隊員NO.5いくので~す
加賀市観光ボランティア大学第11回講座で、講師の江沼地方史研究会・見附裕史
先生から、明治期に、北前船で巨万の富を築いた北前船主たちが中心となって
つくった「大聖寺川水力株式発電会社」について教えていただきました。
ここ加賀市は全国的に見ても、とっても早い時期に電気が使われた地域なんだそうです。
そして、その電気事業は橋立の北前船主の大きな貢献によるものなのです。
日本で最初の電灯が灯ったのは1882(明治15)年のことです。その後、
電力需要は全国で高まり、私たちが住む今の加賀市の地域にもその波が押し寄せて
きました。そこで、1911(明治44) 年2月には、電力の必要性をいち早く感じていた
北前船主たちが中心となって、「大聖寺川水力発電株式会社」が創立されました
(社長久保彦兵衛)。そして大聖寺川から分流する紙谷用水を利用し山中発電所(264kW)
を建設して、明治44年12月には、大聖寺や山中・山代の温泉地へ電力供給を始めました。
一般家庭への電灯供給が第一の目的でしたが、この地域では、山中・山代の温泉旅館が
電灯を必要としていたこと、大聖寺を中心とする機織(はたおり)業が電気動力を必要と
していたこと、さらには当時すでに山中、大聖寺間と山代、動橋間を結んでいた馬車鉄道を
電化するために発電が急がれていたという背景があったのです。
そのようなことから、発電所の建設と鉄道電化の期待が結びつき、後に石川県内で
初の電車が走ることになりました。すごいですね。
その後もそれまで温泉地間の連絡が不便だったことから、鉄道事業を一本化し山中、山代、
片山津などの温泉地を結びつけることにより、さらなる経済の振興が期待されたのです。
山中温泉の上原町にある白山神社には、「大聖寺川水力発電株式会社」設立の
記念碑が立っています。みなさん、もしお時間がありましたら、立ち寄ってみてください。
(「加賀市・山中町合併協議会だより」2004年4月号を参照させていただきました。)