実高ふれ愛隊日記

-石川県立大聖寺実業高校情報ビジネス科課題研究ブログ-

山中温泉と松尾芭蕉

2013年10月14日 | 日記

隊員NO.4まこで~す

10月10日(木)1930分から加賀市民会館で、加賀市観光ボランティア大学

13回講座 「『奥の細道』加賀路の芭蕉芭蕉と山中温泉-」が開かれました。

講師の先生山中温泉と松尾芭蕉について大変お詳しい西島明正さんでした。

西島先生は講義のはじめにこうおっしゃいました。

「わたしは決して松尾芭蕉の研究者ではありません。以前、山中町の図書館に

勤務していたとき、観光客の方から、芭蕉のことや温泉、九谷焼、山中節、

山中漆器などについて聞かれました。それらの質問に答えられるようにと勉強した

のです。芭蕉については、1989(平成2)年の奥の細道』300年の記念イベントの

ために、山中での芭蕉の足跡を調査研究しました。研究者の方から、「山中温泉における

芭蕉の足跡をまとめるのは地元の方の役目ですよ」というアドバイスを受けて、

芭蕉と山中温泉』(北國書籍印刷刊)という本をまとめることになりました。」

西島先生には、長年の研究をもとに、とっても丹念に「奥の細道の足跡」「加賀路の芭蕉

芭蕉と山中温泉」についてお話しいただきました。本当にありがとうございました。

奥の細道』は、1689(元禄2)年、松尾芭蕉が46歳のとき、5カ月間、600里

(2,400km)にわたる旅の記録を紀行文にまとめたもので、日本を代表する文学作品と

いえます。

山中温泉には、今から324年前の1689年7月24日(新暦8月29日)から8泊9日に

わたって逗留しました。奥の細道』の旅の途中、芭蕉はいくつもの温泉地をめぐって

いますが、これほど長く滞在している温泉地は唯一山中だけです。また、山中温泉

奥の細道』で長らく二人旅をしてきた曽良と別れた地であったり、蕉風俳諧の真髄で

ある「不易流行」について芭蕉自らが弟子・立花北枝に語った場所、芭蕉が連句の添削を

行った真筆(「曽良餞翁直しの一巻」)が残された地で、奥の細道』の研究者にとって、

とても重要なスポットなのだそうです。

 「やまなかや菊はたおらじ湯のにほひ」

みなさんは、松尾芭蕉山中温泉でよんだこの句の意味をご存じですか?

これから、西島先生に教えていただいた山中温泉と松尾芭蕉」のことをレポートさせて

いただきますので、よろしくお願いします!!

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