やねうら日記

~日常の中にある幸福

好きなミュージシャン4  ~ゆあさ まさや

2010年08月23日 | 日記
昨日、レコ発ライブへ行ってきた。
好きなミュージシャンの一人であり、大切な友人の一人でもある。

前回見たときより、楽曲重視になっていた反面、よりトリッキー、より漫談的にもなっていた。ライブパフォーマンスはプロフェッショナルだ。
ギター好きなら必聴。

釈尊の言葉(4)

2010年08月18日 | 日記
『悪の毒がむしばむ』

人は何が悪であるか知っている。
悪はすぐそばにある。悪は、ときには美しく見え、誘惑的でもある。
そういう悪はいつも自分の手の中にある。
そして、手の平にもし少しの傷でもあるならば、
悪の毒はそこから体内に入り、容赦なくむしばむであろう。
自分に一つの傷もなければ、
悪の毒にみすみす冒されることはない。

~「感興のことば」第28章15

***
心に響く言葉、文章、本。
毎日の忙しさにかまけ、響きやすく忘れやすい。
常に繰り返し思い、繰り返し言い聞かさなければ。


帰省終了

2010年08月17日 | 日記
帰省中はそれなりにいろんなことがありブログ更新の宝庫であったが、母の入院、手術でバタバタと忙しく、あっという間に過ぎ去った。シリーズでやりたかった帰省中の話は小出しにするか。。。

明日からまた犬のような生活に戻る。

写真は実家近くで見たおしゃれな消火栓のマンホール。

釈尊の言葉(3)

2010年08月17日 | 日記
『最悪なのは、自分の心が自分になすこと』

ひどいことになっているのか。恐れているのか。おののいているのか。
それはみな、おまえの心がなしたことだと気づけ。
憎しみを抱いた人が相手に対して、
あるいは恨みを抱いた人が相手に対してなすどのようなことであっても、
自分の心が自分に対してなすことよりひどくはないものだと知れ。


~「感興のことば」第31章9

釈尊の言葉(2)

2010年08月16日 | 日記
『執着、愛着の重さが人生の苦しみ』

かろやかに、すがすがしく生きたいのなら、
執着、愛着のいっさいを捨てることだ。
微塵でも残したりすれば、その分だけおまえは重い。若いときはその重さに耐えられようが、
いずれはその重さが人生の苦しみとなる。
捨てよ。

~「感興のことば」第30章32

***

だからと言って、愛するものを愛さなくするのは難しい。

釈尊の言葉(1)

2010年08月15日 | 日記
たくさんの仏教の本を読んだが、成り立ちも教えもまだまだ分からない。僕に信仰心や常識が足りないのかもしれない。でも何かを知りたいと思う。それが何かを知りたいと思う。何のために生まれ死んで行くのか、それが分かるなら。

***

『人を憎む心が不運を呼ぶ』

不運を脱せよ。
不運はどこから来るのか。
望むものすべて遠ざけ涙を運ぶ不運というものはどから生じるのか。誰か悪人が不運を持ち来たるものではない。
人を憎むとき、
あるいは、自分をののしり憎むとき、
不運は忽然と現れ、その激流で押し流すのだ。

~「真理のことば」第15章202

帰省中

2010年08月11日 | 日記
帰省中。
義父と義母が韓流ドラマにはまっていて、レンタルで借りて来て見ているようだ。
が、あるのを借りているようで、10話を借りて14話を借りて7話を借りたりしている。

混乱しないのだろうか?

「捕まる前かねぇ?」
「捕まる後」

混乱はしていないよう。
ちゃんと繋がるらしい。


活字中毒者

2010年08月08日 | 
毎日人並みに疲れて家に帰ってくるが、やめられないことがある。
寝る前にちょっとだけでも本を読みたい。読みたい本がないと一日が終わる気がしない。

***
 最近読んだ面白い本。
 まだ全部読んでいないが、昨日やめられなくなった。
 「人はかならず、やり直せる」 進藤 龍也

ヤクザが牧師になった話。興味深く読んでいる。

あまがえるのケロちゃん来訪

2010年08月01日 | 日記
夏になるとあまがえるのケロちゃんが庭や玄関にやって来る。
どこから来るのかは分からない。

裏に溝があることはあるが、かえるは見かけない。いたとしても高さ1m、角度90度近くをを登ってくるのは大変だろう。
一番近くの田んぼは300mぐらいある。かえるの足なら30分はかかるだろう。この炎天下の中、ひからびないか心配だ。

でも毎年やってくる。今年は梅雨が長かったせいか、夏が暑いせいか、ケロちゃん1号、2号、3号と少なくとも3匹いる。

家に帰る前に、玄関の植え込みを見るのが日課になっている。