実高ふれ愛隊臨時隊員・りょうこで~す
9月29日(日)、とっても素晴らしい秋空の下、復曲能『敷地物狂』の里帰り公演が
大聖寺敷地町の菅生石部神社で行われました。報道によると、なんと千人もの
来場者があったそうです。大槻文藏師をはじめ演技者の方々や準備をされてきた
実行委員会の皆さん、このような素晴らしい能舞台を鑑賞する機会を与えていただき
本当にありがとうございました。
能『敷地物狂』の舞台は、ここ菅生石部神社の境内。平安時代前期に江沼郡出身で、
十五代天台座主として、わが国最高の僧職に上り詰めた延昌(えんしょう)というえらい
お坊さんをモチーフとした物語です。菅生の地主の一人息子であった松若少年が、
高い志を抱き、俗世を捨て、比叡山に登り、厳しい修行の末、最高の学問を究めた歳月は、
その一方で、突然姿を消したわが子を、「松若よ、松若よ、どこへ行ったんだい?」と狂わしい
ばかりに追い求め、諸国をさまよい歩いた母親の年月でもありました。母の子を想う心情は
今も昔も全く変わらないものなのですね。
そんな二人が、偶然にも(ひょっとしたら、必然だったのかも知れません。)、再び出会うことに
なった場所が、ここ菅生石部神社。学問を究めた高僧とみすぼらしい老婆の再会シーンです。
そしてその日は奇しくも二人が別れた二月十五日だったのでした。
能『敷地物狂』を一貫して流れるのが、「向去却来(こうこきゃくらい)」という考え方です。
「向去却来」はもともと禅宗の言葉で、向去(高い位に昇る)と却来(高いところから低い位に
戻っていく)という意味があり、作者と考えられる金春禅竹や世阿弥が芸道について説明する
際に使った用語だそうです。この物語では、向去=別離、却来=再会として描かれ、
再会した親子は、別離する前の親子よりもより高度な次元にいたっていることを表しています。
能『敷地物狂』は、ただ単に母と子の深い情愛を描くことにとどまらず、
「向去却来」をキーワードにして、能楽の深い精神性を表現しているのです。
わたしは、「へぇ、能ってこんな風につくられているんだ!」と、とっても勉強になりました。
今回、わたしたち地元加賀市の人間が能『敷地物狂』の580年ぶりの里帰り公演に
立ち会えた感動は、何か母親がわが子松若に再会した喜びと重なり合うように思います。
素晴らしい芸術性を持つ能『敷地物狂』は、ここ大聖寺菅生石部神社で上演されたことで、
「向去却来」し、より大きな輝きを放っているようです。
先人が創り残してくれた郷土の「たから」をわたしたちは大事にしていかなければなりません。