隊員NO.6れいなで~す
10月8日(火)の課題研究の時間に、わたしたちが大茶盛を体験した
日蓮宗「蓮光寺」には、大聖寺出身の偉人・岩原謙三(1863~1936年)の
お墓があります。そして今年はちょうど岩原謙三生誕150年の年にあたり、
蓮光寺門前には新たに岩原謙三の顕彰碑が建立され、11月3日(日)には、
除幕式が行われるそうです。
茶会が終わった後、わたしたちは、ご住職の中山久勝さんに特別の許可をいただいて、
岩原家のお墓を見学するために、お寺の裏山を登らせていただきました。
「わっせ、わっせ!」。急な坂道を3分くらい登ったでしょうか?山のてっぺんに
とてもとても大きな岩原家累代の墓が見えて来ました。
学校に戻って、図書室にあった『加賀江沼人物辞典』(江沼地方史研究会刊)で、
岩原謙三について調べてみました。
岩原謙三は1863(文久3)年、大聖寺穴虫(現錦町)で岩原孝興の長男として生まれ
ました。9歳の時に上京し、1883(明治16)年から東京商船学校で学んだ後、三井物産に
入社。実業家としての道を歩みはじめました。三井物産では、ニューヨーク支店長、
本店理事などを歴任し、1906(明治39)年には常務取締役をつとめました。
岩原謙三は、多方面に術策をもって当たり、手も口も利くやり手として評判だったそうです。
その後、当時の日本において6割以上の電気機械製品を供給していた芝浦製作所
(現東芝の前身)社長として活躍した他、多くの大企業の社長や取締役を務めるなど
バイタリティにあふれる実業家でした。
そして、わが国にラジオブームがわき起こり、放送が公共的国家事業として注目を集めていた
1926年(大正15)年に、岩原謙三は日本放送協会(NHK)初代会長に就任し、
「日本放送事業の父」として大活躍したのでした。東京港区のNHK放送博物館には、
現在も岩原謙三の銅像が展示されているそうですよ。
【記事の作成にあたり、『加賀江沼人物辞典』(江沼地方史研究会刊)を参照させて
いただきました。】