やねうら日記

~日常の中にある幸福

従兄弟

2015年05月31日 | 日記
母の妹が手術、入院。そして兄が亡くなり、そのお見舞いと通夜式に出席してきた。
久しぶりに従兄弟が顔を合わせ、いろんなことを話す。親密な関係ではないが、やはり会うと話はいろいろあるものだ。
血のつながりは大事だな、と改めて思う。少なくとも悪意がない世界だ。



さて、明日から6月。
また気持ちを新たに、そして一日を大切に生きるのだ。

◇『老いと死について』

2015年05月20日 | 
◇2015 BOOKS 5◇

『老いと死について〜さわやかに生きる智慧』 アルボムッレ・スマナサーラ

2回繰り返して読んだ。宗教色は薄く、たくさんの生きる支えに満ちていた。

・悪いところ、できないこと、劣っているところを見つけ出すほどに、それがどんどんひどくなっていくという事実を忘れないでください。
・人生は虚しく、苦しく、最後は死ぬだけ。だから力を抜いて、もっと気楽に生きればいい。
・今が幸せでない人は、死んでからも幸せにはなりません。死んでから明るいところへ行くことはできません。死んでから極楽へ行くには、今を明るく生きることが唯一の方法です。心穏やかに、のんびり生きることが大切なのです。
・他人がやっていること、やっていないことなど考えて、悩んだり怒ったりするのは何の役にも立ちません。自分が何をやっているのか、それを正しくやっているのかということにだけ、気を付けるべきです。
・人は誰でも計画を立てながら生きている。しかし、人生においてたった一日しかない「今日」を単なるリハーサルにしてしまっている。明日、明後日、もしくはその先いつか来るであろう本番の日のための準備に、貴重な今日という一日を費やす行動を繰り返しながら毎日を消費してしまっている。それが毎日続くのですから、結局死ぬまで不完全でだらしない日々を送ってしまうことになります。本番がどこにもない。


毎日を先送りしないということ。

前を向く

2015年05月19日 | 日記
日曜日はつらかった。ちょっと書けない。


昨日、今日はずっと寝ているらしい。すやすやと。
声をかけても起きない、とのこと。
もう、心はあっちへ行ってしまったのかもしれない。

頭の中で、特に日曜日の苦しそうな怯えた表情が頭から離れず、同じところをぐるぐる回っていた。
でもと、ようやく今日思い直した。
心配し悲しむ僕を母は絶対に希望していない。もういいから行け、と言うだろう。いつものように。

前を向こうと思う。
この2か月の母の生きざまを心に置いて、毎日を大事に暮らして行こうと思う。

少し笑顔

2015年05月15日 | 日記
義父義母がお見舞いに来てくれた。
しっかり手を握り、何か言いたそう。
ありがとうって言いたいんやね、と言うとうなづいた。

帰った後、疲れたのか反応がなくなった。呼びかけても応えない。
でも帰り際、帰るよ、また来るよ、と言うと突然目を開いてうなづいた。
そして少し笑顔。

手を握る

2015年05月14日 | 日記
7時間ぐらい母のベッドの横にいて、ずっと手を握っていた。
ときどき返事をするが、だいたい眠っている。苦しそうなときはあまりない。
母は病気にはなったけれど、人生は幸せだったんじゃないかと思った。勝手かもしれないけど。

帰り際、明日も来るよ、と言ったら小さくうなづいた。
姉がバイバイしたら、と言ったら、小さく左手が動いた。

三度帰省

2015年05月13日 | 日記
木金と休みを取り、三度帰省。
母の病状は猛烈なスピードで進行していく。数日前から食事が取れなくなり、経鼻胃管栄養となった。

誰もいない実家に一人で帰るのはこれで3度目。1度目は父と母が同時入院した4年半前、2度目が4月始めの帰省、そして今日。何とも言えない虚無感。

今すぐ(午前1時5分)にでも病院へ行って手を握ってやりたいという思いと、明日が来るのが恐いという思いが交互にやってくる。

姉からのメール。
「うん、と思ったら手を握って、と言ったら手をにぎにぎと。ムラはあるけどまだ理解はできる。」

これが唯一のコミュニケーションだが、これもいつまでできるか分からない。


友人が言った。最後まで耐えるんだ、と。
悲しくなると歯を食いしばって、しっかりしろ、と思う。

母のこと

2015年05月06日 | 日記
日に日に病状は進行し、昨日できていたことが今日はできない。
言葉はもうほとんど出ず、して欲しいことをなかなか理解してあげられない。
右手は麻痺し、食事するのも難しくなってきている。


それなのに、
病院から一時帰宅で一泊したとき、覚束ない足で台所に行こうとしている。何かと思って介助して行くと、ここにウィスキーがあるから、僕に飲め、と言う。(実際は言えない、そう手振りする)
病院では、病室をナース・ステーションの近くにすると直ぐに介助できるから移ってはどうか、と提案があったが、受け入れない。よくよく聞いてみると、4人部屋に自分ともう一人しかいないので、自分がいなくなるともう一人が寂しくなるからだと。(他の人が入ってくるからと説明して納得させた)


病気になって、入院して、どうしてこんなことになったのか、治るのか治らないのか、一切聞かない。
ただ受け入れ、一生懸命食べ、人を困らせないようにしている。
文句も泣き言も弱音も口にしない。
そしてよく笑う。
機能は失われていくが、人を思いやる気持ちはなくならない。


本当に人として尊敬する。


もう、不満を垂れ流すような生き方はやめよう。
先延ばしにしないで、毎日を生きていこう。
笑って生きていこう。

帰省

2015年05月02日 | 日記
夜20時に高速に乗り、ところどころで休憩をしながら西へ向かう。
睡眠的休憩は断片的で、記憶は途切れ途切れだ。少し、吐き気がする。
食欲はない。
12時間後8時到着。


夕方前に姉と合流し、病院へ行く。思っていたより言葉は出ない。思ったより気持ちはちゃんとしている。冗談を言えば笑う。
死ぬまでは生きるんだし、人に頼ればいい、と。


明日は、一時帰宅。外泊許可が出た。家族みんなが集まる。
博多どんたく会場のど真ん中にある病院へ行けるかどうかが一番の不安。
だって、東京ディズニーランドより集まるどんたく会場のすぐそばなのだ。


夜、姉と2人で今後の行く末を話す。

考えなければならないことは考える。
どうにもならないことはそのとき考える。

母が生きている間、母が快適に過ごせることを一番に考えることで一致。