多くの人びとにPRしましょう!!