実高ふれ愛隊日記

-石川県立大聖寺実業高校情報ビジネス科課題研究ブログ-

蓮光寺にNHK初代会長・岩原謙三のお墓がありました!!

2013年10月12日 | 日記

隊員NO.6れいなで~す

10月8日(火)の課題研究の時間に、わたしたちが大茶盛を体験した

日蓮宗「蓮光寺」には、大聖寺出身の偉人・岩原謙三(1863~1936年)の

お墓があります。そして今年はちょうど岩原謙三生誕150年の年にあたり、

蓮光寺門前には新たに岩原謙三の顕彰碑が建立され、11月3日(日)には、

除幕式が行われるそうです。

茶会が終わった後、わたしたちは、ご住職の中山久勝さんに特別の許可をいただいて、

岩原家のお墓を見学するために、お寺の裏山を登らせていただきました。

「わっせ、わっせ!」。急な坂道を3分くらい登ったでしょうか?山のてっぺんに

とてもとても大きな岩原家累代の墓が見えて来ました。

学校に戻って、図書室にあった『加賀江沼人物辞典』(江沼地方史研究会刊)で、

岩原謙三について調べてみました。

岩原謙三は1863(文久3)年、大聖寺穴虫(現錦町)で岩原孝興の長男として生まれ

ました。9歳の時に上京し、1883(明治16)年から東京商船学校で学んだ後、三井物産に

入社。実業家としての道を歩みはじめました。三井物産では、ニューヨーク支店長、

本店理事などを歴任し、1906(明治39)年には常務取締役をつとめました。

岩原謙三は、多方面に術策をもって当たり、手も口も利くやり手として評判だったそうです。

その後、当時の日本において6割以上の電気機械製品を供給していた芝浦製作所

(現東芝の前身)社長として活躍した他、多くの大企業の社長や取締役を務めるなど

バイタリティにあふれる実業家でした。

そして、わが国にラジオブームがわき起こり、放送が公共的国家事業として注目を集めていた

1926年(大正15)年に、岩原謙三日本放送協会(NHK)初代会長に就任し、

「日本放送事業の父」として大活躍したのでした。東京港区のNHK放送博物館には、

現在も岩原謙三の銅像が展示されているそうですよ。

【記事の作成にあたり、『加賀江沼人物辞典』(江沼地方史研究会刊)を参照させて

いただきました。】

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