隊員NO.2ゆきちで~す
大聖寺下屋敷町・久法寺の墓地にあるバーナード・ジョージ・リトルウッド
というイギリス人の石碑を見ました。この石碑は、先日らくやき体験を
した「らくやき体験工房 翆雲窯」のすぐ横にあります。
そして、らくやき体験の講師をしていただいた荒木実さんのブログに
リトルウッドについての記事が紹介されていて、わたしたちは勉強させて
いただきました。さて、リトルウッドとはどんな人なのでしょう?
名前 Bernard George Littlewood
生誕地 イングランドDerbyshire州 Chesterfield
1870年6月9日 ドイツ船籍Catarina号で長崎着
1870年6月26日 New York号で神戸着
1871年4月14日 神戸を立ち金沢へ出発
1871年4月18日 敦賀で発病
1871年4月25日 大聖寺で天然痘で死去(30歳)
1871年4月27日 大聖寺出村山に埋葬
金沢藩主の弟が300人の家来を従えて葬儀に参列
リトルウッドは、明治3年に語学教師として金沢藩に招かれました。
バーナード・ジョージ・リトルウッド青年はイングランド中部のダービーシャー州出身で、
800人程度しか住んでいない英国の片田舎から、激動の明治維新期だった日本に単身
渡ったのでした。
しかし、目的を果たすことなく、途中の敦賀で天然痘を発病し、大聖寺で死亡して
しまったのでした。金沢藩は300人を派遣し大聖寺の郊外「通称なべのつる」に
丁寧に埋葬したと伝えられています。その後現在の久法寺墓地に移転したそうです。
石碑の冒頭には英語を漢字表記した文字が記されていましたが、最近まで
その読み方に諸説があったそうです。
「比慈律甸宇旺獨英國人也我藩招聘欲受語学客途患痘・・・・・」
それが最近になり、隣接地に墓のある小矢田進氏(NPO法人たぶんかネット加賀
理事長)が神戸や長崎に問い合わせ、明治初期の乗船者名簿などを手掛かりに
名前を特定したのです。(荒木さんにブログの記事の引用について許可をいただきました。)