やねうら日記

~日常の中にある幸福

半落ち

2011年10月29日 | 映画
◆2011 MOVIES 27

「半落ち」 佐々部清 2003年

***
 生と死を考えさせられる映画。
 俳優陣はみんな素晴らしく、引き込まれた。

 ☆付け難し

仏像を作ろう

2011年10月23日 | 日記
県立美術館の「神仏います近江」という企画展の一つとして、粘土で仏像を作る催しに参加してきた。仏像展を見ながらちょっとした解説を聞いた後、粘土で仏像を作るというもの。
子供向けながら、親が夢中になるというパターン。

粘土は非常に難しく、工具?的なものの使い方も要領も最後まで掴めなかった。何と言っても不器用なのだ。12月に素焼きができてくる予定。

学芸員の方に、日頃疑問に思っていたことが質問できて良かった。阿弥陀如来像は一杯あるが一人なのか多数なのか、仏像を作ったのはどういう立場の人なのか、お地蔵さんとはどういう人なのか等。

時々仲良くしなさい。

2011年10月22日 | 日記
10月も下旬というのに、気温が高い。25℃。
長袖では少し暑いくらいだ。

いつものように漢方先生のところへ行く。

カミさんの体調は、少し体が冷えているとのこと。
原因は僕が毎朝作っている野菜ジュースのようだ。400ccではちょっと多すぎらしい。
がむしゃらに飲ませすぎたのか。ある本で2リットルと書いてあったが。
半分は自分で飲むことにしよう。

僕は、最近は悪いところが(体調的には)あまりない。明け方に数度こむらがえりがあったぐらい。腹部の違和感もほとんどなくなってきた。
緊張をほぐす薬が継続される。

感謝してゆっくり食べなさい、と言われた。早食いが見透かされたように。
そして、
奥さんと時々仲良くしなさい、と言われた。
とても優しい言葉。
時々、と言うのが良い。

***
帰りに蛸薬師如来へお参りに行く。
父の容態が思わしくなく、お願いを、と思って。
でもどんなお願いをしたら良いのか分からなかった。
父には父の人生や人生観があるはずだ。
それが父の人生や思いにふさわしくありますように。

現実とは

2011年10月21日 | 日記
会社の慰安旅行は行かないことにしている。
今日はその貴重な平日の休みだ。子供たちは幼稚園、学校なので、昼過ぎまではカミさんと二人だ。カラオケへ行ってランチを食べるか、ちょっと美味しいものを食べに行くか迷った挙げ句、ネットで調べた蕎麦屋へ行くことにした。蕎麦好きなのだ。

***

お茶所として有名なこの地らしく、緑の綺麗なお茶と、蕎麦あられが出ててきた。
そして、聞いていた竹筒入り「水ソバ」。美味しいわき水に茹でた蕎麦が入ったもの。
これが旨い。蕎麦の香りと柔らかな水。

接客も丁寧でよろし。

暫くして蕎麦が出てくる。白めの常陸秋蕎麦で、コシもしっかりしていている。旨い。
天ぷらも良し。エビ、ワラビ、アスパラ、ヤングコーン、そしてキノコ、揚げたてを、抹茶塩と岩塩で食べる。
炊き込みご飯も、想像より遙かに旨い。

最後はもちろん蕎麦湯。蕎麦湯を味わいたいがために蕎麦屋に行くような物なのだ。
とろりとした味わいがあり、滋養満点、言うことなし。

というのは、全て妄想です。


万を持して車で1時間ちょっとかけて行った蕎麦屋にはこう張り紙がしてあった。
「19~21日は都合により休みます」
「今日は?」
「21日・・・」
・・・。

現実は妄想のようには行かない。

仕方がないので、昔、「ガチンコ」でやっていた佐野さんの弟子の一人として独立したラーメン屋に行った。炙りチャーシュー塩トンコツ、900円。
トホホ。これでは王将の方が美味しいんではないかいな。

尼さんのぽっちり説法 のほほんのすすめ

2011年10月19日 | 
◆ 2011 BOOKS 21 ◆

「尼さんのぽっちり説法 のほほんのすすめ」 麻生佳花  2003

仏教系の本は難しいものが多く、最後まで読み通せないことが多い。
この本は分かりやすい言葉と身近な例で非常に読みやすかった。

***

仏教では、あらゆる存在は空と見なし、執着すべきものではない。見る人により、同一の事物もその様相が変わる。どう感じ考えるかは、それぞれの心の個性。
ただ、私たちの行いや思いの残像のようなものは、「意識する心」から自動的に「無意識の心」へ移動してたまり、いずれは、現実の働きとなってあらわれる仕組みになっている。「輪廻」と言って、そのときの行動や思いが、次の行動や思いの種となると考える。

つまり明るい考えは、明るい未来に繋がる。

***
自分なりに解釈すると、
幸せは幸せを感じる心からしか生まれないし、憎悪や悪意は憎悪や悪意しか生み出さない、ということか。
周りにいる明るい人、不機嫌そうな人を見てみるとよく分かる。
言うは易し、行うは難し、というけれど、そう心がけたいものだ。


西国三十三カ所 第九番 ~興福寺 南円堂

2011年10月17日 | 西国三十三所
二十箇所目、第九番 興福寺南円堂。

西国三十三箇所で最も有名なお寺の一つである興福寺。
阿修羅像や数々の国宝がある、のだが・・・

時間がなく国宝館には行けなかった。従って修羅像も拝んでいない。
かなりの心残りがあり、またいつかいくことになるだろう。

外国人も含め観光客が多く、しっとりとした気持にはなれなかったので、できれば平日にゆっくりと回りたい。

西国三十三カ所 第八番 ~豊山 長谷寺

2011年10月16日 | 西国三十三所
十九箇所目、第八番 豊山長谷寺。

これまで見た仏像の中で、何故かもっとも感動した。何だか涙が出そうな感激があった。
聞けば日本最大の木造仏とのこと。大きさもそうだが、仏様の顔が何か語ってくるようようで、心打たれたのだ。
残念ながら撮影は禁止だった。


399段の回廊式の登廊をゆっくり登ると深い山並みが見える。階段の一段一段が低いため、かなり疲れた。息が少し上がる。
ぐるっと回って、降りてくると納経所が回廊を上がったところにあったことを知る。。。
!!!

長男と再度399段の登廊を早足で登り、はぁはぁ言いながら御朱印をもらった。
これも一つの思い出となる。

西国三十三カ所 第二十三番 ~応頂山 勝尾寺

2011年10月15日 | 西国三十三所
十八箇所目、第二十三番 応頂山勝尾寺。

勝運祈願として有名なお寺。
あちこちに愛嬌のあるだるまがあり、ほほえましい。
今の生活では「勝ちたい」と思うこともあまりなく、いつものように「健康」を祈ってきた。

西国三十三箇所も折り返し、ゆっくり回らないともったいない気がしてくる。

思わず使ってしまうおバカな日本語

2011年10月13日 | 
◆ 2011 BOOKS 20 ◆

「思わず使ってしまうおバカな日本語」 深澤真紀 2007

「間違いだらけの日本語」や「その敬語間違っています」などこの手の日本語本はたくさんあるけれど、あとで思い返したときに、間違っていたか正しかったかが逆に分からなくなってしまうのであまり読まない。この本は、ちょっと切り口が違っていたので読んで見た。あまりためにはならなかったが、軽く面白く読めた。

日頃気になっていた表現がたくさんあって、やはり自分の感覚はあっていたんだ、と確認できた。

・させていただく・・・会議でよく使われる表現。「説明させていただきます」など。僕はこの言い方が嫌いで、なるべく使わないようにしている。そこまでへりくだらなくても。「説明いたします」でいいじゃん。。。もともとは関西弁らしい。

・○○さん・・・○○社さんなど、法人などにつける「さん」。なんだか違和感があった。うちの会社では社内の他部署にもつける人がいる。製造課さん、品管さん、など。これは違和感が強く使わない。

・スポーツ選手がよく使う「楽しんで来ます!」。これもみんなが使い出して、耳に触るようになった。本心かどうかは別として、結果よりまず楽しむことが大事、というポジティブな気持の表れだろうが、正々堂々と「勝ちたいと思います」ではだめなのかな。やる前から言い訳しているように聞こえてしまう。

・幼稚丁寧語・・・「大根が煮えてくれる」「花が咲いてくれる」「筋肉が伸びてくれる」など、丁寧に説明しようとしたばっかりに何でもかんでも擬人的表現をする。うーん。

・ありがとう語・・・芸能人やスポーツ選手などが使う「歌で感動を与えたい」「プレイで勇気を与えたい」など。ひねくれているのかも知れないが、鼻につく。引用されていた元スワローズの古田さんの受け応えが素晴らしかった。
「感動を与えるプレーをしたい」と語る選手の後に「古田さんはどうですか?」と聞かれ、「感動するかどうかっていうのは、受け取る方がきめることでしょう。こちらが与えるものじゃない」。

だれかを感動させるためにしようなんて、おこがましいというか邪とうか。何で市民権を得たか分からない表現。それは心で思う事だろう。
古田さんに一票。

何となく気分の乗らない日

2011年10月11日 | 日記
時々、どうしようもなく気分の乗らない日がある。
それが今日だった。
何か特別な出来事があった訳では(多分)ないのだけれど、何をやっても上の空で、気持が前へと行かない。あるいはどこかでちょっとしたで掛け違いがあったのかもしれない。
気づかない小さな事が。心が明日へ向かわないのだ。

それで、明日は久しぶりに自転車で出勤することにした。ピナレロ君の登場。会社へ行くのは初めてだ。
前照灯のチェック。テールランプのチェックをした。空気圧を確認。自転車用のカバンを引っ張り出し、荷物を詰め替える。ヘルメット、グローブ、ズボン止め、靴、ウィンドブレーカーを用意する。そして天気を再度確認。

それで何とか気分が少し持ち直した。
たかだか片道12kmを思うだけなのだが、不思議なものだ。


おししい殺し方

2011年10月09日 | 映画
◆2011 MOVIES 26

「おししい殺し方」 ケラリーノ・サンドロビッチ 2006年

ケラなので期待して観たが、映画と言うより深夜の「えっ」というテレビ番組。
「グミ・チョコレート・パイン」があまりに面白かったので、期待も大きすぎた。

〓☆〓

その咲きにあるもの

2011年10月05日 | 
◆ 2011 BOOKS 19 ◆

「その咲きにあるもの」 宮下マキ 2009

乳がん女性の術前、術後の写真と一言詩か日記的な文章。
はっとさせられるその言葉。

 私たちは、いつもその何かが
 自分の身にふりかからないものだと信じている。

 目の前にある日常が、その先もずっと続くと信じている。

 かつて彼女がそうであったように。


***

確率のそう高くない出来事が
自分には無関係だと楽観的に思うことと
自分にいつか降ってくるのではないかと悲観的に思うこと。

まだ起こっていないことは、間違いなく起こっていない。
できれば前者として生きていきたいが、何かが起こってしまえば、後者に支配される。

父や母や妻の病気があり、悲観的な性格がいっそう悲観的になってしまった。
おそらく折り返しただろう僕の人生のしまいかたを、時々考える。
ひどく沈むと、いつか終わる人生を何故辛い思いをして生きていくのか、と考えたり。
いつか終わる(そしてそれは確実に)生と現在との折り合いが今は見つけられない。
そんなものがあれば、ということだけれど。

そう思うと、現実のゴタゴタやバタバタや茶番や上手くいかない事なんて、案外たいしたことではないのかもしれない。
ちょっとしたなぐさめだ。

買った物

2011年10月02日 | 日記
最近、着る物が無頓着になり過ぎていて、これではいかんと買い出しに出かけた。元々こまめに洋服を買う質ではなく、バーゲンやアウトレットでまとめ買いしかしない。
先週、一人でアウトレットへ行ってみたが、ピンと来るものがなく、すごすごと帰って来たのだ。平日は客も少なく、何だか見づらいというのもあった。店員さんにじっと見られているような感じで。。。

再度アウトレットモールへ行き、買う気マンマンで臨んだ。
ラフィンのTシャツとロールアップジーンズにブーツを履くと少し気持ちも盛り上がってきた。
今の流行は80年に割と似ている気がする。チェックやドットのシャツ、ロールアップジーンズなど。ただPUNKテイストは感じられない。まぁ、40代のおじさんがPUNKもへったくれもないけれど。

今日の購入品。
スカルの長袖Tシャツ。ダイヤの針抜きデザイン長袖Tシャツ(インナーTシャツ付き)、部屋着用のボーダー長袖Tシャツ、赤のチェックシャツ。そしてVivienne Westwoodのベルト。これはお買い得だった。12,800円が半額。
満足。
Vivienne Westwoodは好きなブランドのひとつだが、見て楽しむ。デザインが奇抜過ぎて実用的でないし、何より高くて手が出ない。

今調べたら、愛好者は、
千秋、椎名林檎、鳥居みゆき、黒柳徹子、hyde、清春、中島美嘉、布袋寅泰など。
なるほど。