2010年5月に始めた「西国三十三箇所の巡礼」も丸3年が経ち、とうとう三十三箇所目となった。
第三十三番、岐阜県は谷汲山、華厳寺。
終わりが近づいてくると神妙な気持ちになったりもしたが、実際に華厳寺で手を合わせるときは、特別な感慨はそんなに強くはなかった気がする。
ひとつひとつお寺をまわり、たったひとつの願をかけ、手を合わせた。はじめはお寺に強く興味があった訳でもなかったが、少しずつ仏教の成り立ちや仏像の美しさを知っていくと自然と引き込まれて行った。これをきっかけに仏教、仏像のテレビを見たり、本を読む機会が増え、知らないことがたくさんあることを知って、少々恥ずかしくも思った。僕の宗派である曹洞宗の、その開祖も本山も知らなかったぐらいだ。先祖のことを思うのにもちょうど良い機会だった。
もうひとつ。お寺を巡ることで季節ごとの自然の美しさを知り、季節の移ろいを知った。自然を楽しむ術を覚えた。これが、キャンプを楽しむことへ移行したり、歩くことへの楽しみへ繋がった気がする。
何はともあれ、西国三十三箇所は家族みんなで無事満願となり、この「無事」ということが、とても幸せなことだと心から思う。
第三十三番、岐阜県は谷汲山、華厳寺。
終わりが近づいてくると神妙な気持ちになったりもしたが、実際に華厳寺で手を合わせるときは、特別な感慨はそんなに強くはなかった気がする。
ひとつひとつお寺をまわり、たったひとつの願をかけ、手を合わせた。はじめはお寺に強く興味があった訳でもなかったが、少しずつ仏教の成り立ちや仏像の美しさを知っていくと自然と引き込まれて行った。これをきっかけに仏教、仏像のテレビを見たり、本を読む機会が増え、知らないことがたくさんあることを知って、少々恥ずかしくも思った。僕の宗派である曹洞宗の、その開祖も本山も知らなかったぐらいだ。先祖のことを思うのにもちょうど良い機会だった。
もうひとつ。お寺を巡ることで季節ごとの自然の美しさを知り、季節の移ろいを知った。自然を楽しむ術を覚えた。これが、キャンプを楽しむことへ移行したり、歩くことへの楽しみへ繋がった気がする。
何はともあれ、西国三十三箇所は家族みんなで無事満願となり、この「無事」ということが、とても幸せなことだと心から思う。