やねうら日記

~日常の中にある幸福

◇『マイ仏教』

2016年01月15日 | 
◇2016 BOOKS1◇

『マイ仏教』 みうらじゅん

どこまでが本当でどこからが悪ふざけなのか非常に分かりづらい捉えどころのないみうらじゅん氏。仏像好きは広く知られていることだが、仏教の教えに対しての考えは聞いたことがなかった。それがなかなかどうして。これまで様々な仏教関係の本や話を見聞きしてきたが、こんなに分かりやすく、そして我々凡人向けに「分からないことは分からない」と潔く解説された本はなかった。我々は俗でいいんだ、芯さえ外さなければこれでいいんだ、と正直に素直に理解できる。

まず感動さえしたのは、「自分なくし」という概念。
よく言われる「本当の自分とは何か」などの考え。「憧れ=なりたい」で真似をする。でも(当然)なれない。どうしても真似できない部分がコンプレックスであり、コンプレックスこそが自分である。個性である。個性をオリジナルのものとはき違えてしまいがちなもの。
「憧れ=なりたい」と真似して自分を変えていくことは若いうちはできるが、歳を取ると難しくなる。煩悩が積み重なり自分らしくなってくると変化を拒むようになる。
自分らしさの可能性については熱心なのに「自分をなくす」可能性には目を向けない。自分をなくせば変わることが簡単にできるし、それは思っているより悪くない。

「ご機嫌をとる」ということ。自分にとってはこれがこの本の肝だった。
「機嫌をとる」ことは利己的なことではなく、利他的(自分を犠牲にして他人の利益を図ること)だ。他人に何かを発表するという行為は全て「機嫌をとる」ことから逃れられない。人に何かを見せたいという気持ちとご機嫌をとるという気持ちに差はない。どんな仕事でも「ご機嫌うかがい」だ。人間はみんな「接客行」だ。
必死になって自分を探した結果が「たいしたことない」では浮かばれない。そんな徒労を重ねるより、早く「自分をなくす」方法を身につけた方が、他人の機嫌も取れるし、回り回って自分も得をする。



宗教家が書いた仏教書は厳しく、言葉は悪いがきれいごと(実践できにくいこと)も多く含まれる。厳しい戒律や教えに触れると、できない自分を恥じたり、落ち込んだり、だめだと思ったりする。でもそうではなくて、できなくてもいいんだな、と思える。正直に仏教と向き合えた気がする。とても良い価値のある本だった。図書館で借りて読んだが、繰り返し読みたいので買うことにする。

最新の画像もっと見る

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
無題 (りとくらやな)
2016-01-26 21:55:59
いい話ですね。
返信する

コメントを投稿